2023年9月22日金曜日

歴史から宗教へ(トインビーさんの変遷)

 トインビーさんはとても著作の多い方で、日本でも人気があったようですが、殆どの本は既に廃版のようです。
古本屋などを検索して読みかじっているうちに、その考え・・・・というか価値観の変化が気になりました。

同じ歴史家のマクニール氏が、「歴史の研究」批評の中で、トインビーさんの変化について書いています。
社会思想社 トインビー著作集8 S43年3月5日初版 より 「歴史の研究の基本的想定」

「1930年代の後半、世界の動きが第二次世界大戦の長い影を舞台の上におとしはじめたとき、そして個人的問題が彼の心を暗鬱にしていたとき、かれのギリシア熱はようやくさめはじめた。
ギリシア讃美者トインビーは、漸次宗教者トインビーへと移行していった。
もっとも宗教者といっても、彼を純粋のクリスチャンとするのは当たらないであろう。教団としてのキリスト教の教条と形式主義は、彼の心を反発させた。
・・・・(中略)・・・・
第二次世界大戦の前夜に刊行された部分に、この変貌の始まりが認められる。そして1954年に刊行された最後の部分にいたって、この転換は完成し、その全貌をあらわにしている。
徐々に行われたこのトインビーの回心は、世の悲惨と個人的な悲しみという挑戦にたいする彼自身としての応答であった。」

実際、1954年刊行の部分には、こちらに書いた文章(「神の国」をつくる)が殆ど含まれています(歴史の研究完訳版第15巻)

また、同時に刊行された「歴史家の霊感」という第20巻には以下の文章があります。

「人びとは何故歴史を研究するのか。・・・・(中略)・・・・本「研究」の筆者個人の答えは、歴史家は、幸いに人生に一つの目標をもち得た他の人間と同じく『神を追い求め、神を見出すように』という神の呼びかけのうちに自己の使命を見出したのである、というのであった。」/20-3

「やはり個人的経験から自分一個の意見を述べるに過ぎないが、筆者は、歴史とは、誠実に神を追い求める魂の活動に於て自己を顕示する神の姿・・・・それはおぼろげで、部分的なものであるが、その限りに於いて紛れもなく真実の神の姿・・・・を見ることであると答えたい」/20-4

(iyo )さらに、「歴史の研究」出版以後も変化は進み、その後の著作を見ると、まるで歴史家という看板を捨て、宗教の伝道者として活動を始めたかのようです。
上記マクニールさんが書いているように、もともとトインビーさんは、キリスト教の特定の宗派に属する立場ではなかったのですが、その後はキリスト教にこだわらない方向にまで進んだようです。

「歴史の研究」では、まだはっきりと「神」という言葉を使っています(・・・・と言っても、原語で使用されている単語は未確認です)が、さらにその後は以下のようなことも書かれています。(未来を生きるP313付近)
*「未来を生きる」は81歳時のインタビューをまとめたもの。

「ここで、私の現在の信条について話しましょう。私は、人間が宇宙で精神的に最高の存在ではない、と信じています。宇宙とその背後に、もっと高い存在があると信じているのです。私は、「より高い存在」という回りくどくみえるいい方で話しています。わたしは「神」とは言いません。
・・・・(中略)・・・・
ユダヤ教-キリスト教-回教の見解だけでなく、東アジアやインドの見解をも含めるために、こうした中立的な言葉を使おうと思います。
私は、この存在と交流し、それと調和して生活し、行動したいと欲しています。・・・・(中略)・・・・神人同型同性的形態ではとらえていません。」
・・・・(中略)・・・・
「私は、どんな人格神の存在も信じません。私たち人間が、直接の経験で知っている神の精神は、愛だけであるというのが私の考えです。
・・・・(中略)・・・・
自分が愛によって動かされているとわかった時、私は、自分が正しい精神的針路をたどっていると確信します。
・・・・(中略)・・・・
生きている人であろうと、死んだ人であろうと、他人に対して敵意を感じていると気が付いた時には、・・・・(中略)・・・・自ら恥じ入り、悔い改め、他のことを考えたり、行動したり、感じたりするよりさきに、まず、この悪しき感情を直ちにはらい清めようと努力します。」

また、「平和の条件」というところには(P277)
宇宙の背後にある精神的存在と交わり、私たちの意志をそれと調和させることによって、自己中心性を克服することです。これが平和へのカギです。
私は、これが唯一のカギだと思います。
(iyo )おそらくこれは何らかの実体験から来る確信でしょう。

ちなみに、同書のなかで「モットーは何ですか?」と訊かれ、以下のように答えています。
「私のモットーは『愛に従え、たとえ愛が自己犠牲に導こうとも』でしょう。」

トインビーさんの方向転換は、まさにこれを実践した結果のように見えますし、(詳しいことは知りませんが)この方向転換が進むにつれて、歴史家としての評価は徐々に下がっていったのでは?・・・・と思ったりします。