2024年8月3日土曜日

霊的な感動と音楽

 「はじめに」にも少し書きましたが、クラシック音楽とのお付き合いはかなり長く続いています(聴くだけです!)
聴いていて「霊感とはこんなに気持ちのいいものか!」と最初に感じたのは、ベートーベンの後期弦楽四重奏曲でした。
学生時代にクラシック音楽を聴き始めたのですが、おカネがなかったので、初めは図書館から借りて来たLPレコードを繰り返し聴きました。
それ以降しばらくの間は、クラシック音楽の最高峰は、この一連の弦楽四重奏であると信じて疑いませんでした。
考えてみると、聴かずぎらいでオペラなどには殆ど耳を貸さず、ワーグナーなんて親の仇みたいに思っていたような!・・・・聴いた曲も多くは無いし、そんなこと言えるはずもないのですが・・・・。
*後期弦楽四重奏というと、番号で言えば12番以降です(番号のついているのは16まで)

一般にも、「ベートーベンの最高の作品はなに?」と尋ねられて、「後期の弦楽四重奏群」と答える人は案外多いようです。たしか、高校時代の音楽の先生もそんなことを言われていました。
さらに、演奏形態別にベートーベンの主要な3つの柱は、交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲である点も、異論はないでしょう。
その3つの柱別の最高峰は言えば・・・・ここは個人的な意見で好みにもよるでしょうが・・・・すべて終りのほうに集中していると思います。ベートーベンほど、年齢と共に成長し続けた作曲家も珍しいでしょう。
見方によってピアノソナタは「熱情」や「ワルトシュタイン」、交響曲なら「英雄」や「運命」など中期の作品を重視する方もおられると思います。そういう私も、「一番良く聴いたピアノソナタは?」と訊ねられたら、ワルトシュタインになると思います。

ところで、曲は立派でも演奏が下手では話になりません。有名な曲になると、殆ど同じ楽譜を用いた演奏でも星の数ほど出ていますし、同じ演奏家でも思い入れのある曲になると、何度も録音し直したりします。他の分野でもあることですが、クラシック音楽の場合は際立った特徴と言えるでしょう。

ある指揮者・・・・アメリカ人で最初の大指揮者と言われました・・・・それだけで「ああ彼のことだな」と分かってしまう方もおられると思います・・・・ミュージカル「ウェストサイドストーリー」の音楽も作曲しています。
・・・・そのアメリカ気質のせいか、クラシック音楽とは必ずしも相性のいいところばかりではなく、率直な性格が仇となって表現の深みにイマイチの感があり、一時はスランプに陥っているようにも見受けられました。
その後しばらく時を経て、ユニークにも彼が演奏する後期弦楽四重奏のオーケストラ版LPレコードを店頭で見かけました。後期弦楽四重奏曲をオーケストラで演奏するというのはあまり聞いたことありませんし、この人の以前の演奏スタイルからは似合わない曲目です。その演奏を聴かずとも、「おー、この人変わったんだな!」と思いました。

中でもベートーベンの曲は精神面で闘いのある曲が多いですね。例えばモーツァルトなどは、楽しい悲しいで音楽が展開するのに対して、ベートーベンは嬉しい苦しいで展開することが多いようです。
人間の努力を強調しているようにも聞こえてきます。(・・・・この点は、うちの教会と通じるところがあるような!)
ベートーベンはキリスト教?・・・・「そうです」とは答えられますが、特に宗教色が強いわけでもなく、作曲した宗教音楽も多くは無いので、敢えて言えば「ベートーベン教」というのが適切かもしれません。
芸術ですから美を追求するのは大前提として全ての作曲家に共通するでしょうが、その中でベートーベンは善を追求する傾向が強いかたです・・・・そのせいか、特に若者には良い影響を与えてきたと思います。

実は私もモーツァルトのほうを良く聴いた時期もありましたが、学生時代ののんきな時はモーツァルト、会社へ就職していろいろとたたかいの多くなったときはベートーベンでした。
モーツァルトを聴いて泣くというのはあまりありませんが、ベートーベンにはよく泣かされることがありました。
先生の言葉の中にも「天国は地獄を通過していく道」という恐ろしげな言葉がありますが、交響曲の第五や第九も闘ってやがて勝利するストーリーです。
・・・・もっともショスタコーヴィッチの第五(革命)もそうでした!・・・・当時、ソ連共産党が絶賛したとか。
ベートーベンの場合、ツンボになった作曲家ですから、自分自身も闘って克服する道を歩んでいます。

しかし、後期弦楽四重奏の場合は、それをさらに通り越したような面も見られます。
喜怒哀楽というような、言ってみれば「肉的な感動」というよりも「霊的な感動」・・・・厳然とした(?)・・・・なんと言いますか・・・・「感動しない感動」というか、勝手に感動のほうからやってきます。

この時、さらに不思議な体験をすることがよくあります・・・・感謝して聴くとさらに感動の度合いが増してくるのです。
当初、その現象が何故起こるのかよく分かりませんした。
では近ごろは?・・・・今もやっぱりわかりませんが、それでも以下のような先生の講話の断片を思い浮かべることが多くなっています。
「中心が人間ではなく神であるゆえに、人間を中心とした理想世界は成就されない。」
聴きながら、「この曲素晴らしいですね!」と、こころで話しかけるように聴いたりするのです。
作曲したのはベートーベンですが、被造世界の主催者はやはり神様であることを改めて感じるわけです。

教会ではルーシェル、ミカエル、ガブリエルが三天使長と言われます(ルーシェルは堕落してサタンとなっています)
この順番で知・情・意をつかさどっているとか。
ところで、クラシック界の最も良く聴いたビッグ3を挙げると・・・・私にとっては、バッハ、モーツァルト、ベートーベンです。
この順番で年齢順に並んでいますが、後ろのお二人は生きて出会っています。
また、性格的に見るとやはりこの順番に知・情・意で並んでいます・・・・まさに三天使長のようです。
作品の特徴も一言で言えば、どこかの本(?)にもありましたが、この順に真・美・善を代表するような音楽になっています。
教会の修練会などに参加し、阿呆鈍感状態(詳細はこちら)が一時的に緩和されるせいか、帰宅して音楽を聴いてみると、自分でも驚くほど感動したりするのですが、中でも一番感動するのはバッハ、次がベートーベン、その次にモーツァルト・・・・霊的感動の度合いという観点から見ると、ほかにもいるのですが、3人中ではこの順番(・・・・この順に優れているという意味ではありません)

バッハという作曲家は、私としてはこの三人の中では寧ろ馴染みにくいというか、相性がイマイチなのか、はじめのうちは聴くことも少なかったほうですが、こういう時はまるで原理そのものが動き回っているように聞こえてきます。
若き日のベートーベンも、バッハの「平均律」をよく練習したそうですが、私もよく聴くようになりました(・・・・聴くだけです)
知的な作曲家というなら、ドビュッシーも!・・・・という方もおられるかもしれませんが、バッハとドビュッシーでは、しょせん「たま」が違います。上記の三人は私にとっては神の領域ですが、ほかの方々は人間です。

以前、バッハ作曲の無伴奏チェロ曲を朝の起床の音楽に選んだことがあったのですが、それがもとでうちのカミサンから怒られました。
「どうしてこんなギーコギーコをかけるのよ!」と・・・・1930年代くらいにモノラル録音された演奏でした。
この曲はチェロを演奏する人から見れば、聖典(名曲中の名曲)のようなもので、録音も沢山出ています。一方、この演奏はその中でもかなり古いもので、最も「ギーコギーコ」の程度が高いかも知れません。
この「ギーコギーコ」演奏のヌシは、パブロ・カザルスと言って、チェロ奏者として当時は神様扱いされた方でした。
風貌は頑固じいさんそのもの!・・・・その演奏は・・・・それがそのまま音楽化したような!・・・・だけではなくて、この方を論ずるときには、よく倫理的な生き方についても触れられます。第二次大戦でのナチスドイツに対する対応や、自国スペインのフランコ政権に対する対応などにも、よく語られるエピソードがあります。

善・悪という観点から音楽を見る人は少なめでしょう。
美という観点が優先されがちな分野ですが、現世は手放しで浸れる時代にはなっていないように思います。このことは、カザルスさんが教えてくれたような・・・・。
因みに、国連で平和のためのコンサートを行ったり、ホワイトハウスに主賓として招かれて演奏したこともあります。

最近は聴く機会も少なくなって、まともな再生装置も持ってませんが、音楽にはとてもお世話になったと感じています。






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