2025年5月5日月曜日

真の父母

 統一原理に初めて触れたころ、人間には2種類あると理解しました。
考えてみれば、聖書の創世記を見ても分かることですが、創世記では寓話として読んでしまうことが多く、あまり踏み込んで考えることもありません。
男性と女性の2種類ということではなく、1つは神様が直接作った(創造した)人間、もう1つは人間から生まれてきた人間です。前者はアダムとエバの二人、後者はその他大勢の人間です。
神様が直接つくった人間も、人間から生まれた人間も同じ血統を継ぐものとして扱われることに不思議な気もしました。
その他大勢のほうは、そこらじゅうにあふれているので、あまり興味ありませんが、このアダムとエバという二人はどんな・・・・?

二人は神様の直系の子女ということができるのでしょうか?
神様がエバをつくった時には、「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉・・・・」と言いました。
さらにその後は、「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」という流れで、その後は、ひとがひとを繁殖するようになります。
とすれば、やはりアダムとエバは神様の直系の子女と言えるでしょう。

ただし、その後に堕落が起こっていますし、エデンの園を追い出されました。
「おめえらなんかもうおれの子供じゃねえー!、とっとと出て行きやがれ!」と神様が言われたかどうか?・・・・堕落という出来事は、血統をも分断する恐ろしい出来事で、そんな中途半端な悲しみかたではすまなかったと思います。こんなことを言うだけの余裕もなかったでしょう。
ということは、アダムとエバでさえ直系の子女でいられた期間は長くはありません・・・追い出されてから子を生んでいます。

では、イエス様は?・・・・
「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」ヨハネ10/38
「わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。」ヨハネ14/11
イエス様は神様を父としています(聖書を見るとほかにも沢山!)
新約聖書を見ても、神様がイエス様をつくった記述はありませんが、イエス様はうそはつかないでしょう。

同じ直系の子だとすると、イエス様と堕落前のアダムとの関係・相違はどのようなものでしょうか?

イエス様の出生については、またいろいろあって書ききれません(ここでは省略)が、このかたはいったい何しにきたんでしょうか?、神様は何のためにこのかたを送り込んだのでしょうか?

「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう(創世記2章)」と言って、神様はエバをつくられました。
では、イエス様には助け手はいないのでしょうか?・・・・ひとりでいるのは良くないなら、神様も最初の時と同じように全力を尽くして準備したでしょうから、どこかにいるのでは?
・・・・なのですが、イエス様が十字架で死んじゃったので、このような女性がいたとしても、すっぽかされてしまったことになります。

それで残念ながら、この時も神様の願いは成就できませんでした。
イエス様も「また来る」と言い残して、再臨ということになります。
(・・・・イエス様がこられたことによる恩恵が無いのではありませんが、本来はまだ先があったのでは!)

「また来る」といっても、今日、明日ではなく、その期間は神様の尺度(?)によるでしょう。
創世記の時も、神様はきちんとエデンの園という環境を準備してから、アダムとエバを創造しています・・・・動物や植物もつくり、最後にアダムをつくってから、それらに名前を付けさせました。
天地創造という環境づくりは全てアダムとエバのためとも言えますから、そのために何十億年を費やしています。
神様も最後の喜びの絶頂を目指して全力投入したと思います。

初めからリセットして天地創造からの必要はないでしょうが、イエス様の時も、何らかの環境整備をしていたはずです。
聖書の時間で考えても、アダムとエバが堕落してからイエス様がやってくるまで4000年かかっています。
この4000年には、ノアがでて洪水審判が起きたり、アブラハム・イサク・ヤコブが出て勝利者の称号を受け、民族を形成してモーセを中心にエジプトから脱出したり、サムエルやサウル・ダビデ・ソロモン、その後はバビロン捕囚・・・・・と、沢山のことが書かれています。
この流れの頂点に立つのがイエス様でしょう。
神様の事情はよくわかりませんが、結果的には、このために4000年を費やしました。

今度はどんな準備が必要でしょう?
今度来られるイエス様(再臨主)は、前回降臨時の達成地点を越えて完成を目指すことでしょう。
前回はヨメサンをもらうことができませんでしたが、今回は子羊の婚宴もおこなって、ずっと先まで・・・・神様の直系として、神様の伝統を子々孫々まで残さなければならないかも。
(子羊の婚宴についてはこちら

原理には「真の父母」という言葉があります。
キリスト教の歴史には無いことばですが、実は天地創造以前から神様の計画の中にあって、人類始祖アダムとエバがその立場に立つべきでした。

独り息子だけでなく、独り娘もいなければならないというのです。
アダムとエバはエデンの園を追い出されてから子女を生みましたが、本来はエデンの園の中で、神様も同参して子羊の婚宴をしなければなりません。やがて神様にも孫ができるでしょう・・・・それもひとりやふたりではなく。
・・・・なので、この「真の父母」という言葉は画期的な言葉です。

実際にこのことが起こっていれば、新しい歴史が始まります・・・・旧約時代とか新約時代と肩を並べる・・・・いや、それ以上の時代です。

以下、先生の講和より・・・・

「真の父母」という言葉をはっきりと知ることによって、何が分かるのでしょうか。
人類始祖の堕落が不倫の関係によってなされ、神様と関係のない、創造理想を立てようとした真の父母とも関係のない血統的因縁を残しました。誤った血統を受け継ぐようになったのです。ですから、「真の父母」という言葉は、人類始祖から歴史上のすべての人間が、誤った血統の中で生きたことを清算し、神様を中心として新しい本然の根を中心とする愛と生命と血統がつながるという意味で語る言葉です。
真の父母を中心とするところから、理想的な歴史が出発し、新しい文化が出発し、新しい愛が出発し、新しい人生が出発し、新しい家庭が出発し、新しい国家が出発し、新しい世界が出発し、天国と神様の愛が出発するのです。(天聖経144ページ)

神様の願いや人類の願い、すべての万物の願いとは、真の父母がこの地に現れて、神様の真の愛が出発することです。それが創造の始まりであり、創造の過程であり、創造の目的と結果でした。人間が堕落しなかったならば、真の父母がこの地上に現れ、真の愛を中心として家庭を築いていたでしょう。それが神様の願いであり、神様が人間を創造した理想でした。
堕落していないアダムとエバが、この地の真の父母になったならば、神様の真の愛を中心として、鉱物世界、植物世界、動物世界、被造世界の全体が一つになっていたでしょう。それにより、真の父母を中心として、すべての被造物が神様の愛の懐に抱かれていたでしょう。ですから、神様は、この地のアダム家庭を中心として、アダムとエバと共に一つになり、このすべての万物を主管しながら、愛の中で暮らさなければならなかったというのです。それが神様の願いでした。(真の父母経554ページ)

天国は、真の父母から始まるようになっているのであって、今までの堕落した子孫から始まるようになってはいません。(天聖経799ページ)

真の父母として来るためには、どのようにして来なければならないのでしょうか。まず真の父に代わり得る、一人の男性が現れなければなりません。それで、神様のみ前に「私はひとり子だ」とイエス様が言われたのです。
ひとり子が現れたのですが、ひとり子だけではいけません。ひとり娘がいなければなりません。ひとり娘を探して、神様を中心として、たがいに喜ぶ位置で結婚しなければなりません。結婚して、神様が縦的な父母として喜び、横的な父母として喜ぶことができる新郎新婦となって、地上で息子、娘をうまなければなりません。(天聖経149ページ)

アダムとエバが堕落する以前、神様の願いとはなんだったのでしょうか。アダムとエバが、本然の真の父母を中心とする真の血族として、氏族、民族、国家、世界を形成することでした。そして、天国世界を成し遂げることが、本来神様の創造理想でしたが、人間が堕落することによって、父母が壊れていき、子女が壊れていき、結局、今日のような世界になってしまったのです。
この地球上で暮らしている人類が、一様に、真の父母の血統的関係を経ることができていない現世のこのような状態では、神様と関係を結ぶことができません。したがって、真の父母として来られる方が再臨主です。六千年歴史は、失ってしまった真の父母、すなわちアダムとエバの完成基準を復帰する歴史だったのです。(天聖経151ページ)

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