2024年12月29日日曜日

文明の成長の基準(最適な挑戦と応戦)

 中学校の頃だったか、ローマ帝国の最大領土は、ハドリアヌス帝(五賢帝の一人、在位117~138年)の頃と教わり、その時期が帝国の最盛期と思い込んでいました・・・・当時としては、なるほどと納得してもしかたないかも。

歴史の研究の第三部に「文明の成長」というのがあります。
そのなかで、「地理的拡大」や「技術の向上による自然環境征服の増大」が文明成長の指針となるかについて、いくつもの例を挙げながら検討します。
もしそのような尺度で成長や衰退が判断できれば、簡単でわかりやすく、とても便利です。
ところが、その結論は、

(A)地理的拡大
「衰退に付随して起る現象であり、ともに衰退と解体の段階に相当する動乱時代、もしくは世界国家と時期が一致する。」 1-p322
「・・・・ほとんどすべての文明の歴史が、質の低下と時間的に一致することを示す実例を提供する。」1-P325
「地理的拡大は社会的成長とは相関関係がなく、反対に社会的解体と相関関係がある」 /5-p207
「われわれは地理的拡大を社会的病弊と見做してさしつかえなさそうである。」/5-p225

(B)技術の向上による自然的環境征服の増大
「技術の進歩と文明の進歩との間に相関関係がないということは、文明が停滞の状態にあり、もしくは退歩した時期に技術の進歩した、以上すべての事例において明らかに看守される。」 1-p332 
「技術の発達の歴史は、地理的拡大の歴史と同様、文明の成長を測る基準を提供することができない」 1-335
「軍事技術の進歩は必ずとは言えないまでも、概して文明衰退の兆候であると結論して差支えないであろう。」/5-p245

結果はどちらも否定的なもの・・・・というより、寧ろその反対でした。

トインビーさんは「挑戦と応戦」という考え方で、文明の成長を説明していますが、どのような挑戦と応戦が文明を成長させるのか?・・・・文明の発生・成長にとって最適な挑戦とはどのようなものかを検討し、以下のような結論を下しています。

「最も大きな刺激を与える挑戦は、きびしさの過剰ときびしさの不足との中間の度合いの挑戦であることを発見した。不十分な挑戦は挑戦された人間を全然刺激しないだろうし、反対に過度の挑戦はすっかり士気を挫いてしまうおそれがあるからである。」1-p318
・・・・この表現だけでは、あまりにも曖昧で当たり前・・・・「そりゃあそうだわ!」で終わってしまいます。「歴史の研究」を出版し始めた当時は、文明が発生・成長した地域とそうでなかった地域の違いについて、今から考えると「あほらしー!」と思えるような説もあったようで、「広頭種族」とか「長頭種族」などという言葉も登場します。

これらを論破しながら、それぞれの文明を細かく分析しながらの結論が上記のものです。
「逆境の効能」、「困難な地域の刺激」、「新しい土地の刺激」、「打撃の刺激」、「圧力の刺激」、「迫害の刺激」というような見出しもあって、それぞれ丁寧に例を出しながら検証を進めます。
では、「被挑戦者がかろうじて対抗しうる程度の挑戦はどうか?」1-p318・・・・離れわざを呼び起こす傾向があるが、発育停止をもたらすことにもなる・・・・例えば、エスキモーとか古代ギリシアのスパルタ、オットマン帝国の軍隊(イェニチェリ)など。応戦はしたのですがそのまま固まってしまい、「発育停止文明」と言われます。・・・・時々、人間の中にも見かけるような!

その結果、見つけ出した最適の挑戦・・・・
「真の最適の挑戦とは、被挑戦者を、ただ一度の応戦に成功するだけでなく、さらに一歩前進するはずみがつくように刺激する挑戦、一つの事業の完成からまた新たな努力へ、一つの問題の解決から他の問題の提起へ、陰からふたたび陽へと前進するように刺激する挑戦である。」1-p319,/5-p179

その例も幾つか挙げられていますが、ここでは2つだけ・・・・
1.封建制度の例
「西欧人の祖先がスカンジナビア人の襲撃を撃退することに成功したさい、かれらがこの人間的環境に対する勝利をかち得た手段の一つは、封建制度という強力な軍事的・社会的道具を作り上げることによってであった。ところが、西欧社会の歴史の次の段階では、封建制度の結果生じた階級間の社会的・経済的・政治的分化がさまざまな軋轢をひき起こし、今度はこの軋轢が成長期の西欧社会の当面した次の挑戦を生み出した。西欧キリスト教世界はヴァイキング撃退のための努力からほとんど休みひまなく、次の、階級間の諸関係から成る封建制度の代わりに、主権国家とその個々の市民との間の諸関係から成る新しい制度を確立するという問題の解決に当たらねばならなかった。この、あいついで起こった二つの挑戦の例において、外的領域から内的領域への行動範囲の移動が明らかに看守される。/5-p284

2.ヘレニック文明の成長・挫折の例・・・・古代ギリシア成長のための三度の試練(挑戦)

さらに、成長についての以下のような結論
「われわれは、相次いで現れる挑戦に対する一連の応戦が成功をおさめる場合、挑戦-応戦の連続が進行するに連れて、行動の領域が、自然的環境と人間的環境の別を問わず、しだいに外的環境から、成長しつつある個人もしくは文明の内面に移行して行けば、それを成長の表れと解してよい、と結論する。
個人もしくは文明が成長し、かつ成長し続ける限り、外的な勢力によって与えられ、外的な領域における応戦を要求する挑戦を考慮におく必要はしだいに減少してゆき、内的領域において、みずからがみずからに対して加える挑戦を考慮におく必要がますます増大してゆく。
成長とは成長する個人もしくは文明が、しだいにみずからの環境、みずからの挑戦者、みずからの行動領域になってなってゆくことを意味する。
言いかえれば、成長の基準は自己決定の方向への進歩である。そして、自己決定の方向への進歩とは、生命が生命の王国にいたる奇跡を言い表す、散文的な表現である。」 1-p350

ついでに完訳版の該当箇所も挙げますと・・・・
「われわれは、挑戦と応戦が進行するにつれて、活動が外的環境・・・・自然的、人間的のいずれであるかを問わない・・・・から成長する人格或いは成長する文明の内部に転移するならば、連続する挑戦に対する一連の成功した応戦は、成長の現れであると解釈する見解を支持することができるであろう。これが成長し、成長し続ける限り、それは外部の敵によって与えられ、外部の戦場に於て応戦を要求する挑戦をますます考慮に入れることが少なくなり、それ自身によってその内部に提出される挑戦をますます重く見るようになる。言い換えれば、成長の基準は自己決定への前進である。そして自己決定への前進とは、それによって生命がその王国に入る奇蹟を説明する散文的な図式である。」/5-p311

「活動分野の転移」という部分では、以下の説明も。 /5-p278
「挑戦は外部から入ってくるのではなくて、内部から発生するのであり、そして挑戦に対する応戦の勝利は外部的障害の克服、或いは外部的な敵に対する征服という形をとらないで、内面的自己表現もしくは自己決定のうちに現れるのである。われわれが継起する挑戦に対して個人または社会が次々に応戦するのを観察して、挑戦に対する特定の一連の応戦を成長の現れとして解釈すべきであるかどうかを考察する時、この一連の挑戦と応戦を通じて、活動が前述の二つの分野の第一のものから第二のものに転移する傾向があるかどうかを観察することによって、われわれの疑問に対する解答に到達するであろう。この傾向があるかないかが、成長があるかないかの基準になるのである。そして、問題になるものは常に傾向であるということを付言しておく必要があろう。何故ならば、われわれが厳密に検討する時、これらの二つの分野の一つに於てのみ挑戦と応戦がおこなわれる実例を上げることは不可能であることが判るからである。一見したところ、外的環境の征服であるとしか思われないような応戦に於てさえ、内面的自己決定の要素が常に看守されるのである。また反対に活動の舞台の内面的分野への転移が極度に進んだ時でさえ、外面的分野に必ず何らかの活動の残滓があるのである。/5-p279

なるほど、成長についてはわかりましたが、素朴な疑問が残ります。
それで・・・・挑戦と応戦はいつまでやればいいんでしょう?

以下は「神の国をつくる」にも載せた文章ですが、
「人間は神と交わっていない時には、その本来の社会性と衝突する不和に陥るだけではない。
人間はまた社会的被造物であることに内在する悲劇的な難題によってさいなまれる。
そしてそれ故その難題は、人間が唯一の真の神が構成員として加わっていない社会で自分の役割を演じようとする限り、人間の社会性の道義的要請に近づくことに成功すればするほど、より尖鋭な形で現れる。
この難題とは、人間が自分自身を完成する社会的行動は、地上における個人の生活の限界を、時間的にも空間的にも、はるかに越えるということである。」/15-p229

早い話、「神様ぬきでは無理だよ」と言っています。確かに上記例2つを見るだけでも、より尖鋭な形で現れてくるようです。

トインビーさんは、「神様と仲よくすればできるよ!」と言っているようです・・・・神様ってどれぐらいすごいんでしょう(!)

「意志の調和があり得る唯一つの社会は、二人もしくは三人---もしくは二十億人、三十億人---が神の名に於いて神を中心に集まっている社会である。
神が造った人間ならびに唯一の真の神を包含する社会に於いて、神は無類の役割を演じる。
神は各人間構成員と神自身との関係の一方の当事者である。
しかし、このために神はまた各人間構成員と他のすべての人間構成員との関係の当事者でもある。
そして人間の魂に神自身の聖なる愛を吹き込むこの神の参加を通して、人間の意志は和解することができるのである」/15-p226

「唯一の道徳的に耐えることのできる行動領域は『神の国』である。
そして、地上に於けるこの『神の国』の市民となる機会が、高等宗教によって人間の魂に提供されている」2-p494




2024年12月17日火曜日

「絶対服従」という言葉

 うちの教会の言葉を部分的に切り取って、一般に流通している意味として理解されると困る言葉があります。

私にとってその筆頭が「絶対服従」・・・・もし自分が教会に通うようになった初期の時点で、この言葉を聞かされたら、つまずいて通うのをやめたかも知れません・・・・人によっては非常に大きなつまづきの石になりそうです。

「自己否定」という言葉なら以前からありますが、これは自分の悪い所を正すというような意味で、宗教でなくても一般に使用される言葉です。

財産を捨てて出家する場合などにも、過去の自分を清算するというような意味で使われたり・・・・。

「絶対服従」という言葉が出てきたのは、私が教会通いを始めたよりもかなり後のことで、個人的には非常に驚かされました。
ただ、その時点では信徒になってある程度の年月が経っていたので、それほど悪い受け止めはしませんでした。
「この言葉は、普通の日本人が認識しているような意味で使っているのかな?」と思いましたが、どうやらそうでは無さそうです。

先生の講話では以下のようにあります。(天聖経1356~7ページ付近)
「服従には自己意識がありません」
「自らの意識観念がなかったということです。完全にゼロ、完全に無」 
「神様御自身が、絶対信仰をもって愛の相対を造りました。『わたしがこのようにすればこうなる』と考えたあとに造ったのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、自分自身を完全に投入したのです。」

普通、日本で服従と言えば、心では逆らいながらも強制的にに従わされるという意味あいが強いので、それとは違った状態ですね。
こういうのは別の言葉に訳するのが良かったのではないかと思いますが、うまい言葉が見当たらないかも・・・・!

今では、「相手のことを大切に思い、我を忘れてつくす」と解しています。
例えば、親が幼い自分の子に対する場合のような状態です。

「ウラミ」という言葉なども誤解されがちかも・・・・「怨」と「恨」

2024年8月3日土曜日

霊的な感動と音楽

 「はじめに」にも少し書きましたが、クラシック音楽とのお付き合いはかなり長く続いています(聴くだけです!)
聴いていて「霊感とはこんなに気持ちのいいものか!」と最初に感じたのは、ベートーベンの後期弦楽四重奏曲でした。
学生時代にクラシック音楽を聴き始めたのですが、おカネがなかったので、初めは図書館から借りて来たLPレコードを繰り返し聴きました。
それ以降しばらくの間は、クラシック音楽の最高峰は、この一連の弦楽四重奏であると信じて疑いませんでした。
考えてみると、聴かずぎらいでオペラなどには殆ど耳を貸さず、ワーグナーなんて親の仇みたいに思っていたような!・・・・聴いた曲も多くは無いし、そんなこと言えるはずもないのですが・・・・。
*後期弦楽四重奏というと、番号で言えば12番以降です(番号のついているのは16まで)

一般にも、「ベートーベンの最高の作品はなに?」と尋ねられて、「後期の弦楽四重奏群」と答える人は案外多いようです。たしか、高校時代の音楽の先生もそんなことを言われていました。
さらに、演奏形態別にベートーベンの主要な3つの柱は、交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲である点も、異論はないでしょう。
その3つの柱別の最高峰は言えば・・・・ここは個人的な意見で好みにもよるでしょうが・・・・すべて終りのほうに集中していると思います。ベートーベンほど、年齢と共に成長し続けた作曲家も珍しいでしょう。
見方によってピアノソナタは「熱情」や「ワルトシュタイン」、交響曲なら「英雄」や「運命」など中期の作品を重視する方もおられると思います。そういう私も、「一番良く聴いたピアノソナタは?」と訊ねられたら、ワルトシュタインになると思います。

ところで、曲は立派でも演奏が下手では話になりません。有名な曲になると、殆ど同じ楽譜を用いた演奏でも星の数ほど出ていますし、同じ演奏家でも思い入れのある曲になると、何度も録音し直したりします。他の分野でもあることですが、クラシック音楽の場合は際立った特徴と言えるでしょう。

ある指揮者・・・・アメリカ人で最初の大指揮者と言われました・・・・それだけで「ああ彼のことだな」と分かってしまう方もおられると思います・・・・ミュージカル「ウェストサイドストーリー」の音楽も作曲しています。
・・・・そのアメリカ気質のせいか、クラシック音楽とは必ずしも相性のいいところばかりではなく、率直な性格が仇となって表現の深みにイマイチの感があり、一時はスランプに陥っているようにも見受けられました。
その後しばらく時を経て、ユニークにも彼が演奏する後期弦楽四重奏のオーケストラ版LPレコードを店頭で見かけました。後期弦楽四重奏曲をオーケストラで演奏するというのはあまり聞いたことありませんし、この人の以前の演奏スタイルからは似合わない曲目です。その演奏を聴かずとも、「おー、この人変わったんだな!」と思いました。

中でもベートーベンの曲は精神面で闘いのある曲が多いですね。例えばモーツァルトなどは、楽しい悲しいで音楽が展開するのに対して、ベートーベンは嬉しい苦しいで展開することが多いようです。
人間の努力を強調しているようにも聞こえてきます。(・・・・この点は、うちの教会と通じるところがあるような!)
ベートーベンはキリスト教?・・・・「そうです」とは答えられますが、特に宗教色が強いわけでもなく、作曲した宗教音楽も多くは無いので、敢えて言えば「ベートーベン教」というのが適切かもしれません。
芸術ですから美を追求するのは大前提として全ての作曲家に共通するでしょうが、その中でベートーベンは善を追求する傾向が強いかたです・・・・そのせいか、特に若者には良い影響を与えてきたと思います。

実は私もモーツァルトのほうを良く聴いた時期もありましたが、学生時代ののんきな時はモーツァルト、会社へ就職していろいろとたたかいの多くなったときはベートーベンでした。
モーツァルトを聴いて泣くというのはあまりありませんが、ベートーベンにはよく泣かされることがありました。
先生の言葉の中にも「天国は地獄を通過していく道」という恐ろしげな言葉がありますが、交響曲の第五や第九も闘ってやがて勝利するストーリーです。
・・・・もっともショスタコーヴィッチの第五(革命)もそうでした!・・・・当時、ソ連共産党が絶賛したとか。
ベートーベンの場合、ツンボになった作曲家ですから、自分自身も闘って克服する道を歩んでいます。

しかし、後期弦楽四重奏の場合は、それをさらに通り越したような面も見られます。
喜怒哀楽というような、言ってみれば「肉的な感動」というよりも「霊的な感動」・・・・厳然とした(?)・・・・なんと言いますか・・・・「感動しない感動」というか、勝手に感動のほうからやってきます。

この時、さらに不思議な体験をすることがよくあります・・・・感謝して聴くとさらに感動の度合いが増してくるのです。
当初、その現象が何故起こるのかよく分かりませんした。
では近ごろは?・・・・今もやっぱりわかりませんが、それでも以下のような先生の講話の断片を思い浮かべることが多くなっています。
「中心が人間ではなく神であるゆえに、人間を中心とした理想世界は成就されない。」
聴きながら、「この曲素晴らしいですね!」と、こころで話しかけるように聴いたりするのです。
作曲したのはベートーベンですが、被造世界の主催者はやはり神様であることを改めて感じるわけです。

教会ではルーシェル、ミカエル、ガブリエルが三天使長と言われます(ルーシェルは堕落してサタンとなっています)
この順番で知・情・意をつかさどっているとか。
ところで、クラシック界の最も良く聴いたビッグ3を挙げると・・・・私にとっては、バッハ、モーツァルト、ベートーベンです。
この順番で年齢順に並んでいますが、後ろのお二人は生きて出会っています。
また、性格的に見るとやはりこの順番に知・情・意で並んでいます・・・・まさに三天使長のようです。
作品の特徴も一言で言えば、どこかの本(?)にもありましたが、この順に真・美・善を代表するような音楽になっています。
教会の修練会などに参加し、阿呆鈍感状態(詳細はこちら)が一時的に緩和されるせいか、帰宅して音楽を聴いてみると、自分でも驚くほど感動したりするのですが、中でも一番感動するのはバッハ、次がベートーベン、その次にモーツァルト・・・・霊的感動の度合いという観点から見ると、ほかにもいるのですが、3人中ではこの順番(・・・・この順に優れているという意味ではありません)

バッハという作曲家は、私としてはこの三人の中では寧ろ馴染みにくいというか、相性がイマイチなのか、はじめのうちは聴くことも少なかったほうですが、こういう時はまるで原理そのものが動き回っているように聞こえてきます。
若き日のベートーベンも、バッハの「平均律」をよく練習したそうですが、私もよく聴くようになりました(・・・・聴くだけです)
知的な作曲家というなら、ドビュッシーも!・・・・という方もおられるかもしれませんが、バッハとドビュッシーでは、しょせん「たま」が違います。上記の三人は私にとっては神の領域ですが、ほかの方々は人間です。

以前、バッハ作曲の無伴奏チェロ曲を朝の起床の音楽に選んだことがあったのですが、それがもとでうちのカミサンから怒られました。
「どうしてこんなギーコギーコをかけるのよ!」と・・・・1930年代くらいにモノラル録音された演奏でした。
この曲はチェロを演奏する人から見れば、聖典(名曲中の名曲)のようなもので、録音も沢山出ています。一方、この演奏はその中でもかなり古いもので、最も「ギーコギーコ」の程度が高いかも知れません。
この「ギーコギーコ」演奏のヌシは、パブロ・カザルスと言って、チェロ奏者として当時は神様扱いされた方でした。
風貌は頑固じいさんそのもの!・・・・その演奏は・・・・それがそのまま音楽化したような!・・・・だけではなくて、この方を論ずるときには、よく倫理的な生き方についても触れられます。第二次大戦でのナチスドイツに対する対応や、自国スペインのフランコ政権に対する対応などにも、よく語られるエピソードがあります。

善・悪という観点から音楽を見る人は少なめでしょう。
美という観点が優先されがちな分野ですが、現世は手放しで浸れる時代にはなっていないように思います。このことは、カザルスさんが教えてくれたような・・・・。
因みに、国連で平和のためのコンサートを行ったり、ホワイトハウスに主賓として招かれて演奏したこともあります。

最近は聴く機会も少なくなって、まともな再生装置も持ってませんが、音楽にはとてもお世話になったと感じています。






2024年7月4日木曜日

民主主義の落とし穴

 「偶像崇拝」と「民主主義」については他の場所にも書いていますが、ここでもそれらをふまえて率直に(!)書いてみることにしました。(他の部分で引用した文も重複しています)

まず偶像崇拝についての定義・・・・トインビーさんによれば、
「全体ではなく部分、創造主ではなく被造物、永遠ではなくて時間に対する、知的ならびに道徳的に半ば盲目的な崇拝であると定義することができよう。」/8-p31

「偶像崇拝」をネット検索してみると、非常に分かりやすい説明となっています。要するに偶像の崇拝です・・・・!
それに対し、上記トインビーさんの定義は、かなり広義に捉えていて分かりにくいですね。
この定義だと、神様の存在を認めていない人は偶像崇拝に陥りやすいとも言えそうです。
さらに神様を認めているとしても、旧約聖書に出てくるような「バアルの神」「アシラの神」のような崇拝は文句なしの偶像崇拝ですし、以下にも書いていますが、共産主義やファシズムのようなものも偶像崇拝と言えそうです。
どれほど多くの人間が偶像崇拝していることか!

キリスト教的に見れば、旧約聖書の創世記で神様と人間は(実際に言葉での会話かどうかはわかりませんが)、堕落前のエデンの園で一問一答できたとあります・・・・神様を信じるとか信じないというような話は不要でした。
神様が分らなくなったので、もっと分かりやすい代替物を持ってきたと考えると、偶像崇拝も人間堕落の結果と似たものと言えるかもません。

イエス様もマタイによる福音書22章37節で、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言われ、「これがいちばん大切な、第一のいましめ」としています。
「そうでないとみんな偶像崇拝に陥るよ!」と続けて言われそうです。

神様自身も、自分のことを「ねたむ神」と言っています。(出エジプト記 第20章)
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」
・・・・これは偶像崇拝を警戒してのこととも解釈できます。

「人間が集団的自己を崇拝することは偶像崇拝である」/15-p93 
この発言はファシズムやナチスドイツを連想させるかも知れませんが、それだけでは済みません。

日本やアメリカなど普通の国もまた偶像崇拝していることを指摘し、その方が悪質だと・・・・
「高等宗教が世界に対するその支配力を失いつつあった世界に於いて、1952年には『イデオロギー』のなかに失われた高等宗教の身代わりを見出していた多くの人びとがいた。
そして幾つかの国では、この新しい世俗的信仰への改宗者が非常に勢力を得て政府の支配権を奪取し、国家の全権力を使って自分たちの教義と慣行を同胞に強制した。
こうした方法によって共産主義はロシアに、ファシズムはイタリアに、国家社会主義はドイツに打ち建てられた。
しかし、集団の力という甲冑を着けた自己に対する人間の昔からの崇拝の復活のこの甚だしい実例は、この精神的病幣の実際の普及の程度を示すものではなかった。
その最も重大な徴候は、その市民が自分たちは他の人々、もしくはこのファシストや共産主義者とさえ違っていると言って自ら悦に入っている、民主的であり、キリスト教的であると公言している国々において、人口の六分の五の宗教の五分の四は、蜂による蜂の巣の、そして蟻による蟻塚の崇拝という原始的異教信仰であったことである。
この復活した偶像崇拝は愛国心という美名のもとに隠されることによって救われなかった。
そして実にこの一般に知られていない偶像崇拝の影響力は、・・・・(中略)・・・・率直な形の偶像崇拝よりも悪質であった。
この集団的自己崇拝は立ちのいた高等宗教に取って代わろうとして押し寄せていたすべての下等宗教のうちの最も邪悪なものであった。」/15-p169

「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。 そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。マタイ12/43

高等宗教というまともなもの(!)を追い出しましたが、いつまでも掃除された部屋をそのまま維持することは難しい・・・・この聖句は、人間は何らかの宗教なしには生きられないということかも知れません。

「西洋人の魂はいつまで宗教なしに生きてゆくことに堪えられるか。」3-p319

西欧人がキリスト教を捨て始めたのは・・・・
「17世紀の最後の20~30年は西欧でキリスト教の後退が始まった時期だった。この退潮は私たちの時代になってからも続き、それが食い止められる兆しが見えてきたのは、第二次世界大戦が終わってからのことである。
しかしこのようにヨーロッパ人の心に対するキリスト教の勢力が弱まったことは、必然的にその心を非キリスト教的な信仰の対象に向けることになった。これは・・・・当然起こるべきことであった。・・・・したがってこの三世紀の間にしだいにキリスト教から離れていった人々の心は、キリスト教の代わりを見つけてその方に向かわなければならなかった。
その結果見つけられたのがキリスト教以後の各種の思想だった。それらの中の三つの主要なものは国家主義、個人主義、および共産主義で、そしてこれらの三つの中では国家主義が最も強力に西欧人の心に結びついた。いずれにせよ国家主義は、他の思想がこれと対立する時には常にそれらに勝つ。」(現代が受けている挑戦p181)

非常に簡単に考えれば、国家主義は何よりも強いので、世界は国単位に分かれているということになるでしょうか。
「個人主義の国」とか「共産主義の国」という国家はありますが、それ以上の単位は無さそうです。
共産主義も、世界共産主義は破れて、スターリンの国家的な共産主義が残ったのは良く知られた話です。
世襲制の共産主義とかもどこかにあったような!・・・・ありなんでしょうか?

われわれ宗教を肯定する立場から見ると、広い意味では、共産主義も立派な宗教に見えます・・・・
「共産主義者は、共産主義が宗教であることを否認している。
かれらは、自分たちがいかなる種類の宗教もいっさい追放してしまったと主張し、共産主義が宗教に基礎をおくものでなくて科学に基礎をおくものであると主張し、そしてこのことから、その他の諸点と同様に、共産主義が、人間の歴史における新しい出発なのだと主張している。
しかし、本当は、共産主義は、たしかに宗教であり、正真正銘の宗教であり、しかも新しく見えるイデオロギー的よそおいにもかかわらず、むかしながらの宗教である。
共産主義は、ナショナリズムと同様に、集団的な人間の権力を崇拝する一つの現象である。」歴史の教訓P185

では民主主義は?・・・・上記の定義から判断すれば、「民主」・・・・人間が主人ですから似たようなものかも。
戦争の激化についても国家レベルの民主主義は悪い方にひと役かっています。・・・・民主主義が戦争という制度と奴隷制度にどう影響したかについてはこちらを参照

「歴史の研究」の縮刷版のほうが、より「率直」な表現で書かれています。
「奴隷制度と同じように、明白な害悪である戦争に対しては、なぜそれを一層悪化させるような影響を及ぼしたのであろうか。その答えは、民主主義が、戦争という制度にぶつかる前に、地方的主権という制度にぶつかった事実のうちに見いだされる。民主主義と産業主義という新しい推進力が、地方国家という古い機械の中に導入されたために、政治的ナショナリズムと経済的ナショナリズムという、ふたごの奇形児が生まれた。民主主義の高邁な精神が異質的な媒体を通過して、このように低俗的な形に変えられてしまったために、民主主義は戦争を阻止するはたらきをする代りに、かえって勢いをつけることになったのである。」1-p471

現存する民主主義はすべて腐敗した民主主義ということになるでしょうか?・・・・国家を超えられていませんから!
民主主義というのはウソで実体はナショナリズムと言った方が近い?

トインビーさんは民主主義を肯定するような文章も書かれていますが、本音は明らかに神様主義です。
・・・・と言っても、うちの先生の推奨する神主義とは別ですが。

こんな皮肉な感じの文章も・・・・
「現今では、民主主義といういう用語は、科学という用語と同様に、霊験あらたかな(カリスマチック)、または秘跡的な(サクラメンタル)用語であり、ともかくもお呪い的な用語である。
西洋化しつつある現代の我々の世界では、「デモクラシー」と「科学」とを信ぜず、したがってそれを実行しないといいきれるだけの自身のある社会はない。つまり、「非民主的」とか「非科学的」とか、あるいはもっと極端ないい方をすれば、「反民主的」とか「反科学的」だったと自認することは、文明というものの圏外にあったことを自認することになる。
デモクラシーと科学とに対する口先だけの忠誠を誓う共通的な傾向は、特筆にあたいする。」(歴史の教訓p132)
・・・・この傾向そのものが一種の偶像崇拝?

以下の文章は、これだけでは文脈が分かりにくいところもありますが、トインビーさんは「人間だけではダメ」と断定しています。
「プルタルコスはアレクサンドロスの言として、次のことばを伝えている・・・・『神はすべての人間の共通の父であるが、もっとも優れた人間に、特にわが子として目をかける。』
もしこの「ロギオン」(偉人の言ったと伝えられる言葉)が信頼すべきものであるとすれば、アレクサンドロスは、人間が兄弟であるためには、まず神が父であることが必須条件である、という真理を悟っていたことになる。
この真理は、人類家族の父としての神を度外視し、その代わりに、それだけで人類を統一する力をそなえた、全く人間的なきずなを作ろうとしても、それは到底不可能なことであるという逆の命題を含んでいる。
人類全体を抱擁することのできる唯一の社会は超人間的な『神の国』であって、人類を、しかも人類だけを抱擁する社会などというものは、全く実現性のない妄想である。」/11-p228
・・・・ずいぶんきっぱりと言っておられる・・・・やっぱり神様抜きは無理!

「民主主義は地方的ではなく普遍的であり、戦闘的ではなく人道的である。その本質は、生命それ自体の境界以外の境界を知らない友愛の精神である。
民主主義のための自然な行動の場は、全人類を包含する場である。そしてその精神力が恩恵的であるのは、この範囲に於いてなのである。しかしこの強力な精神的推力が地方国家という機構のなかへそらされるとき、それは恩恵的であることをやめるだけでなく、有害な破壊力になる。『最良なるものの腐敗は最悪である。』地方国家のなかに閉じ込められた民主主義は、ナショナリズムに堕するのである。」/7-p254
*ここでいう地方国家というのは、イギリスとかアメリカなど、普通の国家です。歴史を文明単位であつかう文明史観からみれば地方国家扱いになります。

以下、先生の講話より・・・・
人類の真の平和は、右翼でも実現できず、左翼でも実現できません。
その根本の理由は、右翼も左翼も、利己主義を解脱できないからです。
自分を中心とし、自国の利益を中心として進むときには、永遠になくなることのない利害の衝突ばかりが存在するのであって、統一もなく、平和もありません。
したがって、利己主義を打破する新しい世界主義が現れなければなりません。
自分より他のために生きる利他主義は、ただ神様の理想からのみ出てくることができます。
それは、神様が愛の本体であられ、愛の本質が自分を犠牲にして他を生かす利他主義だからです。
したがって、「神主義」の本質は愛であり、この思想は、人間の四肢五体を動かす頭のような中心思想です。
ですから、「頭翼思想」です。右腕も左腕も、実際、一つの体にぶら下がっています。
頭が無ければ、右腕と左腕は互いに赤の他人となって争いますが、頭が中心に定着していれば、右腕も左腕もすべて、頭の命令に従って、体全体のために働く、一つの共同体になるのです。
・・・・(中略)・・・・
二本の手があってこそ完全です。
一方の手だけではいけません。
目も二つ、腕も日本、脚も日本ですべてペアです。
道を歩くのを見れば、腕や脚が互いに反対に動きますが、それが正しいのです。
互いに反対ですが、それが正しいというのです。
ところが、何かをつかむときは、一緒に動きます。
反対になるのも良く、一つになるのも良いのです。
反対だからといって、すべて悪いのではありません。
両方とも良いのです。
(真の父母経ページ990)

私は、一生を通して共産主義と闘ってきた人です。
私は、共産主義者たちから何度も命を脅かされ、一触即発の危機から命を守ってきました。
しかし、私は、ある特定の共産主義指導者に反対したのでもなく、また社会主義に対して反対したのでもありませんでした。
私は、創造主であられる神様を否定する唯物論に立脚した共産主義哲学が、真理でないことを知った人です。
私は、神様の実存に対する徹底した体験と所信をもった者として、私たちの世界と人類が神様を求め、神様のみ前に帰らなければ、究極的に、人類は滅亡せざるを得ないと固く信じた人なのです。
そのような意味で、今日の自由主義世界、または資本主義世界が正しく進んでいるとは絶対に考えていません。
かえって物質万能の資本主義世界の中に、唯物論と無神論の澎湃が、過去の共産主義に劣らず、世界と人類の将来を脅かしていると考えています。
もし、宇宙の根本であられる神様がいらっしゃらないとすれば、この世の中に絶対価値の基準はあり得ません。
そうなれば、人間の道徳と倫理の基準が成立せず、その社会は、人間が万物の霊長となり得る何の哲学的根拠も持ちえないのです。(真の父母経854ページ)


2024年4月29日月曜日

アレクサンドロスの東征と大航海時代

 このブログにペロポネソス戦争について簡単に書きましたが、ついでに終わりの方でアレキサンダー大王の東征についてもふれました。

ここでは「アレクサンドロス」と呼ぶことにしたいと思います。
「大王」というと、閻魔大王のような怖くて威厳のある人物を連想してしまうのですが、アレクサンドロスの肖像画はそれに全然似つかわしくなく、とても若々しくて目がパッチリと大きく、アニメの主人公みたいで、あまりにもイメージが合わないので・・・・実際、32歳で亡くなっていますし!

このかたは正確には「アレクサンドロス三世」でマケドニアの王、若い頃は哲学者のアリストテレスに教育を受けています。
ところでこのアレクサンドロスが東征を開始したのは、紀元前三世紀です。ペルシャ帝国を亡ぼし、インドまで行きました。まさに世界が拡張されたような出来事です。
この当時としては前代未聞の出来事で、原理でいう「メシア降臨準備時代」に起きています。

その後の歴史でこれに匹敵する事件を探してみると、大航海時代がそれにあたるようです。
以下のような出来事と、それに続く西欧の地球全体への進出です。
1492 コロンブスがアメリカ大陸発見
1498 ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路発見
1522 マゼランが世界一周(マゼラン当人は途中で死亡)

歴史家のアーノルド・トインビー氏の言によれば、
「アレクサンダー大王の時代に陸伝いに行われたギリシャの世界の拡張は、われわれが十五世紀の末に劇的な早さで海を征服したことから始まる西欧の発展に匹敵するものである。アレクサンダーがダーダネルス海峡からアジア大陸を横断してパンジャブ地方まで進軍したことは、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスの航海に劣らない大きな変化を世界の勢力の均衡に与えた。」 現代論集p70 

トインビーさんに限らず、一般的な世界史の解釈でも1500年は特別な年のようです。
以下は、歴史家マクニール氏の著書「世界史(下)」p35 より、
「近代とそれ以前を分けるには、大概の歴史的指標よりは1500年という年が便利である。これはヨーロッパ史について言える。つまり地理上の大発見と、その後に速やかに続いて起こった宗教改革は、中世ヨーロッパにとどめを刺し、とにもかくにも安定した新しいパターンの思想と行動を手に入れるための、一世紀半にわたる必至の努力が開始されたからである。・・・・1500年という年は、世界史においてもまた、重要な転回点となっている。」

この頃、ルターの宗教改革がほぼ同時期に起こっています・・・・1517年。

原理ではどうしても商売がら(!)大航海時代よりも宗教改革のほうが注目されがちで、この宗教改革からの400年を「メシア再降臨準備時代」と呼んでいます・・・・ということは、どちらの時代も「準備」として起こった・・・・まさに歴史が繰り返されていて、その名称がストレートに意味を表わしています。

それにしても、アレクサンドロスの帝国はあっという間に分解してしまい、後継者争いが始まりました・・・・ではなんのためにあんなことしたのか?・・・・一般の人から見れば大きな線香花火みたいなもの(!)で、その意味も分かりにくいでしょう。

・・・・これに意味を持たせているのがトインビーさんです。
ちなみにトインビーさんの地上における生存年は、1889年~1975年です。

「紀元二世紀の中ごろのギリシャ・ローマ的な世界がどんなになっているか見ることにしよう。そしてこれを(現代から見て)200年前の同じ世界と比較すれば、この間にいい方に一つの変化が起こったことに誰でも直ぐに気が付くはずであって、こういう変化は、わが西欧の歴史には不幸にして、今までのところまで起こっていない。
紀元前の一世紀に、ギリシャ・ローマ的な世界は革命や戦争の連続で、その混乱と悲惨は今日の西欧の世界によく似ている。しかし紀元二世紀の半ばになると、ガンジス河から英国のタイン河までの世界が太平を謳歌している、ギリシャ・ローマ的な文明が武力によって広められた、このインドから英国に至る広大な地域は、このときわずか三か国に分割されて、その三国はほとんど摩擦などすることなしに共存している。」現代論集p73

この三か国とはローマ、パルチア、クシャンの各帝国とのことで、これら帝国を建設・支配したものはギリシャ人ではないが、「ギリシャ愛好者」であることを誇りにしていたとのこと。

この現代論集に載った、「世界とギリシャ人およびローマ人」という文章から言葉を拾ってみると、
その生活は、「理想からは遥かに遠いが」、「それまでの乱暴極まる無政府状態よりも、明らかにずっと望まし」く、「前の時代よりも安全で、そして退屈であることを免れない。」
・・・・しかし、そのせいで寧ろ「人間の心に精神的な空白を生じさせ」、「この空白をどうすればうめることができる」のかが、この世界にとって最大の課題になったことのと。

(iyo )これはどういう意味なのか、引用させてもらっている本人としても、十分に理解できているか怪しいところですが、要するに制度的な外的なことは充分に満たされたが、人間の内的・精神的な面に問題があったということでしょうか・・・・それで、時間をかけた緩やかな「反攻」が始まるのですが・・・・
この反攻は・・・・
「ギリシャ人やローマ人の手から指導権を取り上げ、・・・・それがあまりにそっとだったので、当のギリシャ人やローマ人はその固い手に何も感じなかったから、気づきもしなかった」
「今までとは別な分野で行われたために、それが紛れもない一つの反攻であることにすぐには解らなかった。ギリシャ人やローマ人の攻勢は軍事的な、また政治的な、そして経済的な性質のもので、今度の反攻は宗教的なものなのである。そしてこの新しい宗教的な運動は将来、非常な成果を収めることになるのであるが、・・・・」

・・・・それで、要するにどうなったかというと(説明が難しいので省略・・・・あしからず!)、
「そして、スキタイ人もユダヤ人も、ギリシャ人も、また奴隷も、自由人も、男も、女もなくて、誰もがイエス・キリスト・・・・あるいはミスラス、あるいはクベレ、イシス、または誰か菩薩の一人、阿弥陀如来か観音とともに一体をなす、新しい社会が現れる機会が生じたのである。」

歴史の研究に少しわかりやすい説明が・・・・
「アレクサンドロス時代以後のヘラス人が活気に満ちた非ヘレニック社会の宗教に接触するとともに、この経験がヘラス人の心の中に呼び起こした感情のうちには、聖職者の欺瞞にひっかかる愚かな人間を軽蔑するよりはむしろ、そのような高価な真珠をもっている恵まれた人びとをうらやむ気持ちの方が多く含まれていた。ヘレニック文明世界は宗教的空虚の中にいるという事実に気づき、不安になった。」3-p139

もともとヘレニック文明というのは、「知性が心の役目を引き受けて、宗教の代わりに哲学を編み出すという、全く人間的な性質のもの」現代論集p78 ・・・・でした。
「全く人間的な性質のもの」とは神様不在ということでしょう・・・・ゼウスとかポセイドンだとか、八百万の神は沢山いますが。
西欧文明がキリスト教から離れ始めたのが17世紀、その傾向は第二次世界大戦後まで続いたとのことなので、状況は似てきているのかも(?)

そう言えば、今になって思い出すと、西暦20世紀から21世紀の変わり目で「ミレニアム2000」とか世間でさかんに騒がれたとき、21世紀は心を大切にする時代とか平和な時代になるとか言われてましたが、これからそのような方向へ向かうのでしょうか?
トインビーさんによれば、「それは解らない。われわれにはただ、世界の歴史で一度起こったことは、少なくともこれからまた起こる可能性があるということしかいえないのである。」現代論集p79

「ヘレニック文明が世界の他の地方と出会った劇の筋を、一文で要約してみよう。ヘレニズムは、軍事的政治的知的芸術的な面での攻勢において、世界に対して一時的な勝利を獲得した。世界は宗教的な面で反撃に出て、逆に勝利を収めた。しかも今度はこの勝利の影響は一層永続的なものであった。」現代論集p109


2023年12月28日木曜日

ペテロの成長と変貌

 トインビーさんの著書「歴史の研究」に、イエス様の弟子として歩んだペテロ(シモン・バル・ヨナス)についての記述がありました。どこかの○○派とか言った教えではなく、敢えて言えば「トインビー派の解釈」です。
ペテロは熱心党という当時の政治的宗教集団に所属していました(またはゼロト党とかゼロテ党)マタイ10/4
ローマ帝国の支配に反対する急進派です。

初めに身を捧げようとしていたユートピアを追求している間は、どこか精神的に盲目なところがあって、それが彼のエネルギーを誤った方向に向けさせ、偉大さを覆い隠していた。
・・・長い間迷い、途方に暮れていた魂が、新しい生活態度に転向することによって、ついに自己の最高の可能性を悟ることができるようになった。/10-p189

かれはイエスをメシアと呼んだ最初の弟子であったが、同時に、その後、師と仰ぐイエスから、かれのメシア王国は決してキュロスのイラン世界帝国をユダヤ風に改めたようなものでないことを明らかにされた時に、まっさきに抗議した人間であった。
その直情的な信仰の褒美に特別の祝福を受けた直後に、師の王国のビジョンが弟子の固定観念に合致しなければならないと、頑迷に、食ってかかるようにして言い張ったために、完膚なきまで叱責された。/10-p191

ペテロ:「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません。」マタイ16/22
イエス:「サタンよ引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。」
(ここでの「サタンよ」とはペテロに向かっての言葉)

師の恐ろしい譴責(ケンセキ)によって自分の誤りを目の前に突きつけられた後でさえ、訓戒は大したききめがなく、次の試みに於いて彼はまたもや失敗した。/10-p192
キリストの変貌の三人の目撃者の一人に選ばれたおりに、彼は師のかたわらにモーセとエリアが立つのを見て、ただちにそれを「解放戦争」開始の合図と思い込み、その場に、チウダやガリラヤのユダの徒が、ローマの当局者が彼らの蠢動を知って、彼らを追い散らすために遊撃隊を派遣するまでの短い猶予期間に、よく荒野のなかに設けたような、陣屋の中心を建てることを提案して、幻の意味を散文的に取り違えたことを暴露した。
この耳障りな雑音が入った瞬間に、メシアの道についてのメシア自身の啓示を受け入れよ、という戒めの声を後に残して幻は消えた。

主が預言されたすべてのことが明らかに本当になった主の地上に於ける生涯の頂点に於いてさえ、この徹底した未来主義者はゲッセマネの園で戦うために剣を抜いた。/10-p192
そして彼の主が、彼が再び本能的に暴力に頼ったことを決然として抑えたので、彼は狼狽して絶望的な気持ちから卑劣な裏切りに走った。/10-p192

(iyo )その少し前には、ペテロだけでなく、弟子たち皆が「あなたを知らないなどとは決して申しません」と言っていたのに・・・・マタイ26/35。
「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」マタイ26/56
「『そんな人は知らない』と誓って言った」
「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく鳴いた。マタイ26/72

この彼の生涯における無上の経験をした後、キリストの十字架の死と復活と昇天によって、やっとキリストの王国がこの世のものでないことを悟った時でさえ、依然としてペテロは、この変貌した王国に於いてすら、その国の市民となる権利はユダヤ人だけに限らねばならないと信じたがった。/10-p192
・・・・(中略)・・・・
使徒行伝のなかでペテロが登場する最後の数場面のうちの一つにおいて、彼はいかにも彼らしく、天から降ろされた大きな布の幻とともに聞こえてきた明瞭な命令に意義を申し立てている。

ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。使徒10/14

しかし、ペテロが物語の主役の地位をパウロに譲るのは、パリサイ人だったパウロがただ一回の強烈な精神的経験によって瞬時に感得した真理を、ペテロがやっと最後に悟った話が記されてから後のことである。

ペテロの長い悟りの過程は、屋上の幻の後でコルネリオの使者が門口に到着した時に完了した。
そして、カイサレアのコルネリオの家での信仰告白に於いても、またエルサレムに帰った後、ユダヤ人キリスト教徒の前で行なった、コルネリオの家における彼の行動の釈明においても、ペテロはもはやキリストのとがめを受けるおそれのないことばで神の国を説いた。
/10-p193

2023年9月22日金曜日

歴史から宗教へ(トインビーさんの変遷)

 トインビーさんはとても著作の多い方で、日本でも人気があったようですが、殆どの本は既に廃版のようです。
古本屋などを検索して読みかじっているうちに、その考え・・・・というか価値観の変化が気になりました。

同じ歴史家のマクニール氏が、「歴史の研究」批評の中で、トインビーさんの変化について書いています。
社会思想社 トインビー著作集8 S43年3月5日初版 より 「歴史の研究の基本的想定」

「1930年代の後半、世界の動きが第二次世界大戦の長い影を舞台の上におとしはじめたとき、そして個人的問題が彼の心を暗鬱にしていたとき、かれのギリシア熱はようやくさめはじめた。
ギリシア讃美者トインビーは、漸次宗教者トインビーへと移行していった。
もっとも宗教者といっても、彼を純粋のクリスチャンとするのは当たらないであろう。教団としてのキリスト教の教条と形式主義は、彼の心を反発させた。
・・・・(中略)・・・・
第二次世界大戦の前夜に刊行された部分に、この変貌の始まりが認められる。そして1954年に刊行された最後の部分にいたって、この転換は完成し、その全貌をあらわにしている。
徐々に行われたこのトインビーの回心は、世の悲惨と個人的な悲しみという挑戦にたいする彼自身としての応答であった。」

実際、1954年刊行の部分には、こちらに書いた文章(「神の国」をつくる)が殆ど含まれています(歴史の研究完訳版第15巻)

また、同時に刊行された「歴史家の霊感」という第20巻には以下の文章があります。

「人びとは何故歴史を研究するのか。・・・・(中略)・・・・本「研究」の筆者個人の答えは、歴史家は、幸いに人生に一つの目標をもち得た他の人間と同じく『神を追い求め、神を見出すように』という神の呼びかけのうちに自己の使命を見出したのである、というのであった。」/20-3

「やはり個人的経験から自分一個の意見を述べるに過ぎないが、筆者は、歴史とは、誠実に神を追い求める魂の活動に於て自己を顕示する神の姿・・・・それはおぼろげで、部分的なものであるが、その限りに於いて紛れもなく真実の神の姿・・・・を見ることであると答えたい」/20-4

(iyo )さらに、「歴史の研究」出版以後も変化は進み、その後の著作を見ると、まるで歴史家という看板を捨て、宗教の伝道者として活動を始めたかのようです。
上記マクニールさんが書いているように、もともとトインビーさんは、キリスト教の特定の宗派に属する立場ではなかったのですが、その後はキリスト教にこだわらない方向にまで進んだようです。

「歴史の研究」では、まだはっきりと「神」という言葉を使っています(・・・・と言っても、原語で使用されている単語は未確認です)が、さらにその後は以下のようなことも書かれています。(未来を生きるP313付近)
*「未来を生きる」は81歳時のインタビューをまとめたもの。

「ここで、私の現在の信条について話しましょう。私は、人間が宇宙で精神的に最高の存在ではない、と信じています。宇宙とその背後に、もっと高い存在があると信じているのです。私は、「より高い存在」という回りくどくみえるいい方で話しています。わたしは「神」とは言いません。
・・・・(中略)・・・・
ユダヤ教-キリスト教-回教の見解だけでなく、東アジアやインドの見解をも含めるために、こうした中立的な言葉を使おうと思います。
私は、この存在と交流し、それと調和して生活し、行動したいと欲しています。・・・・(中略)・・・・神人同型同性的形態ではとらえていません。」
・・・・(中略)・・・・
「私は、どんな人格神の存在も信じません。私たち人間が、直接の経験で知っている神の精神は、愛だけであるというのが私の考えです。
・・・・(中略)・・・・
自分が愛によって動かされているとわかった時、私は、自分が正しい精神的針路をたどっていると確信します。
・・・・(中略)・・・・
生きている人であろうと、死んだ人であろうと、他人に対して敵意を感じていると気が付いた時には、・・・・(中略)・・・・自ら恥じ入り、悔い改め、他のことを考えたり、行動したり、感じたりするよりさきに、まず、この悪しき感情を直ちにはらい清めようと努力します。」

また、「平和の条件」というところには(P277)
宇宙の背後にある精神的存在と交わり、私たちの意志をそれと調和させることによって、自己中心性を克服することです。これが平和へのカギです。
私は、これが唯一のカギだと思います。
(iyo )おそらくこれは何らかの実体験から来る確信でしょう。

ちなみに、同書のなかで「モットーは何ですか?」と訊かれ、以下のように答えています。
「私のモットーは『愛に従え、たとえ愛が自己犠牲に導こうとも』でしょう。」

トインビーさんの方向転換は、まさにこれを実践した結果のように見えますし、(詳しいことは知りませんが)この方向転換が進むにつれて、歴史家としての評価は徐々に下がっていったのでは?・・・・と思ったりします。


2023年5月7日日曜日

天国?

 当たり前ですが、天国ってどんなところですか?・・・・と聞かれて、一言で答えるのは難しいでしょう。
これは宗教上の難問題かもしれません。

うちの教会は、どういう点が一致して、みんなが集まってくるのでしょうか?・・・・よくよく考えてみると、寧ろ集まってくる方がおかしいのかも!
曖昧な理解にもかかわらず、その曖昧な天国に行きたがっている。
Aさんの天国とBさんの天国は違う・・・・ひとの数だけ天国がある!

・・・・これだけ書いて感じたことは・・・・話が大きすぎて手に負えない!・・・・ということでした。
・・・・そういう訳で、あまり難しく考えずに進めましょう。

一言で答えなさいと言われれば、やはり「天国は家庭生活の拡大である」という先生の言葉になるでしょう。
あれこれあれこれあれこれあれこれ・・・・(以下、しばらく繰返し)・・・・と説明するより、分かりやすい気がします。

また、「天国は心情の世界である」とも語られています・・・・こちらは「家庭」という具体例が出ていないだけ分かりにくいかも。

・・・・では、「心情」って?

難しい説明は抜きにして、心に響いてきそうな言葉を拾ってみると、

「心情の世界には、発展がない。しかし何度反復しても嫌気のしない世界である。」
「善なる人は、自然を見ても、どこへ行っても、いつでも心情でもって包むことのできるものである。」
「心情の境地においては立派でない人がなく愚かな人がない。」
「心情の基盤が無ければ不幸な者である。」
「心情的な世界は平等である。天国は家庭の拡大であり兄弟愛の世界である。」
「終わりの日には宗教は心情宗教、哲学は心情哲学、主義は心情主義、思想は心情思想で各々解明されるようにならねばならない。」

一方、天国については、

「人を一番愛し、高め、大切にできるところが天国である」
「一つになろう。世の中にいるすべての父母、兄弟、子女を自分の真の父母、兄弟、子女として思えるならば彼は天国の門の鍵をもった者である」
「理想世界は『ために生きる』世界である。」
「中心が人間ではなく神であるゆえに、人間を中心とした理想世界は成就されない。」

(以上は、すべて 光言社発行 み旨の道 1997年12月10日 第32刷発行より)

人間の本郷は、人類が願い、神様が願う所であり、天地が和合して万宇宙の存在が「幸せでうれしい」と言い得るところ、神様が踊りを踊ると同時に、万宇宙が神様を中心として踊れる所です。そのようにできる日を迎える本郷が現れていたならば、今日、この世界は、不幸な世界にはならなかったでしょう。
神様の愛を中心とした息子、娘、すなわち、ひとり子とひとり娘が、神様の愛を中心として完全に一つとなって家庭を築いたならば、その血統を受けて生まれた息子、娘たちは、心と体が一つになっているのです。(真の父母経34ページ)


2023年3月28日火曜日

聖書の歴史展開

 キリスト教の十字架、救い、再臨など、ネットで検索してみても多くの解釈があり、納得できないものも沢山溢れていますが、私が教わった内容は非常にシンプルです。
1.神様はエデンの園で最初の人間を創造したが、その後の成長過程で失敗(堕落)があった。
2.その失敗を取戻すためにイエス様が来られたが、(十字架上で亡くなられたので)完全には取戻せなかった。
3.完全に取戻すために再臨がある。

上記1では、神様が失敗したというよりは、アダムとエバが失敗しました。
2では、イエス様が失敗したというよりは、周辺のユダヤ人達などが失敗しました。
3でもう一度トライするわけですが、一方で堕落世界はどんどん拡大してきました。そのため、本来の世界を取り戻すにも、その規模を凌駕する必要があり、困難さは当初の段階よりもはるかに大きくなりました。

「失敗」などという文字を書き込むと、一般のキリスト教徒からは、「神を冒瀆している」と非難されそうですが、いくら指導者が優秀でも、それだけで全てが完成するわけには行かないようです。
例えば、神様の事情については こちら に少し書いています。

イエス様の言行に対しては、当時のユダヤ人達が自分たちの都合で判断した面もあるようですが、乱暴者とか法を破るものと見える点があったのも事実です。
例えば、マタイ21/12付近では、
イエス様が宮に入られ、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をひっくり返したことが書かれています。 
そして言われました・・・・「わたしの家は祈りの家なのに、あなたがたは強盗の巣にしている」と。

話が横道にそれてしまいました。元に戻して・・・・

旧約聖書には堕落以後、イエス様が誕生される約500年前までの記録があります。
・・・・ということは、聖書の年数カウントによれば約3500年間の記録です(実年数かどうかは???)
人類始祖から始まって、民族を形成し、国が創られ、神殿も出来ましたが、その後もいろいろひどい目に出会って、殆ど滅亡状態になりました。
バビロンで捕虜になっていたところを、ペルシャのクロス大王に救われ、故郷に戻って神殿を建て直しました。
どうしてこんなもんが世界中で読まれているのでしょうか?・・・・考えてみれば不思議ですが、これは堕落による失敗を元に戻そうとする記録で、具体的にはイエス様を誕生させようとする記録です。
誕生まで4000年もかかりました。

人間の時間感覚からすると、神様はかなり気長な方にも思われますが、私が教わったのはそういうことではありませんでした。
実は神様は、堕落後すぐに元に戻そうとする(つまり堕落前の状態に戻そうとする)努力を始めました。

ところで、堕落事件の次に出てくるのが、息子たちの物語です。
アダム家庭には、カイン(兄)とアベル(弟)が生まれましたが、カインがアベルを殺害するという、とんでもない事件が発生しました。
実はこれも元に戻そうとする試みだったのですが、さらに失敗を積み重ねる結果となってしまったのです。

人類の始まりで起こったこれらの事件は神様にとっても想定外だったかも!
「これこれこういうわけで・・・・」と書いてあればいいのですが、聖書は淡々と書かれているので、どこが重要ポイントなのか分かりにくい。

神様はアベルの供え物は受け取られたのに、カインの供え物は受け取られなかったとのこと。
まるで神様がエコヒイキしたのが原因で、カインが腹を立てて殺人を犯したようにも捉えられます。

ところで、兄弟の争いについては、その後にも聖書に書かれています。
この争いを成功裏にまとめ、失敗を取り戻したのがヤコブ(アブラハムの孫)です。
双子のエソウ(兄)とヤコブ(弟)にも同じような状況が生まれてしまい、やはりエソウはヤコブを殺そうとします。
しかし、この二人の場合は仲直りをして、ヤコブはイスラエル(勝利者)という名前をもらいました。

仲直りするまでに、21年もかかっています。
その後、家庭的な段階は終了し、ヤコブの子孫はイスラエルの12部族となり民族を形成するようになります。

これが聖書の1つの公式でしょうか?
「神様は、兄弟どうしを喧嘩させて、仲なおりしたら勝利者として認定する!」・・・・奇妙な公式ですね!

しかし・・・・さらにその後にも、ペレヅとゼラという双子の兄弟も出てきます。
この時は、既に胎中から争っていました。
あっさりした書き方の聖書に、兄弟の争いが3度も出てくるのは何か訳ありでしょうか?
歴史は兄弟関係によって発展するとか?
どこかで言われているような労働者と資本家の争いではないのでしょうか?

これらの兄弟間の事件で、共通して言えることは、いつも弟が兄を出し抜いていることです。
カインとアベルでは供え物の件でアベルが優遇されました。
エソウとヤコブの場合も既に胎内で争っていて、出産時には、先に出てきたエソウのかかとをつかんで弟ヤコブが出てきましたし、その後ヤコブは兄を出し抜いて祝福を受けています。
ゼラとペレヅの場合も、先に兄として手を出したゼラが一旦引き戻されて、弟のペレヅが先に胎を出ます。

神様は弟を愛し、兄を憎まれる!・・・・これが神様の好み?
ここで原理講論から該当箇所を抜き出しますと、
「カインとアベルを、各々異なる二つの表示的立場に立てるよりほかに摂理のしようがなかった」とのこと。
・・・・神様もどうしたらよいか必至に考えた結果のようです。

「二つの表示的立場」というのは、神(善)とサタン(悪)のこと。
本当は堕落直後のアダムに対して、なんらかの処方箋を準備したかったのですが、アダムは堕落の結果、サタンも「これはおれの息子だ!」と言える立場に立っていたため、神様はアダムのことは置いといて、カインとアベルの代から具体的に対処し始めました。
(なぜいつも弟が兄を出し抜く立場にいるか・・・・ここでは省略!)

要するに、アベルを神側の立場、カインをサタン側の立場に立てるのです・・・・かと言って、アベルは善人でカインは悪人というのではなく、あくまでもそのように見立てるということのようです。

ここまでのことは、おもに家庭レベルのスケールですが、拡大してもこのパターンで歴史が動いて行くというのです。
北イスラエルと南ユダとか、民主と共産とか・・・・こういうのは、一人の人間の心の中にもあって、長く人間をやっていると、その影響が出てきます。

ちなみに、神様がアブラハムに供え物(牛、山羊、羊、鳩)をするよう命じられたとき、全て二つに裂かなければならなかったのに、鳩だけは裂かなかったと、わざわざ書かれています。
牛や羊を裂くのは大変だったでしょう。動かすだけでもひと苦労です。
「鳩ぐらい許してくださいよ神様!」と私ならお願いしたいところです・・・・アブラハムも詰めが甘かったんですかね。
これが失敗となって、再度・・・・今度は自分の息子を捧げよ、との大変な命令を受けてしまいました。
(創世記15章、22章付近)

2023年3月18日土曜日

「死人を葬ることは、死人に任せておけ」とは

これは ルカによる福音書9章60節の聖句です。

この時の状況
イエス様がある人に「わたしに従ってきなさい」と言われたとき、その人の父親が亡くなったところだったので「まず、父を葬りに行かせてください」と返事しました。
そのときのイエス様の言葉です。
「その死人を葬ることは、死人に任せておき、あなたは出て行って神の国を述べ伝えなさい」。 

「死」に関連した聖句を拾ってみますと、

創世記 2:17に「善悪を知る木の実は決して食べてはならない。それを食べるときっと死んでしまう」とあります。
神様はウソは言わないと思いますので、この言葉は本当でしょう。
実際には食べてしまったので、アダムとエバは堕落した時点で死んだことになります。
黙示録3/1には、「あなたは生きているというのは名前だけで、実は死んでいるのである」とも書かれています。

あるいは、以下のような・・・・
ヨハネ11/25:「私を信ずる者は、死んでも生きよう」
ヨハネ11/26:「また、生きて私を信ずる者は、永遠に死なない。このことをあなたは信ずるか」 
ルカ17/33 :「命を保とうとするものはそれを失い、失うものは生き続ける」
ロマ書6/23 :「罪からの報酬は死であり、神からの賜物は・・・・」
 
ここでいう「死」には2つの意味があります。
1.一般的に使われる意味での死・・・・肉身が死んだことです。
2.堕落して神様から離れてしまった状態を死と言っています。堕落は人間始祖の時に起きたので、今の人間はすべて死人です。

この聖句にある最初の「死人」は、肉身が死んだ人間(亡くなった父親)、二番目の「死人」は堕落した人間です。
続けて、「あなたはそれに構わず、神の国を告げ広める生命のみちを行きなさい」と言っていることになります。

(以上は原理講論「死と生に対する聖書的概念」付近より)

ところで、ここではお葬式に参加する人たちのことを、実際に見ていないのに死人呼ばわりしています。
この世に生きている人はいないことを前提としているかのようです。
もし天国があるとしたら、死人と呼ばれている人が天国に行けるでしょうか?
天国はやはり狭き門かもしれません。



2023年2月3日金曜日

歴史は繰り返す?

 歴史は繰り返すと言われますが、本当でしょうか。
繰り返すと認められるとすれば、時間的・空間的にどういうスケールで繰り返すのか?

私が教わったところでは、ユダヤ教を中心とした歴史とキリスト教を中心とした歴史では、その出来事に相似性が見られます。
それ以前にもあるのですが、この2つの流れが最も正確に繰り返されています。

聖書の記述をもとに計算すると、アダムとエバ誕生時からイエス様まで約4000年です。
ユダヤ教の信仰の祖アブラハムからイエス様までが2000年。
アブラハム以前は個人・家庭中心の歴史、以降は民族の歴史へ拡大されます。
現代まではイエス様以後2000年なので、合計約6000年になります。

ユダヤ教より前の段階を含めると、大きく3度の繰返しになり、それぞれ一巡するのに約2000年かかっていますが、最初の一巡目での聖書の記述は、一般には受け入れ難い点があります・・・・アダムやノアは900歳まで生きたとか!
・・・・しかし、その時代でもなぜか合計2000年で、年数を合わせています。

神様が人類に働いてきた歴史とも見ることができ、遠いメソポタミヤあたりの個人から始まって、空間的な範囲も拡大し、近頃は日本も含めて世界的に影響を及ぼすようになったと考えられます。

聖書の記述に基づいて年数カウントしますと、以下の対応があります(時代ごとの名前付けは原理講論による)
二巡目(旧約時代)各出来事の年数カウントの根拠は、聖書を追って行くと拾うことができます。三巡目(新約時代)は学校の歴史教科書にも登場する出来事です。

1.「エジプト苦役時代」と「ローマ帝国迫害時代」:年数はどちらも約400年
(旧約時代):ヤコブの家庭がエジプトに引越して定着し殖え広がったが、奴隷として苦役した。 モーセを指導者としてエジプトを脱出し、カナンの地に定着。
(新約時代):イエス様が十字架でなくなり、キリスト教がローマ帝国に広がったが、迫害を受けた。 ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教を国教とすることにより迫害時代終了。

2.「士師時代」と「教区長制キリスト教会時代」:年数はどちらも約400年
(旧約時代):オテニエル、サムソン、サムエルなど15士師がイスラエルを指導
(新約時代):教区長たちがキリスト教徒を指導

3.「統一王国時代」と「キリスト王国時代」:年数はどちらも約120年
(旧約時代):サムエルがサウルに油を注ぎイスラエルの王となった。その後、ダビデ、ソロモンと各40年ずつ担当。
(新約時代):法王レオ三世がチャールズ大帝(カール大帝)にローマ帝国皇帝の冠を授けた。

4.「南北王朝分立時代」と「東西王朝分立時代」:年数はどちらも約400年
(旧約時代):ソロモン王の時代に不信仰がはびこり、北朝イスラエルと南朝ユダに分裂
(新約時代):チャールズ大帝の孫の代で東西フランクとイタリアに三分され、その後イタリアは東フランクの支配を受けた(実質的には二分)

5.「ユダヤ民族捕虜および帰還時代」と「法王捕虜および帰還時代」:年数はどちらも約210年
(旧約時代):北朝イスラエルはアッシリアにより滅され、南朝ユダは新バビロニアによりバビロンへ捕虜として連行され生活。アケメネス朝ペルシャのクロス王によって解放され、三次にわたって故郷に帰還。
(新約時代):法王ボニファキウス八世がフランス王フィリップ四世と衝突。法王クレメンス五世時代に、法王庁を南フランスのアビニョンに移され、フランス王の拘束を受けながら生活。法王グレゴリー十一世の時代にローマへ帰還。

6.「メシア降臨準備時代」と「メシア再降臨準備時代」:年数はどちらも約400年(?)
(旧約時代):バビロンの捕虜の立場からエルサレムに帰還。律法を研究。信仰の刷新運動をしてイエス様を迎えた。
(新約時代):宗教改革以降。信仰の新しい道を開拓。再臨主は?



余談ですが、作曲家のベートーヴェンも、「我々の星に人間の意識が生まれてから五千八百十八年たつ」と言っています(BEETHOVENさんは、1770-1827の間、地上に生存されています)
ベートーヴェンさんも聖書から計算したのかも知れません!・・・・彼は、こういう足し算は苦手だったのではないでしょうか・・・・にも関わらず、これがベートーヴェンの言葉として残っているのですから、何回も検算して確認したかも!










2023年1月4日水曜日

洗礼ヨハネの不信

 一般の聖書解釈と原理の大きな相違点の一つが、洗礼ヨハネに対する評価です。

一般の聖書解釈では、洗礼ヨハネはイエス様をメシヤと証した立派な人物となっていますが、原理ではイエス様の行く道を遮った最も大きなつまづきの石と解釈しています。

一旦は証したのですが、その後、不信に陥ったというのです。

証した聖句は分かりやすいですね
「わたしはその人のくつのひもを解くにも値しない」とか、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とか、「このかたこそ神の子である」(ヨハネ1/29付近)・・・・など、イエス様を讃えています。

一方、不信した聖句は
1.「彼(イエス様)は必ず栄え、わたしは衰える」(ヨハネ3/30)
2.「『きたるべきかた』はあなたですか。それとも、ほかの誰かを待つべきでしょうか」

1については、もし行動を共にしていたらこういう言い方はしないだろうというのです。
出生時には洗礼ヨハネの父親(祭司ザカリヤ)が、
「生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださる」と預言しています。(ルカ1/75)
本当にイエス様に侍るなら、こうは言わないし、一緒にいて一番弟子になるでしょう。

2について、
洗礼ヨハネは一旦証したのですが、その後イエス様がメシヤであるという確信をなくしてしまい、弟子を遣わして確認させています。
イエス様は「そうだ!」とは言わずに、少し遠回りして応えました。
イエス様の回答は
「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見、足なえは歩み、らい病人は清まり、耳しいは聞こえ、死人はよみがえり、貧者は福音を聞く。わたしにつまずかない者は、さいわいである」(マタイ11/4付近)

さらに、洗礼ヨハネがつまづきの石になったのは、自分自身が何者かわからなかったためです。
人々が洗礼ヨハネに「あなたはどなた?」と質問したのに対して、
「わたしはキリストではない」と言い、エリヤでもない、預言者でもないと言っています。
そしてわけの分からないことを言いました・・・・「主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声」だとか(ヨハネ1/20)

では、イエス様はなんと言ったか、
「この人こそは、きたるべきエリヤなのである。」(マタイ11/14)

当時の洗礼ヨハネは有名人で、出生当時から奇跡が起きて国中に知れ渡っていましたし、メシヤではないかと間違えられる程の人物。

対するイエス様は、名もない大工の息子。しかも安息日は破り、神殿の屋台を覆し、取税人と遊女がお友達!

どちらが信用されるかは決まったようなものです。
先に来るはずのエリヤがまだ来ていないのに、何故メシヤが来るのかという疑問も当然です。

神様もひとこと「あんたがエリヤだよ!」と言ってくれればいいのに、自分で悟れというのは難しいかも知れませんし、それを人前で発表するのは勇気もいるでしょう。
先生の講話から探せば、「エリヤとしての自覚性」ということでしょうか。
原理講論では、洗礼ヨハネが不信するようになったのは獄に入ってからとなっています。
簡単に言えば、ぼけちゃったのです。・・・・と言っても、ボケ老人などと言う場合の「ぼけ」ではなく、考え方が世俗的になったということのようです。

ちなみに、イエス様の言われたこの聖句・・・・
「女の産んだ者の中で、洗礼ヨハネ以上の者は現れなかった。しかし、天国で最小の者も、彼以上である。」マタイ11:11

これについても回りくどい解釈をしているようですが、原理の解釈はストレートです。
最も近しくイエス様を証すはずの人が不信してしまったので、最も小さい人になったのです。

つまらない怨みから投獄され、ヘロデ王に首を切られて死ぬなら、イエス様と共に行動し、となりで十字架についた方がずっと良かったのでは?・・・・いや、洗礼ヨハネがイエス様と一緒に行動したら別の道があったかも!

2022年12月20日火曜日

被造世界を創造するのにどれくらい大変だったか

 以前、プログラミングの世界に「使って天国、作って地獄」という言葉がありました。
操作する人間の側の使い方が細部にわたって予測・研究されていて、非常に使いやすいシステム(プログラムとかアプリとか)は、それを作る側としては非常に大変(地獄)だというのです。
出来上がった動作から造る立場を類推する人は少ないし、どのようにして出来上がるのかその過程まで考える人は少ないと思います。

被造世界を創造するのにどれくらい大変だったか。
旧約聖書の創世記には七日で世界を造ったと書かれています。
神様は全知全能とか、万能とか言われます。
この被造世界を造ったとすれば、人間の目から見れば全知というのはありかもしれませんが、全能とか万能というのはどうなんでしょう?
誤解を受けて迷惑しているのではないかと時々感じることがあります。

個人的な考えですが、被造世界の想像はとても大変・・・・その程度は神様としても不可能に思えるほど・・・・だったろうと思います。
聖書の七日で造ったというのはもちろん譬えでしょう。
どうすればできるだろうかと神様も真剣に考えたと思います。
物質世界だけでなく、喜怒哀楽のような感情までつくり出して、人間や動物に与えるとなると、想像することすら難しい。

最近、ネアンデルタール人とホモサピエンスのDNAを調べてノーベル賞をもらった人がいました。
それで人類進化の過程がわかるとか・・・・私は進化論者ではないので納得してはいませんが!
この宇宙ができるには何十億年もかかっているとか・・・・この点は疑っていません。
ただし、造ったのは神様です。
そして、神様といえども何十億年(あるいはそれ以上)もかかったと受け止めています。

ほかにもピテカントロプスとか、アウストラロピテクスとかいろいろいますが、何故いるのか?
ネアンデルタールがホモサピエンスに進化したというのは間違いで、ネアンデルタールは神様の1つの試作品として造られ、それを人間として認めるには不合格に終わったとも思えます。
ネアンデルタールで試したことをさらに改善してホモサピエンスを造れば、進化したようには見えますね。
神様だって何度もトライして頑張ったのです・・・・神様がそのような性質を持っているので、人間にもそのような性質があるのです。

どうやったら効率的に且つ確実に造れるだろう?
バラ科というのをネット検索してみると、バラ科には、バラだけでなく、サクラやウメ、ビワ、ナシなどその他沢山の種類が含まれます。
最初に基本となる設計図を作って、実体化させます・・・・バラができます。
さらに設計図の一部(属性)を変化させながら、別の個体を造る・・・・そうすると、もとはバラと言っても、その先にはビワが出たり、サクラが出たりしてツリー構造の組織体系になります。
神様もどうやったら無駄なく最短時間でできるのか真剣に考えてたどり着いた一つがこの方法かも。

あちこちの分野で同じような手法が使われています。
プログラミングの世界にも、オブジェクト指向というのがあって、似たことをやっています。
世界中のプログラマは神様の後を追いかけているのかもしれません。
自分でもプログラミングしていて感じたことがあります・・・・神様と言えども、ドラえもんのポケットみたいに簡単に創造したのではなく、どうやったら無駄なく最短時間でしかも理路整然とできるのか真剣に考え抜いてたどり着いたのがこの方法なのかな?・・・・と

聖書の創世記では、神様は始めに光や宇宙や地球を造り、水や陸地も造り、最後に(六日目に)人間を創りました。
先に、人間が生きるのに適した環境を準備して、最後に人間を創ったと考えられます。
そしてすべてのものを治めよと言われました。
・・・・ということは、最終的に創りたかったのは人間でしょう。

ところで、創世記では僅かに最初の2章だけを充てて、天地創造開始から堕落前のことまでが書かれています。
第1章は、宇宙や地球、自然界などスケール雄大な世界の創造過程が殆どですが、途中から第2章にかけては人間の創造です。

個人的にですが、特に神様の期待と喜びが大きく感じられるのは、第2章19節付近で、神様はアダムと親しく会話し、エデンの園にある全てのものについての命名権をアダムに与えています。(創世記2:19)
わざわざこういう記述があるのを見ると、神様も人間が可愛くて仕方がなかったのではないでしょうか。
この時点では、神様にとっても楽しみなエデンの園の出発だったでしょう。
・・・・神様も親バカですね!