2024年4月29日月曜日

アレクサンドロスの東征と大航海時代

 このブログにペロポネソス戦争について簡単に書きましたが、ついでに終わりの方でアレキサンダー大王の東征についてもふれました。

ここでは「アレクサンドロス」と呼ぶことにしたいと思います。
「大王」というと、閻魔大王のような怖くて威厳のある人物を連想してしまうのですが、アレクサンドロスの肖像画はそれに全然似つかわしくなく、とても若々しくて目がパッチリと大きく、アニメの主人公みたいで、あまりにもイメージが合わないので・・・・実際、32歳で亡くなっていますし!

このかたは正確には「アレクサンドロス三世」でマケドニアの王、若い頃は哲学者のアリストテレスに教育を受けています。
ところでこのアレクサンドロスが東征を開始したのは、紀元前三世紀です。ペルシャ帝国を亡ぼし、インドまで行きました。まさに世界が拡張されたような出来事です。
この当時としては前代未聞の出来事で、原理でいう「メシア降臨準備時代」に起きています。

その後の歴史でこれに匹敵する事件を探してみると、大航海時代がそれにあたるようです。
以下のような出来事と、それに続く西欧の地球全体への進出です。
1492 コロンブスがアメリカ大陸発見
1498 ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路発見
1522 マゼランが世界一周(マゼラン当人は途中で死亡)

歴史家のアーノルド・トインビー氏の言によれば、
「アレクサンダー大王の時代に陸伝いに行われたギリシャの世界の拡張は、われわれが十五世紀の末に劇的な早さで海を征服したことから始まる西欧の発展に匹敵するものである。アレクサンダーがダーダネルス海峡からアジア大陸を横断してパンジャブ地方まで進軍したことは、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスの航海に劣らない大きな変化を世界の勢力の均衡に与えた。」 現代論集p70 

トインビーさんに限らず、一般的な世界史の解釈でも1500年は特別な年のようです。
以下は、歴史家マクニール氏の著書「世界史(下)」p35 より、
「近代とそれ以前を分けるには、大概の歴史的指標よりは1500年という年が便利である。これはヨーロッパ史について言える。つまり地理上の大発見と、その後に速やかに続いて起こった宗教改革は、中世ヨーロッパにとどめを刺し、とにもかくにも安定した新しいパターンの思想と行動を手に入れるための、一世紀半にわたる必至の努力が開始されたからである。・・・・1500年という年は、世界史においてもまた、重要な転回点となっている。」

この頃、ルターの宗教改革がほぼ同時期に起こっています・・・・1517年。

原理ではどうしても商売がら(!)大航海時代よりも宗教改革のほうが注目されがちで、この宗教改革からの400年を「メシア再降臨準備時代」と呼んでいます・・・・ということは、どちらの時代も「準備」として起こった・・・・まさに歴史が繰り返されていて、その名称がストレートに意味を表わしています。

それにしても、アレクサンドロスの帝国はあっという間に分解してしまい、後継者争いが始まりました・・・・ではなんのためにあんなことしたのか?・・・・一般の人から見れば大きな線香花火みたいなもの(!)で、その意味も分かりにくいでしょう。

・・・・これに意味を持たせているのがトインビーさんです。
ちなみにトインビーさんの地上における生存年は、1889年~1975年です。

「紀元二世紀の中ごろのギリシャ・ローマ的な世界がどんなになっているか見ることにしよう。そしてこれを(現代から見て)200年前の同じ世界と比較すれば、この間にいい方に一つの変化が起こったことに誰でも直ぐに気が付くはずであって、こういう変化は、わが西欧の歴史には不幸にして、今までのところまで起こっていない。
紀元前の一世紀に、ギリシャ・ローマ的な世界は革命や戦争の連続で、その混乱と悲惨は今日の西欧の世界によく似ている。しかし紀元二世紀の半ばになると、ガンジス河から英国のタイン河までの世界が太平を謳歌している、ギリシャ・ローマ的な文明が武力によって広められた、このインドから英国に至る広大な地域は、このときわずか三か国に分割されて、その三国はほとんど摩擦などすることなしに共存している。」現代論集p73

この三か国とはローマ、パルチア、クシャンの各帝国とのことで、これら帝国を建設・支配したものはギリシャ人ではないが、「ギリシャ愛好者」であることを誇りにしていたとのこと。

この現代論集に載った、「世界とギリシャ人およびローマ人」という文章から言葉を拾ってみると、
その生活は、「理想からは遥かに遠いが」、「それまでの乱暴極まる無政府状態よりも、明らかにずっと望まし」く、「前の時代よりも安全で、そして退屈であることを免れない。」
・・・・しかし、そのせいで寧ろ「人間の心に精神的な空白を生じさせ」、「この空白をどうすればうめることができる」のかが、この世界にとって最大の課題になったことのと。

(iyo )これはどういう意味なのか、引用させてもらっている本人としても、十分に理解できているか怪しいところですが、要するに制度的な外的なことは充分に満たされたが、人間の内的・精神的な面に問題があったということでしょうか・・・・それで、時間をかけた緩やかな「反攻」が始まるのですが・・・・
この反攻は・・・・
「ギリシャ人やローマ人の手から指導権を取り上げ、・・・・それがあまりにそっとだったので、当のギリシャ人やローマ人はその固い手に何も感じなかったから、気づきもしなかった」
「今までとは別な分野で行われたために、それが紛れもない一つの反攻であることにすぐには解らなかった。ギリシャ人やローマ人の攻勢は軍事的な、また政治的な、そして経済的な性質のもので、今度の反攻は宗教的なものなのである。そしてこの新しい宗教的な運動は将来、非常な成果を収めることになるのであるが、・・・・」

・・・・それで、要するにどうなったかというと(説明が難しいので省略・・・・あしからず!)、
「そして、スキタイ人もユダヤ人も、ギリシャ人も、また奴隷も、自由人も、男も、女もなくて、誰もがイエス・キリスト・・・・あるいはミスラス、あるいはクベレ、イシス、または誰か菩薩の一人、阿弥陀如来か観音とともに一体をなす、新しい社会が現れる機会が生じたのである。」

歴史の研究に少しわかりやすい説明が・・・・
「アレクサンドロス時代以後のヘラス人が活気に満ちた非ヘレニック社会の宗教に接触するとともに、この経験がヘラス人の心の中に呼び起こした感情のうちには、聖職者の欺瞞にひっかかる愚かな人間を軽蔑するよりはむしろ、そのような高価な真珠をもっている恵まれた人びとをうらやむ気持ちの方が多く含まれていた。ヘレニック文明世界は宗教的空虚の中にいるという事実に気づき、不安になった。」3-p139

もともとヘレニック文明というのは、「知性が心の役目を引き受けて、宗教の代わりに哲学を編み出すという、全く人間的な性質のもの」現代論集p78 ・・・・でした。
「全く人間的な性質のもの」とは神様不在ということでしょう・・・・ゼウスとかポセイドンだとか、八百万の神は沢山いますが。
西欧文明がキリスト教から離れ始めたのが17世紀、その傾向は第二次世界大戦後まで続いたとのことなので、状況は似てきているのかも(?)

そう言えば、今になって思い出すと、西暦20世紀から21世紀の変わり目で「ミレニアム2000」とか世間でさかんに騒がれたとき、21世紀は心を大切にする時代とか平和な時代になるとか言われてましたが、これからそのような方向へ向かうのでしょうか?
トインビーさんによれば、「それは解らない。われわれにはただ、世界の歴史で一度起こったことは、少なくともこれからまた起こる可能性があるということしかいえないのである。」現代論集p79

「ヘレニック文明が世界の他の地方と出会った劇の筋を、一文で要約してみよう。ヘレニズムは、軍事的政治的知的芸術的な面での攻勢において、世界に対して一時的な勝利を獲得した。世界は宗教的な面で反撃に出て、逆に勝利を収めた。しかも今度はこの勝利の影響は一層永続的なものであった。」現代論集p109


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