2024年4月29日月曜日

アレクサンドロスの東征と大航海時代

 このブログにペロポネソス戦争について簡単に書きましたが、ついでに終わりの方でアレキサンダー大王の東征についてもふれました。

ここでは「アレクサンドロス」と呼ぶことにしたいと思います。
「大王」というと、閻魔大王のような怖くて威厳のある人物を連想してしまうのですが、アレクサンドロスの肖像画はそれに全然似つかわしくなく、とても若々しくて目がパッチリと大きく、アニメの主人公みたいで、あまりにもイメージが合わないので・・・・実際、32歳で亡くなっていますし!

このかたは正確には「アレクサンドロス三世」でマケドニアの王、若い頃は哲学者のアリストテレスに教育を受けています。
ところでこのアレクサンドロスが東征を開始したのは、紀元前三世紀です。ペルシャ帝国を亡ぼし、インドまで行きました。まさに世界が拡張されたような出来事です。
この当時としては前代未聞の出来事で、原理でいう「メシア降臨準備時代」に起きています。

その後の歴史でこれに匹敵する事件を探してみると、大航海時代がそれにあたるようです。
以下のような出来事と、それに続く西欧の地球全体への進出です。
1492 コロンブスがアメリカ大陸発見
1498 ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路発見
1522 マゼランが世界一周(マゼラン当人は途中で死亡)

歴史家のアーノルド・トインビー氏の言によれば、
「アレクサンダー大王の時代に陸伝いに行われたギリシャの世界の拡張は、われわれが十五世紀の末に劇的な早さで海を征服したことから始まる西欧の発展に匹敵するものである。アレクサンダーがダーダネルス海峡からアジア大陸を横断してパンジャブ地方まで進軍したことは、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスの航海に劣らない大きな変化を世界の勢力の均衡に与えた。」 現代論集p70 

トインビーさんに限らず、一般的な世界史の解釈でも1500年は特別な年のようです。
以下は、歴史家マクニール氏の著書「世界史(下)」p35 より、
「近代とそれ以前を分けるには、大概の歴史的指標よりは1500年という年が便利である。これはヨーロッパ史について言える。つまり地理上の大発見と、その後に速やかに続いて起こった宗教改革は、中世ヨーロッパにとどめを刺し、とにもかくにも安定した新しいパターンの思想と行動を手に入れるための、一世紀半にわたる必至の努力が開始されたからである。・・・・1500年という年は、世界史においてもまた、重要な転回点となっている。」

この頃、ルターの宗教改革がほぼ同時期に起こっています・・・・1517年。

原理ではどうしても商売がら(!)大航海時代よりも宗教改革のほうが注目されがちで、この宗教改革からの400年を「メシア再降臨準備時代」と呼んでいます・・・・ということは、どちらの時代も「準備」として起こった・・・・まさに歴史が繰り返されていて、その名称がストレートに意味を表わしています。

それにしても、アレクサンドロスの帝国はあっという間に分解してしまい、後継者争いが始まりました・・・・ではなんのためにあんなことしたのか?・・・・一般の人から見れば大きな線香花火みたいなもの(!)で、その意味も分かりにくいでしょう。

・・・・これに意味を持たせているのがトインビーさんです。
ちなみにトインビーさんの地上における生存年は、1889年~1975年です。

「紀元二世紀の中ごろのギリシャ・ローマ的な世界がどんなになっているか見ることにしよう。そしてこれを(現代から見て)200年前の同じ世界と比較すれば、この間にいい方に一つの変化が起こったことに誰でも直ぐに気が付くはずであって、こういう変化は、わが西欧の歴史には不幸にして、今までのところまで起こっていない。
紀元前の一世紀に、ギリシャ・ローマ的な世界は革命や戦争の連続で、その混乱と悲惨は今日の西欧の世界によく似ている。しかし紀元二世紀の半ばになると、ガンジス河から英国のタイン河までの世界が太平を謳歌している、ギリシャ・ローマ的な文明が武力によって広められた、このインドから英国に至る広大な地域は、このときわずか三か国に分割されて、その三国はほとんど摩擦などすることなしに共存している。」現代論集p73

この三か国とはローマ、パルチア、クシャンの各帝国とのことで、これら帝国を建設・支配したものはギリシャ人ではないが、「ギリシャ愛好者」であることを誇りにしていたとのこと。

この現代論集に載った、「世界とギリシャ人およびローマ人」という文章から言葉を拾ってみると、
その生活は、「理想からは遥かに遠いが」、「それまでの乱暴極まる無政府状態よりも、明らかにずっと望まし」く、「前の時代よりも安全で、そして退屈であることを免れない。」
・・・・しかし、そのせいで寧ろ「人間の心に精神的な空白を生じさせ」、「この空白をどうすればうめることができる」のかが、この世界にとって最大の課題になったことのと。

(iyo )これはどういう意味なのか、引用させてもらっている本人としても、十分に理解できているか怪しいところですが、要するに制度的な外的なことは充分に満たされたが、人間の内的・精神的な面に問題があったということでしょうか・・・・それで、時間をかけた緩やかな「反攻」が始まるのですが・・・・
この反攻は・・・・
「ギリシャ人やローマ人の手から指導権を取り上げ、・・・・それがあまりにそっとだったので、当のギリシャ人やローマ人はその固い手に何も感じなかったから、気づきもしなかった」
「今までとは別な分野で行われたために、それが紛れもない一つの反攻であることにすぐには解らなかった。ギリシャ人やローマ人の攻勢は軍事的な、また政治的な、そして経済的な性質のもので、今度の反攻は宗教的なものなのである。そしてこの新しい宗教的な運動は将来、非常な成果を収めることになるのであるが、・・・・」

・・・・それで、要するにどうなったかというと(説明が難しいので省略・・・・あしからず!)、
「そして、スキタイ人もユダヤ人も、ギリシャ人も、また奴隷も、自由人も、男も、女もなくて、誰もがイエス・キリスト・・・・あるいはミスラス、あるいはクベレ、イシス、または誰か菩薩の一人、阿弥陀如来か観音とともに一体をなす、新しい社会が現れる機会が生じたのである。」

歴史の研究に少しわかりやすい説明が・・・・
「アレクサンドロス時代以後のヘラス人が活気に満ちた非ヘレニック社会の宗教に接触するとともに、この経験がヘラス人の心の中に呼び起こした感情のうちには、聖職者の欺瞞にひっかかる愚かな人間を軽蔑するよりはむしろ、そのような高価な真珠をもっている恵まれた人びとをうらやむ気持ちの方が多く含まれていた。ヘレニック文明世界は宗教的空虚の中にいるという事実に気づき、不安になった。」3-p139

もともとヘレニック文明というのは、「知性が心の役目を引き受けて、宗教の代わりに哲学を編み出すという、全く人間的な性質のもの」現代論集p78 ・・・・でした。
「全く人間的な性質のもの」とは神様不在ということでしょう・・・・ゼウスとかポセイドンだとか、八百万の神は沢山いますが。
西欧文明がキリスト教から離れ始めたのが17世紀、その傾向は第二次世界大戦後まで続いたとのことなので、状況は似てきているのかも(?)

そう言えば、今になって思い出すと、西暦20世紀から21世紀の変わり目で「ミレニアム2000」とか世間でさかんに騒がれたとき、21世紀は心を大切にする時代とか平和な時代になるとか言われてましたが、これからそのような方向へ向かうのでしょうか?
トインビーさんによれば、「それは解らない。われわれにはただ、世界の歴史で一度起こったことは、少なくともこれからまた起こる可能性があるということしかいえないのである。」現代論集p79

「ヘレニック文明が世界の他の地方と出会った劇の筋を、一文で要約してみよう。ヘレニズムは、軍事的政治的知的芸術的な面での攻勢において、世界に対して一時的な勝利を獲得した。世界は宗教的な面で反撃に出て、逆に勝利を収めた。しかも今度はこの勝利の影響は一層永続的なものであった。」現代論集p109


2024年1月30日火曜日

ペロポネソス戦争

 アテネとスパルタ・・・・古代ギリシャの代表的な都市国家(ポリス)ですが、都市国家の数としては、大小合わせて200くらいあったようです。その中でも大きかったのがこの2つ。
新約聖書では、ほかにコリントが有名ですね。

スパルタは「スパルタ教育」の語源にもなっている通り、非常に規律の厳しい国で、最近の世界で言うとソビエト連邦、対するアテネは民主主義が発達し、自由度の高いアメリカ合衆国を思わせます。

ペロポネソス戦争は、古代ギリシャのアテネとスパルタ間の対立から起きた戦争で、前431年から前404年まで続きました。当時としては前代未聞の大戦争で、現代で言えば世界大戦規模です。
単に二国間ではなく、アテネはデロス同盟、スパルタはペロポネソス同盟の盟主だったので、多くのポリス(都市国家)が加わっています。さらにはペルシャまで。
この間、アテネでは疫病も流行し、市民の1/3が亡くなったとも言われています。
結果はスパルタの勝利で終わりますが、この地方全体が疲弊してしまいました。

トゥキュディデスがこの戦争を記録していますが、その冒頭部分も引用しますと、
「アテーナイの人トゥーキュディデースはペロポネーソス人とアテーナイ人との戦いの模様を収録した。両者が戦火を交えると、この戦いが拡大することとそれが過去を通じ最も語るに値するものになることを予測して、ただちに稿を起した。つまり両者が備えのすべての面でその頂点に達して戦いに入った上に、他のヘラス諸都市も両陣営に、ある都市はただちに加わり、他の都市はそれを目ろんでいるのを見て判断したからである。つまりこの事変は実にヘラスと異語族国の一部をも含む、いわば殆どの人々の上にもたらされた最も規模の大きな事変であった。」
*ヘラスとはギリシャ人がギリシャを指して呼ぶ名前
(筑摩書房 世界古典文学全集第11巻 小西晴雄訳 ・・・・本のタイトルは単に「歴史」となっています)

トゥキュディデス自身も元はアテネの将軍でしたが、戦いに負けて追放されてしまいました。トゥキュディデスが青年の頃、この戦争が起こり、その全期間を通じて生きていたとのことで、この戦争を記録しました。(完結してはいない)
このブログでも、「ヤコブ路程・・・・引退と復帰」というところで、トゥキュディデスの名前を挙げていますが、トインビーさんの「歴史の研究」には、軍人として引退し、歴史家として復帰した例として3ページを割いて記述があります。

聖書の歴史展開にも書きましたが、この2国のうち、スパルタを兄、アテネを弟と見立ててカインとアベルに重ね合わせると、非常に興味深く感じられました。

戦争に突入してスパルタが勝利したということは、カインがアベルを殺害してしまった状態で、最終的には失敗の歴史ですが、さらに遡ってこの地域の歴史を調べてみると、食糧問題などでアテネが中心になって厳しい試練を潜り抜けて来たこともわかります。・・・・原理用語で言えば信仰基台は既に立てていたと解釈できそうです!

紀元前8世紀ごろ、ポリス(都市国家)が作られるようになりました。この辺りは土地が痩せていて、農作物が豊富に収穫できるようなところではなく、人口の増加に伴なって食糧供給が難しくなってきました。
そこであるポリスは、イタリアやトラキアやその他海外に農業用の領地を獲得して対処しました。
スパルタはどうかというと、武力では最強国家でしたので、近隣の諸国を攻撃・征服して領土を拡げることにより対処しましたが、執拗に戦争を繰り返すことになり、成果は少なかったようです。
アテネは素晴らしい方法で、この試練を解決しました。輸出を目当てに農作物を栽培し始めたのです。手工業などにもこの方法を応用しました。

トインビーさんの言を借りれば、
「他の諸国が求めた解決の道はすでに閉ざされていたので、アテナイは独創的な解決方法を発見した・・・・すなわち、農業生産物を輸出向きに専門化し、輸出を目的とする製造工業を開始し、さらに、これらの経済革新によって勃興した新興階級にかなりの政治的発言力を与えるような政治制度を発展させた。言いかえれば、アテナイの政治家たちは、経済的政治的変革を首尾よく断行することによって、社会革命を回避したのであった。そして彼らは彼らにふりかかったこの共通の問題に対する解決法を発見することによって、付随的に全ヘレニック社会の前進のための、新しい大道を切り開いた。」/1-p40

食糧問題以外でも、この後に起こったアケメネス朝ペルシャとの戦いでも、この貿易で発展させた得意の海軍力を使って、アテネはスパルタを出し抜いているように見えます・・・・ただ、その後は逆にこれらの実績のせいで傲慢になっていたところもあったようです。(例えば、このブログの「創造性のネメシス」参照)

実際には、大戦によってこの地方は衰退してしまいましたが、もしも(!)・・・・この戦争を回避してアテネとスパルタが(ヤコブとエソウのように)仲良し兄弟になったと考え・・・・(そんな簡単ではありませんが、考えるだけなら自由です)・・・・メシヤを、迎える基盤が作られたとします。
メシヤを迎える準備が始まって、仲良し兄弟成立後(実際には戦争勃発後)400年が過ぎれば、AD31年です。
この時イエス様は35歳前後でしょう(イエス様の誕生をBC5年頃として)
イエス様が十字架にかからずにユダヤ民族をまとめ、ギリシャ地方がイエス様を受け入れていたら、その後の歴史は全く別の方向に進んだことでしょう。

また、ギリシャ地方のお隣にはローマ帝国があります・・・・まだ出来立てです。
それ以前にも共和政ローマがありましたが、オクタビアヌスが初代皇帝となったのはBC27年です。
また、オクタビアヌスの義理のお父さんがジュリアスシーザーです。この方は紀元前50年位に活躍され、北方民族(ガリア地方)を平らげてくれています・・・・これも「準備」だったでしょう。

同じようなことはアレキサンダー大王についても言えるかも。この方は、イエス様が西へ向かっても東へ向かってもいいいように、べらぼうに広い範囲を平らげて下さいましたし、邪魔なペルシャもいなくなりました。


2023年12月28日木曜日

ペテロの成長と変貌

 トインビーさんの著書「歴史の研究」に、イエス様の弟子として歩んだペテロ(シモン・バル・ヨナス)についての記述がありました。どこかの○○派とか言った教えではなく、敢えて言えば「トインビー派の解釈」です。
ペテロは熱心党という当時の政治的宗教集団に所属していました(またはゼロト党とかゼロテ党)マタイ10/4
ローマ帝国の支配に反対する急進派です。

初めに身を捧げようとしていたユートピアを追求している間は、どこか精神的に盲目なところがあって、それが彼のエネルギーを誤った方向に向けさせ、偉大さを覆い隠していた。
・・・長い間迷い、途方に暮れていた魂が、新しい生活態度に転向することによって、ついに自己の最高の可能性を悟ることができるようになった。/10-p189

かれはイエスをメシアと呼んだ最初の弟子であったが、同時に、その後、師と仰ぐイエスから、かれのメシア王国は決してキュロスのイラン世界帝国をユダヤ風に改めたようなものでないことを明らかにされた時に、まっさきに抗議した人間であった。
その直情的な信仰の褒美に特別の祝福を受けた直後に、師の王国のビジョンが弟子の固定観念に合致しなければならないと、頑迷に、食ってかかるようにして言い張ったために、完膚なきまで叱責された。/10-p191

ペテロ:「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません。」マタイ16/22
イエス:「サタンよ引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。」
(ここでの「サタンよ」とはペテロに向かっての言葉)

師の恐ろしい譴責(ケンセキ)によって自分の誤りを目の前に突きつけられた後でさえ、訓戒は大したききめがなく、次の試みに於いて彼はまたもや失敗した。/10-p192
キリストの変貌の三人の目撃者の一人に選ばれたおりに、彼は師のかたわらにモーセとエリアが立つのを見て、ただちにそれを「解放戦争」開始の合図と思い込み、その場に、チウダやガリラヤのユダの徒が、ローマの当局者が彼らの蠢動を知って、彼らを追い散らすために遊撃隊を派遣するまでの短い猶予期間に、よく荒野のなかに設けたような、陣屋の中心を建てることを提案して、幻の意味を散文的に取り違えたことを暴露した。
この耳障りな雑音が入った瞬間に、メシアの道についてのメシア自身の啓示を受け入れよ、という戒めの声を後に残して幻は消えた。

主が預言されたすべてのことが明らかに本当になった主の地上に於ける生涯の頂点に於いてさえ、この徹底した未来主義者はゲッセマネの園で戦うために剣を抜いた。/10-p192
そして彼の主が、彼が再び本能的に暴力に頼ったことを決然として抑えたので、彼は狼狽して絶望的な気持ちから卑劣な裏切りに走った。/10-p192

(iyo )その少し前には、ペテロだけでなく、弟子たち皆が「あなたを知らないなどとは決して申しません」と言っていたのに・・・・マタイ26/35。
「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」マタイ26/56
「『そんな人は知らない』と誓って言った」
「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく鳴いた。マタイ26/72

この彼の生涯における無上の経験をした後、キリストの十字架の死と復活と昇天によって、やっとキリストの王国がこの世のものでないことを悟った時でさえ、依然としてペテロは、この変貌した王国に於いてすら、その国の市民となる権利はユダヤ人だけに限らねばならないと信じたがった。/10-p192
・・・・(中略)・・・・
使徒行伝のなかでペテロが登場する最後の数場面のうちの一つにおいて、彼はいかにも彼らしく、天から降ろされた大きな布の幻とともに聞こえてきた明瞭な命令に意義を申し立てている。

ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。使徒10/14

しかし、ペテロが物語の主役の地位をパウロに譲るのは、パリサイ人だったパウロがただ一回の強烈な精神的経験によって瞬時に感得した真理を、ペテロがやっと最後に悟った話が記されてから後のことである。

ペテロの長い悟りの過程は、屋上の幻の後でコルネリオの使者が門口に到着した時に完了した。
そして、カイサレアのコルネリオの家での信仰告白に於いても、またエルサレムに帰った後、ユダヤ人キリスト教徒の前で行なった、コルネリオの家における彼の行動の釈明においても、ペテロはもはやキリストのとがめを受けるおそれのないことばで神の国を説いた。
/10-p193

2023年9月22日金曜日

歴史から宗教へ(トインビーさんの変遷)

 トインビーさんはとても著作の多い方で、日本でも人気があったようですが、殆どの本は既に廃版のようです。
古本屋などを検索して読みかじっているうちに、その考え・・・・というか価値観の変化が気になりました。

同じ歴史家のマクニール氏が、「歴史の研究」批評の中で、トインビーさんの変化について書いています。
社会思想社 トインビー著作集8 S43年3月5日初版 より 「歴史の研究の基本的想定」

「1930年代の後半、世界の動きが第二次世界大戦の長い影を舞台の上におとしはじめたとき、そして個人的問題が彼の心を暗鬱にしていたとき、かれのギリシア熱はようやくさめはじめた。
ギリシア讃美者トインビーは、漸次宗教者トインビーへと移行していった。
もっとも宗教者といっても、彼を純粋のクリスチャンとするのは当たらないであろう。教団としてのキリスト教の教条と形式主義は、彼の心を反発させた。
・・・・(中略)・・・・
第二次世界大戦の前夜に刊行された部分に、この変貌の始まりが認められる。そして1954年に刊行された最後の部分にいたって、この転換は完成し、その全貌をあらわにしている。
徐々に行われたこのトインビーの回心は、世の悲惨と個人的な悲しみという挑戦にたいする彼自身としての応答であった。」

実際、1954年刊行の部分には、こちらに書いた文章(「神の国」をつくる)が殆ど含まれています(歴史の研究完訳版第15巻)

また、同時に刊行された「歴史家の霊感」という第20巻には以下の文章があります。

「人びとは何故歴史を研究するのか。・・・・(中略)・・・・本「研究」の筆者個人の答えは、歴史家は、幸いに人生に一つの目標をもち得た他の人間と同じく『神を追い求め、神を見出すように』という神の呼びかけのうちに自己の使命を見出したのである、というのであった。」/20-3

「やはり個人的経験から自分一個の意見を述べるに過ぎないが、筆者は、歴史とは、誠実に神を追い求める魂の活動に於て自己を顕示する神の姿・・・・それはおぼろげで、部分的なものであるが、その限りに於いて紛れもなく真実の神の姿・・・・を見ることであると答えたい」/20-4

(iyo )さらに、「歴史の研究」出版以後も変化は進み、その後の著作を見ると、まるで歴史家という看板を捨て、宗教の伝道者として活動を始めたかのようです。
上記マクニールさんが書いているように、もともとトインビーさんは、キリスト教の特定の宗派に属する立場ではなかったのですが、その後はキリスト教にこだわらない方向にまで進んだようです。

「歴史の研究」では、まだはっきりと「神」という言葉を使っています(・・・・と言っても、原語で使用されている単語は未確認です)が、さらにその後は以下のようなことも書かれています。(未来を生きるP313付近)
*「未来を生きる」は81歳時のインタビューをまとめたもの。

「ここで、私の現在の信条について話しましょう。私は、人間が宇宙で精神的に最高の存在ではない、と信じています。宇宙とその背後に、もっと高い存在があると信じているのです。私は、「より高い存在」という回りくどくみえるいい方で話しています。わたしは「神」とは言いません。
・・・・(中略)・・・・
ユダヤ教-キリスト教-回教の見解だけでなく、東アジアやインドの見解をも含めるために、こうした中立的な言葉を使おうと思います。
私は、この存在と交流し、それと調和して生活し、行動したいと欲しています。・・・・(中略)・・・・神人同型同性的形態ではとらえていません。」
・・・・(中略)・・・・
「私は、どんな人格神の存在も信じません。私たち人間が、直接の経験で知っている神の精神は、愛だけであるというのが私の考えです。
・・・・(中略)・・・・
自分が愛によって動かされているとわかった時、私は、自分が正しい精神的針路をたどっていると確信します。
・・・・(中略)・・・・
生きている人であろうと、死んだ人であろうと、他人に対して敵意を感じていると気が付いた時には、・・・・(中略)・・・・自ら恥じ入り、悔い改め、他のことを考えたり、行動したり、感じたりするよりさきに、まず、この悪しき感情を直ちにはらい清めようと努力します。」

また、「平和の条件」というところには(P277)
宇宙の背後にある精神的存在と交わり、私たちの意志をそれと調和させることによって、自己中心性を克服することです。これが平和へのカギです。
私は、これが唯一のカギだと思います。
(iyo )おそらくこれは何らかの実体験から来る確信でしょう。

ちなみに、同書のなかで「モットーは何ですか?」と訊かれ、以下のように答えています。
「私のモットーは『愛に従え、たとえ愛が自己犠牲に導こうとも』でしょう。」

トインビーさんの方向転換は、まさにこれを実践した結果のように見えますし、(詳しいことは知りませんが)この方向転換が進むにつれて、歴史家としての評価は徐々に下がっていったのでは?・・・・と思ったりします。


2023年5月7日日曜日

天国?

 当たり前ですが、天国ってどんなところですか?・・・・と聞かれて、一言で答えるのは難しいでしょう。
これは宗教上の難問題かもしれません。

うちの教会は、どういう点が一致して、みんなが集まってくるのでしょうか?・・・・よくよく考えてみると、寧ろ集まってくる方がおかしいのかも!
曖昧な理解にもかかわらず、その曖昧な天国に行きたがっている。
Aさんの天国とBさんの天国は違う・・・・ひとの数だけ天国がある!

・・・・これだけ書いて感じたことは・・・・話が大きすぎて手に負えない!・・・・ということでした。
・・・・そういう訳で、あまり難しく考えずに進めましょう。

一言で答えなさいと言われれば、やはり「天国は家庭生活の拡大である」という先生の言葉になるでしょう。
あれこれあれこれあれこれあれこれ・・・・(以下、しばらく繰返し)・・・・と説明するより、分かりやすい気がします。

また、「天国は心情の世界である」とも語られています・・・・こちらは「家庭」という具体例が出ていないだけ分かりにくいかも。

・・・・では、「心情」って?

難しい説明は抜きにして、心に響いてきそうな言葉を拾ってみると、

「心情の世界には、発展がない。しかし何度反復しても嫌気のしない世界である。」
「善なる人は、自然を見ても、どこへ行っても、いつでも心情でもって包むことのできるものである。」
「心情の境地においては立派でない人がなく愚かな人がない。」
「心情の基盤が無ければ不幸な者である。」
「心情的な世界は平等である。天国は家庭の拡大であり兄弟愛の世界である。」
「終わりの日には宗教は心情宗教、哲学は心情哲学、主義は心情主義、思想は心情思想で各々解明されるようにならねばならない。」

一方、天国については、

「人を一番愛し、高め、大切にできるところが天国である」
「一つになろう。世の中にいるすべての父母、兄弟、子女を自分の真の父母、兄弟、子女として思えるならば彼は天国の門の鍵をもった者である」
「理想世界は『ために生きる』世界である。」
「中心が人間ではなく神であるゆえに、人間を中心とした理想世界は成就されない。」

(以上は、すべて 光言社発行 み旨の道 1997年12月10日 第32刷発行より)

人間の本郷は、人類が願い、神様が願う所であり、天地が和合して万宇宙の存在が「幸せでうれしい」と言い得るところ、神様が踊りを踊ると同時に、万宇宙が神様を中心として踊れる所です。そのようにできる日を迎える本郷が現れていたならば、今日、この世界は、不幸な世界にはならなかったでしょう。
神様の愛を中心とした息子、娘、すなわち、ひとり子とひとり娘が、神様の愛を中心として完全に一つとなって家庭を築いたならば、その血統を受けて生まれた息子、娘たちは、心と体が一つになっているのです。(真の父母経34ページ)


2023年3月28日火曜日

聖書の歴史展開

 キリスト教の十字架、救い、再臨など、ネットで検索してみても多くの解釈があり、納得できないものも沢山溢れていますが、私が教わった内容は非常にシンプルです。
1.神様はエデンの園で最初の人間を創造したが、その後の成長過程で失敗(堕落)があった。
2.その失敗を取戻すためにイエス様が来られたが、(十字架上で亡くなられたので)完全には取戻せなかった。
3.完全に取戻すために再臨がある。

上記1では、神様が失敗したというよりは、アダムとエバが失敗しました。
2では、イエス様が失敗したというよりは、周辺のユダヤ人達などが失敗しました。
3でもう一度トライするわけですが、一方で堕落世界はどんどん拡大してきました。そのため、本来の世界を取り戻すにも、その規模を凌駕する必要があり、困難さは当初の段階よりもはるかに大きくなりました。

「失敗」などという文字を書き込むと、一般のキリスト教徒からは、「神を冒瀆している」と非難されそうですが、いくら指導者が優秀でも、それだけで全てが完成するわけには行かないようです。
例えば、神様の事情については こちら に少し書いています。

イエス様の言行に対しては、当時のユダヤ人達が自分たちの都合で判断した面もあるようですが、乱暴者とか法を破るものと見える点があったのも事実です。
例えば、マタイ21/12付近では、
イエス様が宮に入られ、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をひっくり返したことが書かれています。 
そして言われました・・・・「わたしの家は祈りの家なのに、あなたがたは強盗の巣にしている」と。

話が横道にそれてしまいました。元に戻して・・・・

旧約聖書には堕落以後、イエス様が誕生される約500年前までの記録があります。
・・・・ということは、聖書の年数カウントによれば約3500年間の記録です(実年数かどうかは???)
人類始祖から始まって、民族を形成し、国が創られ、神殿も出来ましたが、その後もいろいろひどい目に出会って、殆ど滅亡状態になりました。
バビロンで捕虜になっていたところを、ペルシャのクロス大王に救われ、故郷に戻って神殿を建て直しました。
どうしてこんなもんが世界中で読まれているのでしょうか?・・・・考えてみれば不思議ですが、これは堕落による失敗を元に戻そうとする記録で、具体的にはイエス様を誕生させようとする記録です。
誕生まで4000年もかかりました。

人間の時間感覚からすると、神様はかなり気長な方にも思われますが、私が教わったのはそういうことではありませんでした。
実は神様は、堕落後すぐに元に戻そうとする(つまり堕落前の状態に戻そうとする)努力を始めました。

ところで、堕落事件の次に出てくるのが、息子たちの物語です。
アダム家庭には、カイン(兄)とアベル(弟)が生まれましたが、カインがアベルを殺害するという、とんでもない事件が発生しました。
実はこれも元に戻そうとする試みだったのですが、さらに失敗を積み重ねる結果となってしまったのです。

人類の始まりで起こったこれらの事件は神様にとっても想定外だったかも!
「これこれこういうわけで・・・・」と書いてあればいいのですが、聖書は淡々と書かれているので、どこが重要ポイントなのか分かりにくい。

神様はアベルの供え物は受け取られたのに、カインの供え物は受け取られなかったとのこと。
まるで神様がエコヒイキしたのが原因で、カインが腹を立てて殺人を犯したようにも捉えられます。

ところで、兄弟の争いについては、その後にも聖書に書かれています。
この争いを成功裏にまとめ、失敗を取り戻したのがヤコブ(アブラハムの孫)です。
双子のエソウ(兄)とヤコブ(弟)にも同じような状況が生まれてしまい、やはりエソウはヤコブを殺そうとします。
しかし、この二人の場合は仲直りをして、ヤコブはイスラエル(勝利者)という名前をもらいました。

仲直りするまでに、21年もかかっています。
その後、家庭的な段階は終了し、ヤコブの子孫はイスラエルの12部族となり民族を形成するようになります。

これが聖書の1つの公式でしょうか?
「神様は、兄弟どうしを喧嘩させて、仲なおりしたら勝利者として認定する!」・・・・奇妙な公式ですね!

しかし・・・・さらにその後にも、ペレヅとゼラという双子の兄弟も出てきます。
この時は、既に胎中から争っていました。
あっさりした書き方の聖書に、兄弟の争いが3度も出てくるのは何か訳ありでしょうか?
歴史は兄弟関係によって発展するとか?
どこかで言われているような労働者と資本家の争いではないのでしょうか?

これらの兄弟間の事件で、共通して言えることは、いつも弟が兄を出し抜いていることです。
カインとアベルでは供え物の件でアベルが優遇されました。
エソウとヤコブの場合も既に胎内で争っていて、出産時には、先に出てきたエソウのかかとをつかんで弟ヤコブが出てきましたし、その後ヤコブは兄を出し抜いて祝福を受けています。
ゼラとペレヅの場合も、先に兄として手を出したゼラが一旦引き戻されて、弟のペレヅが先に胎を出ます。

神様は弟を愛し、兄を憎まれる!・・・・これが神様の好み?
ここで原理講論から該当箇所を抜き出しますと、
「カインとアベルを、各々異なる二つの表示的立場に立てるよりほかに摂理のしようがなかった」とのこと。
・・・・神様もどうしたらよいか必至に考えた結果のようです。

「二つの表示的立場」というのは、神(善)とサタン(悪)のこと。
本当は堕落直後のアダムに対して、なんらかの処方箋を準備したかったのですが、アダムは堕落の結果、サタンも「これはおれの息子だ!」と言える立場に立っていたため、神様はアダムのことは置いといて、カインとアベルの代から具体的に対処し始めました。
(なぜいつも弟が兄を出し抜く立場にいるか・・・・ここでは省略!)

要するに、アベルを神側の立場、カインをサタン側の立場に立てるのです・・・・かと言って、アベルは善人でカインは悪人というのではなく、あくまでもそのように見立てるということのようです。

ここまでのことは、おもに家庭レベルのスケールですが、拡大してもこのパターンで歴史が動いて行くというのです。
北イスラエルと南ユダとか、民主と共産とか・・・・こういうのは、一人の人間の心の中にもあって、長く人間をやっていると、その影響が出てきます。

ちなみに、神様がアブラハムに供え物(牛、山羊、羊、鳩)をするよう命じられたとき、全て二つに裂かなければならなかったのに、鳩だけは裂かなかったと、わざわざ書かれています。
牛や羊を裂くのは大変だったでしょう。動かすだけでもひと苦労です。
「鳩ぐらい許してくださいよ神様!」と私ならお願いしたいところです・・・・アブラハムも詰めが甘かったんですかね。
これが失敗となって、再度・・・・今度は自分の息子を捧げよ、との大変な命令を受けてしまいました。
(創世記15章、22章付近)

2023年3月18日土曜日

「死人を葬ることは、死人に任せておけ」とは

これは ルカによる福音書9章60節の聖句です。

この時の状況
イエス様がある人に「わたしに従ってきなさい」と言われたとき、その人の父親が亡くなったところだったので「まず、父を葬りに行かせてください」と返事しました。
そのときのイエス様の言葉です。
「その死人を葬ることは、死人に任せておき、あなたは出て行って神の国を述べ伝えなさい」。 

「死」に関連した聖句を拾ってみますと、

創世記 2:17に「善悪を知る木の実は決して食べてはならない。それを食べるときっと死んでしまう」とあります。
神様はウソは言わないと思いますので、この言葉は本当でしょう。
実際には食べてしまったので、アダムとエバは堕落した時点で死んだことになります。
黙示録3/1には、「あなたは生きているというのは名前だけで、実は死んでいるのである」とも書かれています。

あるいは、以下のような・・・・
ヨハネ11/25:「私を信ずる者は、死んでも生きよう」
ヨハネ11/26:「また、生きて私を信ずる者は、永遠に死なない。このことをあなたは信ずるか」 
ルカ17/33 :「命を保とうとするものはそれを失い、失うものは生き続ける」
ロマ書6/23 :「罪からの報酬は死であり、神からの賜物は・・・・」
 
ここでいう「死」には2つの意味があります。
1.一般的に使われる意味での死・・・・肉身が死んだことです。
2.堕落して神様から離れてしまった状態を死と言っています。堕落は人間始祖の時に起きたので、今の人間はすべて死人です。

この聖句にある最初の「死人」は、肉身が死んだ人間(亡くなった父親)、二番目の「死人」は堕落した人間です。
続けて、「あなたはそれに構わず、神の国を告げ広める生命のみちを行きなさい」と言っていることになります。

(以上は原理講論「死と生に対する聖書的概念」付近より)

ところで、ここではお葬式に参加する人たちのことを、実際に見ていないのに死人呼ばわりしています。
この世に生きている人はいないことを前提としているかのようです。
もし天国があるとしたら、死人と呼ばれている人が天国に行けるでしょうか?
天国はやはり狭き門かもしれません。



2023年2月3日金曜日

歴史は繰り返す?

 歴史は繰り返すと言われますが、本当でしょうか。
繰り返すと認められるとすれば、時間的・空間的にどういうスケールで繰り返すのか?

私が教わったところでは、ユダヤ教を中心とした歴史とキリスト教を中心とした歴史では、その出来事に相似性が見られます。
それ以前にもあるのですが、この2つの流れが最も正確に繰り返されています。

聖書の記述をもとに計算すると、アダムとエバ誕生時からイエス様まで約4000年です。
ユダヤ教の信仰の祖アブラハムからイエス様までが2000年。
アブラハム以前は個人・家庭中心の歴史、以降は民族の歴史へ拡大されます。
現代まではイエス様以後2000年なので、合計約6000年になります。

ユダヤ教より前の段階を含めると、大きく3度の繰返しになり、それぞれ一巡するのに約2000年かかっていますが、最初の一巡目での聖書の記述は、一般には受け入れ難い点があります・・・・アダムやノアは900歳まで生きたとか!
・・・・しかし、その時代でもなぜか合計2000年で、年数を合わせています。

神様が人類に働いてきた歴史とも見ることができ、遠いメソポタミヤあたりの個人から始まって、空間的な範囲も拡大し、近頃は日本も含めて世界的に影響を及ぼすようになったと考えられます。

聖書の記述に基づいて年数カウントしますと、以下の対応があります(時代ごとの名前付けは原理講論による)
二巡目(旧約時代)各出来事の年数カウントの根拠は、聖書を追って行くと拾うことができます。三巡目(新約時代)は学校の歴史教科書にも登場する出来事です。

1.「エジプト苦役時代」と「ローマ帝国迫害時代」:年数はどちらも約400年
(旧約時代):ヤコブの家庭がエジプトに引越して定着し殖え広がったが、奴隷として苦役した。 モーセを指導者としてエジプトを脱出し、カナンの地に定着。
(新約時代):イエス様が十字架でなくなり、キリスト教がローマ帝国に広がったが、迫害を受けた。 ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教を国教とすることにより迫害時代終了。

2.「士師時代」と「教区長制キリスト教会時代」:年数はどちらも約400年
(旧約時代):オテニエル、サムソン、サムエルなど15士師がイスラエルを指導
(新約時代):教区長たちがキリスト教徒を指導

3.「統一王国時代」と「キリスト王国時代」:年数はどちらも約120年
(旧約時代):サムエルがサウルに油を注ぎイスラエルの王となった。その後、ダビデ、ソロモンと各40年ずつ担当。
(新約時代):法王レオ三世がチャールズ大帝(カール大帝)にローマ帝国皇帝の冠を授けた。

4.「南北王朝分立時代」と「東西王朝分立時代」:年数はどちらも約400年
(旧約時代):ソロモン王の時代に不信仰がはびこり、北朝イスラエルと南朝ユダに分裂
(新約時代):チャールズ大帝の孫の代で東西フランクとイタリアに三分され、その後イタリアは東フランクの支配を受けた(実質的には二分)

5.「ユダヤ民族捕虜および帰還時代」と「法王捕虜および帰還時代」:年数はどちらも約210年
(旧約時代):北朝イスラエルはアッシリアにより滅され、南朝ユダは新バビロニアによりバビロンへ捕虜として連行され生活。アケメネス朝ペルシャのクロス王によって解放され、三次にわたって故郷に帰還。
(新約時代):法王ボニファキウス八世がフランス王フィリップ四世と衝突。法王クレメンス五世時代に、法王庁を南フランスのアビニョンに移され、フランス王の拘束を受けながら生活。法王グレゴリー十一世の時代にローマへ帰還。

6.「メシア降臨準備時代」と「メシア再降臨準備時代」:年数はどちらも約400年(?)
(旧約時代):バビロンの捕虜の立場からエルサレムに帰還。律法を研究。信仰の刷新運動をしてイエス様を迎えた。
(新約時代):宗教改革以降。信仰の新しい道を開拓。再臨主は?



余談ですが、作曲家のベートーヴェンも、「我々の星に人間の意識が生まれてから五千八百十八年たつ」と言っています(BEETHOVENさんは、1770-1827の間、地上に生存されています)
ベートーヴェンさんも聖書から計算したのかも知れません!・・・・彼は、こういう足し算は苦手だったのではないでしょうか・・・・にも関わらず、これがベートーヴェンの言葉として残っているのですから、何回も検算して確認したかも!










2023年1月4日水曜日

洗礼ヨハネの不信

 一般の聖書解釈と原理の大きな相違点の一つが、洗礼ヨハネに対する評価です。

一般の聖書解釈では、洗礼ヨハネはイエス様をメシヤと証した立派な人物となっていますが、原理ではイエス様の行く道を遮った最も大きなつまづきの石と解釈しています。

一旦は証したのですが、その後、不信に陥ったというのです。

証した聖句は分かりやすいですね
「わたしはその人のくつのひもを解くにも値しない」とか、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とか、「このかたこそ神の子である」(ヨハネ1/29付近)・・・・など、イエス様を讃えています。

一方、不信した聖句は
1.「彼(イエス様)は必ず栄え、わたしは衰える」(ヨハネ3/30)
2.「『きたるべきかた』はあなたですか。それとも、ほかの誰かを待つべきでしょうか」

1については、もし行動を共にしていたらこういう言い方はしないだろうというのです。
出生時には洗礼ヨハネの父親(祭司ザカリヤ)が、
「生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださる」と預言しています。(ルカ1/75)
本当にイエス様に侍るなら、こうは言わないし、一緒にいて一番弟子になるでしょう。

2について、
洗礼ヨハネは一旦証したのですが、その後イエス様がメシヤであるという確信をなくしてしまい、弟子を遣わして確認させています。
イエス様は「そうだ!」とは言わずに、少し遠回りして応えました。
イエス様の回答は
「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見、足なえは歩み、らい病人は清まり、耳しいは聞こえ、死人はよみがえり、貧者は福音を聞く。わたしにつまずかない者は、さいわいである」(マタイ11/4付近)

さらに、洗礼ヨハネがつまづきの石になったのは、自分自身が何者かわからなかったためです。
人々が洗礼ヨハネに「あなたはどなた?」と質問したのに対して、
「わたしはキリストではない」と言い、エリヤでもない、預言者でもないと言っています。
そしてわけの分からないことを言いました・・・・「主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声」だとか(ヨハネ1/20)

では、イエス様はなんと言ったか、
「この人こそは、きたるべきエリヤなのである。」(マタイ11/14)

当時の洗礼ヨハネは有名人で、出生当時から奇跡が起きて国中に知れ渡っていましたし、メシヤではないかと間違えられる程の人物。

対するイエス様は、名もない大工の息子。しかも安息日は破り、神殿の屋台を覆し、取税人と遊女がお友達!

どちらが信用されるかは決まったようなものです。
先に来るはずのエリヤがまだ来ていないのに、何故メシヤが来るのかという疑問も当然です。

神様もひとこと「あんたがエリヤだよ!」と言ってくれればいいのに、自分で悟れというのは難しいかも知れませんし、それを人前で発表するのは勇気もいるでしょう。
先生の講話から探せば、「エリヤとしての自覚性」ということでしょうか。
原理講論では、洗礼ヨハネが不信するようになったのは獄に入ってからとなっています。
簡単に言えば、ぼけちゃったのです。・・・・と言っても、ボケ老人などと言う場合の「ぼけ」ではなく、考え方が世俗的になったということのようです。

ちなみに、イエス様の言われたこの聖句・・・・
「女の産んだ者の中で、洗礼ヨハネ以上の者は現れなかった。しかし、天国で最小の者も、彼以上である。」マタイ11:11

これについても回りくどい解釈をしているようですが、原理の解釈はストレートです。
最も近しくイエス様を証すはずの人が不信してしまったので、最も小さい人になったのです。

つまらない怨みから投獄され、ヘロデ王に首を切られて死ぬなら、イエス様と共に行動し、となりで十字架についた方がずっと良かったのでは?・・・・いや、洗礼ヨハネがイエス様と一緒に行動したら別の道があったかも!

2022年12月20日火曜日

被造世界を創造するのにどれくらい大変だったか

 以前、プログラミングの世界に「使って天国、作って地獄」という言葉がありました。
操作する人間の側の使い方が細部にわたって予測・研究されていて、非常に使いやすいシステム(プログラムとかアプリとか)は、それを作る側としては非常に大変(地獄)だというのです。
出来上がった動作から造る立場を類推する人は少ないし、どのようにして出来上がるのかその過程まで考える人は少ないと思います。

被造世界を創造するのにどれくらい大変だったか。
旧約聖書の創世記には七日で世界を造ったと書かれています。
神様は全知全能とか、万能とか言われます。
この被造世界を造ったとすれば、人間の目から見れば全知というのはありかもしれませんが、全能とか万能というのはどうなんでしょう?
誤解を受けて迷惑しているのではないかと時々感じることがあります。

個人的な考えですが、被造世界の想像はとても大変・・・・その程度は神様としても不可能に思えるほど・・・・だったろうと思います。
聖書の七日で造ったというのはもちろん譬えでしょう。
どうすればできるだろうかと神様も真剣に考えたと思います。
物質世界だけでなく、喜怒哀楽のような感情までつくり出して、人間や動物に与えるとなると、想像することすら難しい。

最近、ネアンデルタール人とホモサピエンスのDNAを調べてノーベル賞をもらった人がいました。
それで人類進化の過程がわかるとか・・・・私は進化論者ではないので納得してはいませんが!
この宇宙ができるには何十億年もかかっているとか・・・・この点は疑っていません。
ただし、造ったのは神様です。
そして、神様といえども何十億年(あるいはそれ以上)もかかったと受け止めています。

ほかにもピテカントロプスとか、アウストラロピテクスとかいろいろいますが、何故いるのか?
ネアンデルタールがホモサピエンスに進化したというのは間違いで、ネアンデルタールは神様の1つの試作品として造られ、それを人間として認めるには不合格に終わったとも思えます。
ネアンデルタールで試したことをさらに改善してホモサピエンスを造れば、進化したようには見えますね。
神様だって何度もトライして頑張ったのです・・・・神様がそのような性質を持っているので、人間にもそのような性質があるのです。

どうやったら効率的に且つ確実に造れるだろう?
バラ科というのをネット検索してみると、バラ科には、バラだけでなく、サクラやウメ、ビワ、ナシなどその他沢山の種類が含まれます。
最初に基本となる設計図を作って、実体化させます・・・・バラができます。
さらに設計図の一部(属性)を変化させながら、別の個体を造る・・・・そうすると、もとはバラと言っても、その先にはビワが出たり、サクラが出たりしてツリー構造の組織体系になります。
神様もどうやったら無駄なく最短時間でできるのか真剣に考えてたどり着いた一つがこの方法かも。

あちこちの分野で同じような手法が使われています。
プログラミングの世界にも、オブジェクト指向というのがあって、似たことをやっています。
世界中のプログラマは神様の後を追いかけているのかもしれません。
自分でもプログラミングしていて感じたことがあります・・・・神様と言えども、ドラえもんのポケットみたいに簡単に創造したのではなく、どうやったら無駄なく最短時間でしかも理路整然とできるのか真剣に考え抜いてたどり着いたのがこの方法なのかな?・・・・と

聖書の創世記では、神様は始めに光や宇宙や地球を造り、水や陸地も造り、最後に(六日目に)人間を創りました。
先に、人間が生きるのに適した環境を準備して、最後に人間を創ったと考えられます。
そしてすべてのものを治めよと言われました。
・・・・ということは、最終的に創りたかったのは人間でしょう。

ところで、創世記では僅かに最初の2章だけを充てて、天地創造開始から堕落前のことまでが書かれています。
第1章は、宇宙や地球、自然界などスケール雄大な世界の創造過程が殆どですが、途中から第2章にかけては人間の創造です。

個人的にですが、特に神様の期待と喜びが大きく感じられるのは、第2章19節付近で、神様はアダムと親しく会話し、エデンの園にある全てのものについての命名権をアダムに与えています。(創世記2:19)
わざわざこういう記述があるのを見ると、神様も人間が可愛くて仕方がなかったのではないでしょうか。
この時点では、神様にとっても楽しみなエデンの園の出発だったでしょう。
・・・・神様も親バカですね!


マッチング

教会の合同結婚式は、日本でも非常に有名になりましたが、マッチングの方法は変化してきています。
ごく初期の頃は、対象者となる男女が1箇所に集まって、実体で一人ずつ相手が選ばれました。
最終的には推薦された相手と話し合って決めたようですが、その場ですぐ断るというケースは殆ど無さそうです。
しかし最近は、そのようなパターンは少なくなりました。
現在では、昔の見合い結婚に近い方法で相手を決めることが多くなっています。
デートの場なども本人たちの意志で何度も設けています。

始めは親どうしが連絡し合って先に顔合わせし、その後に子どもたちを含めて会うことが多いのですが、今ではなかなか決まらず、何度も見合いする方もいるようです。
うちの子の相手探しをした時に、相手の家庭で起こったこと・・・・相手の両親が信仰熱心なため、思い込みで進めてしまい、土壇場になって子どもの方が本心を言う。
子どもとしては、当初は親の気持ちを傷つけたくないので、従順なのですが、やがて断り切れなくなる。
親たちは長年信仰生活をして安定していても、案外子どもの気持ちは理解していなかったりします。

ところで、マスコミの報道など見ていると誤解されがちですが、教会では男女関係の乱れを一切認めません・・・・これは教理から考えれば当然のことです。昔の言葉で言えば品行方正!
人間堕落がここから始まったと説いていますし、すべての罪の元になっているのが、この原罪であると説きます。
教会では一つの建物で団体生活をすることが多いので、勝手な憶測から根も葉もない噂が飛び回ったこともありますが、この点は完全な誤解です。
異性に対して触れることはありません・・・・相手がまったくの部外者の場合や、公的な場面で一般的・常識的な儀礼を無視するわけには行かない時など、やむを得ないこともありますが、信徒どうしではポンと肩を叩いたり、握手することすら殆どありません。
車で異性を送る場合なども、席が空いていれば、普通は横に座るのではなく、後ろの席に座ってもらいます。
祝福を受けてから度々教えられるのは、「自分の奥さんだけが女性で、ほかはダイコンやカボチャと思え」とか!
男性と女性はあくまでも1:1が原則・・・・それが相手を最も大切にできる方法でしょう!

・・・・では、普段の生活ではどうなのか?・・・・話をするなというのではありません。異性として見ずに兄弟姉妹として見る、あるいは親として、息子として対するということです・・・・議論して言い争いになったりするのはもちろんOK、この点は大いに推奨しています。
・・・・なので、稀には間違って駆け落ちのようなことも起こります!・・・・そうなったら真っ向から教理に反するので、特に懲罰があるわけではありませんが、そのまま居座るのは当然難しくなります。
男女は、いつかは結婚することを前提として創造されているので、いつまでも独身でいろというのではありません。
神様も一緒に結婚式に同席してお祝いして下さる時が来るというのです。

ところで、はなしが少しずれて来たのでもとにもどしましょう・・・・
私のマッチングはどうだったかというと、実体で出会う前に相手が決まりました。
上司から「決まりましたよ!」と言われて、何のことかと思い「何が?」と聞き返しました。
その後で、相手の写真を見せられて「あ、そうですか・・・・!」でした。

それで、どんな相手が選ばれやすいのかについてですが、様々ある中で自らの経験としては以下の2点です。これが最も多い傾向のようです。
1.顔が似ている
2.性格は正反対
どちらも時間をかければ、ある程度は確認できることですが、前もってそのような下調べをするとは聞いたことありません。
友人から聞いたところでは、写真を見ながら先生がすべて決めたとか・・・・1組あたり数秒とか、数十秒とか!

それから実際に家庭を持つまでの日数はまちまちで、一旦OKはしたもののその後葛藤が出てきて、時間のかかる場合もあります。
家庭を持つ直前には、信徒たちの前で挨拶・自己紹介をするわけですが、私たちの場合もすぐに笑いが起きました。
その理由は上記1です。しかも、その後よく分かりましたが、性格は正反対でした。
子どもが生まれてからは「あそこは三つ子だ」と言われたことも・・・・!

「相手は人間で異性ならばだれでもいい!」・・・・これは一般に言われる意味とは別の意味で本当のことです。
どんな相手でも幸福にしてみせる・・・・という意味で誰でもいいわけです。
しかし、相手は必ず一人です。
今の時代は、男も女も無数にいるし、テレビなど見ていると美形が殆ど!・・・・相手選びも大変でしょう。
エデンの園のことを考えてみると、神様はアダムとエバしか創造されませんでした・・・・相手は一人だけですから選択の余地は無し!
一般の結婚に比較して、教会の結婚は離婚率が非常に低いというのは本当のようです。