トインビーさんの著書「歴史の研究」に、イエス様の弟子として歩んだペテロ(シモン・バル・ヨナス)についての記述がありました。どこかの○○派とか言った教えではなく、敢えて言えば「トインビー派の解釈」です。
ペテロは熱心党という当時の政治的宗教集団に所属していました(またはゼロト党とかゼロテ党)マタイ10/4
ローマ帝国の支配に反対する急進派です。
ローマ帝国の支配に反対する急進派です。
初めに身を捧げようとしていたユートピアを追求している間は、どこか精神的に盲目なところがあって、それが彼のエネルギーを誤った方向に向けさせ、偉大さを覆い隠していた。
・・・長い間迷い、途方に暮れていた魂が、新しい生活態度に転向することによって、ついに自己の最高の可能性を悟ることができるようになった。/10-p189
かれはイエスをメシアと呼んだ最初の弟子であったが、同時に、その後、師と仰ぐイエスから、かれのメシア王国は決してキュロスのイラン世界帝国をユダヤ風に改めたようなものでないことを明らかにされた時に、まっさきに抗議した人間であった。
その直情的な信仰の褒美に特別の祝福を受けた直後に、師の王国のビジョンが弟子の固定観念に合致しなければならないと、頑迷に、食ってかかるようにして言い張ったために、完膚なきまで叱責された。/10-p191
ペテロ:「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません。」マタイ16/22
イエス:「サタンよ引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。」
(ここでの「サタンよ」とはペテロに向かっての言葉)
師の恐ろしい譴責(ケンセキ)によって自分の誤りを目の前に突きつけられた後でさえ、訓戒は大したききめがなく、次の試みに於いて彼はまたもや失敗した。/10-p192
キリストの変貌の三人の目撃者の一人に選ばれたおりに、彼は師のかたわらにモーセとエリアが立つのを見て、ただちにそれを「解放戦争」開始の合図と思い込み、その場に、チウダやガリラヤのユダの徒が、ローマの当局者が彼らの蠢動を知って、彼らを追い散らすために遊撃隊を派遣するまでの短い猶予期間に、よく荒野のなかに設けたような、陣屋の中心を建てることを提案して、幻の意味を散文的に取り違えたことを暴露した。
この耳障りな雑音が入った瞬間に、メシアの道についてのメシア自身の啓示を受け入れよ、という戒めの声を後に残して幻は消えた。
主が預言されたすべてのことが明らかに本当になった主の地上に於ける生涯の頂点に於いてさえ、この徹底した未来主義者はゲッセマネの園で戦うために剣を抜いた。/10-p192
そして彼の主が、彼が再び本能的に暴力に頼ったことを決然として抑えたので、彼は狼狽して絶望的な気持ちから卑劣な裏切りに走った。/10-p192
(iyo )その少し前には、ペテロだけでなく、弟子たち皆が「あなたを知らないなどとは決して申しません」と言っていたのに・・・・マタイ26/35。
「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」マタイ26/56
「『そんな人は知らない』と誓って言った」
「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく鳴いた。マタイ26/72
この彼の生涯における無上の経験をした後、キリストの十字架の死と復活と昇天によって、やっとキリストの王国がこの世のものでないことを悟った時でさえ、依然としてペテロは、この変貌した王国に於いてすら、その国の市民となる権利はユダヤ人だけに限らねばならないと信じたがった。/10-p192
・・・・(中略)・・・・
使徒行伝のなかでペテロが登場する最後の数場面のうちの一つにおいて、彼はいかにも彼らしく、天から降ろされた大きな布の幻とともに聞こえてきた明瞭な命令に意義を申し立てている。
ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。使徒10/14
しかし、ペテロが物語の主役の地位をパウロに譲るのは、パリサイ人だったパウロがただ一回の強烈な精神的経験によって瞬時に感得した真理を、ペテロがやっと最後に悟った話が記されてから後のことである。
ペテロの長い悟りの過程は、屋上の幻の後でコルネリオの使者が門口に到着した時に完了した。
そして、カイサレアのコルネリオの家での信仰告白に於いても、またエルサレムに帰った後、ユダヤ人キリスト教徒の前で行なった、コルネリオの家における彼の行動の釈明においても、ペテロはもはやキリストのとがめを受けるおそれのないことばで神の国を説いた。
/10-p193