2022年12月20日火曜日

被造世界を創造するのにどれくらい大変だったか

 以前、プログラミングの世界に「使って天国、作って地獄」という言葉がありました。
操作する人間の側の使い方が細部にわたって予測・研究されていて、非常に使いやすいシステム(プログラムとかアプリとか)は、それを作る側としては非常に大変(地獄)だというのです。
出来上がった動作から造る立場を類推する人は少ないし、どのようにして出来上がるのかその過程まで考える人は少ないと思います。

被造世界を創造するのにどれくらい大変だったか。
旧約聖書の創世記には七日で世界を造ったと書かれています。
神様は全知全能とか、万能とか言われます。
この被造世界を造ったとすれば、人間の目から見れば全知というのはありかもしれませんが、全能とか万能というのはどうなんでしょう?
誤解を受けて迷惑しているのではないかと時々感じることがあります。

個人的な考えですが、被造世界の想像はとても大変・・・・その程度は神様としても不可能に思えるほど・・・・だったろうと思います。
聖書の七日で造ったというのはもちろん譬えでしょう。
どうすればできるだろうかと神様も真剣に考えたと思います。
物質世界だけでなく、喜怒哀楽のような感情までつくり出して、人間や動物に与えるとなると、想像することすら難しい。

最近、ネアンデルタール人とホモサピエンスのDNAを調べてノーベル賞をもらった人がいました。
それで人類進化の過程がわかるとか・・・・私は進化論者ではないので納得してはいませんが!
この宇宙ができるには何十億年もかかっているとか・・・・この点は疑っていません。
ただし、造ったのは神様です。
そして、神様といえども何十億年(あるいはそれ以上)もかかったと受け止めています。

ほかにもピテカントロプスとか、アウストラロピテクスとかいろいろいますが、何故いるのか?
ネアンデルタールがホモサピエンスに進化したというのは間違いで、ネアンデルタールは神様の1つの試作品として造られ、それを人間として認めるには不合格に終わったとも思えます。
ネアンデルタールで試したことをさらに改善してホモサピエンスを造れば、進化したようには見えますね。
神様だって何度もトライして頑張ったのです・・・・神様がそのような性質を持っているので、人間にもそのような性質があるのです。

どうやったら効率的に且つ確実に造れるだろう?
バラ科というのをネット検索してみると、バラ科には、バラだけでなく、サクラやウメ、ビワ、ナシなどその他沢山の種類が含まれます。
最初に基本となる設計図を作って、実体化させます・・・・バラができます。
さらに設計図の一部(属性)を変化させながら、別の個体を造る・・・・そうすると、もとはバラと言っても、その先にはビワが出たり、サクラが出たりしてツリー構造の組織体系になります。
神様もどうやったら無駄なく最短時間でできるのか真剣に考えてたどり着いた一つがこの方法かも。

あちこちの分野で同じような手法が使われています。
プログラミングの世界にも、オブジェクト指向というのがあって、似たことをやっています。
世界中のプログラマは神様の後を追いかけているのかもしれません。
自分でもプログラミングしていて感じたことがあります・・・・神様と言えども、ドラえもんのポケットみたいに簡単に創造したのではなく、どうやったら無駄なく最短時間でしかも理路整然とできるのか真剣に考え抜いてたどり着いたのがこの方法なのかな?・・・・と

聖書の創世記では、神様は始めに光や宇宙や地球を造り、水や陸地も造り、最後に(六日目に)人間を創りました。
先に、人間が生きるのに適した環境を準備して、最後に人間を創ったと考えられます。
そしてすべてのものを治めよと言われました。
・・・・ということは、最終的に創りたかったのは人間でしょう。

ところで、創世記では僅かに最初の2章だけを充てて、天地創造開始から堕落前のことまでが書かれています。
第1章は、宇宙や地球、自然界などスケール雄大な世界の創造過程が殆どですが、途中から第2章にかけては人間の創造です。

個人的にですが、特に神様の期待と喜びが大きく感じられるのは、第2章19節付近で、神様はアダムと親しく会話し、エデンの園にある全てのものについての命名権をアダムに与えています。(創世記2:19)
わざわざこういう記述があるのを見ると、神様も人間が可愛くて仕方がなかったのではないでしょうか。
この時点では、神様にとっても楽しみなエデンの園の出発だったでしょう。
・・・・神様も親バカですね!


マッチング

教会の合同結婚式は、日本でも非常に有名になりましたが、マッチングの方法は変化してきています。
ごく初期の頃は、対象者となる男女が1箇所に集まって、実体で一人ずつ相手が選ばれました。
最終的には推薦された相手と話し合って決めたようですが、その場ですぐ断るというケースは殆ど無さそうです。
しかし最近は、そのようなパターンは少なくなりました。
現在では、昔の見合い結婚に近い方法で相手を決めることが多くなっています。
デートの場なども本人たちの意志で何度も設けています。

始めは親どうしが連絡し合って先に顔合わせし、その後に子どもたちを含めて会うことが多いのですが、今ではなかなか決まらず、何度も見合いする方もいるようです。
うちの子の相手探しをした時に、相手の家庭で起こったこと・・・・相手の両親が信仰熱心なため、思い込みで進めてしまい、土壇場になって子どもの方が本心を言う。
子どもとしては、当初は親の気持ちを傷つけたくないので、従順なのですが、やがて断り切れなくなる。
親たちは長年信仰生活をして安定していても、案外子どもの気持ちは理解していなかったりします。

ところで、マスコミの報道など見ていると誤解されがちですが、教会では男女関係の乱れを一切認めません・・・・これは教理から考えれば当然のことです。昔の言葉で言えば品行方正!
人間堕落がここから始まったと説いていますし、すべての罪の元になっているのが、この原罪であると説きます。
教会では一つの建物で団体生活をすることが多いので、勝手な憶測から根も葉もない噂が飛び回ったこともありますが、この点は完全な誤解です。
異性に対して触れることはありません・・・・相手がまったくの部外者の場合や、公的な場面で一般的・常識的な儀礼を無視するわけには行かない時など、やむを得ないこともありますが、信徒どうしではポンと肩を叩いたり、握手することすら殆どありません。
車で異性を送る場合なども、席が空いていれば、普通は横に座るのではなく、後ろの席に座ってもらいます。
祝福を受けてから度々教えられるのは、「自分の奥さんだけが女性で、ほかはダイコンやカボチャと思え」とか!
男性と女性はあくまでも1:1が原則・・・・それが相手を最も大切にできる方法でしょう!

・・・・では、普段の生活ではどうなのか?・・・・話をするなというのではありません。異性として見ずに兄弟姉妹として見る、あるいは親として、息子として対するということです・・・・議論して言い争いになったりするのはもちろんOK、この点は大いに推奨しています。
・・・・なので、稀には間違って駆け落ちのようなことも起こります!・・・・そうなったら真っ向から教理に反するので、特に懲罰があるわけではありませんが、そのまま居座るのは当然難しくなります。
男女は、いつかは結婚することを前提として創造されているので、いつまでも独身でいろというのではありません。
神様も一緒に結婚式に同席してお祝いして下さる時が来るというのです。

ところで、はなしが少しずれて来たのでもとにもどしましょう・・・・
私のマッチングはどうだったかというと、実体で出会う前に相手が決まりました。
上司から「決まりましたよ!」と言われて、何のことかと思い「何が?」と聞き返しました。
その後で、相手の写真を見せられて「あ、そうですか・・・・!」でした。

それで、どんな相手が選ばれやすいのかについてですが、様々ある中で自らの経験としては以下の2点です。これが最も多い傾向のようです。
1.顔が似ている
2.性格は正反対
どちらも時間をかければ、ある程度は確認できることですが、前もってそのような下調べをするとは聞いたことありません。
友人から聞いたところでは、写真を見ながら先生がすべて決めたとか・・・・1組あたり数秒とか、数十秒とか!

それから実際に家庭を持つまでの日数はまちまちで、一旦OKはしたもののその後葛藤が出てきて、時間のかかる場合もあります。
家庭を持つ直前には、信徒たちの前で挨拶・自己紹介をするわけですが、私たちの場合もすぐに笑いが起きました。
その理由は上記1です。しかも、その後よく分かりましたが、性格は正反対でした。
子どもが生まれてからは「あそこは三つ子だ」と言われたことも・・・・!

「相手は人間で異性ならばだれでもいい!」・・・・これは一般に言われる意味とは別の意味で本当のことです。
どんな相手でも幸福にしてみせる・・・・という意味で誰でもいいわけです。
しかし、相手は必ず一人です。
今の時代は、男も女も無数にいるし、テレビなど見ていると美形が殆ど!・・・・相手選びも大変でしょう。
エデンの園のことを考えてみると、神様はアダムとエバしか創造されませんでした・・・・相手は一人だけですから選択の余地は無し!
一般の結婚に比較して、教会の結婚は離婚率が非常に低いというのは本当のようです。