2025年9月23日火曜日

苦悩と回心

   (途中に「(iyo)」と記して文章を続けているのは、私のコメントです)

「一歴史家の宗教観」では、著者は特定宗教の具体的な言葉を避けているようで、こんな言い方をしています。
1.新しい福音
2.実在 または 絶対的実在
3.受難のしもべ
これはキリスト教で言えば 1.その教え、2.神様、3.イエス様のことと思って良さそうです。
(厳密ではありません)

ところで、「第六章 高等宗教の出現」という見出しがあり、以下のようにはじまります。

「人間崇拝のどの形体にもすべて、それが間違っているというばかりでなく、さらに罪でもあるような二つの誤りが含まれている。その一つは・・・・」

(iyo )このひとつめは省略して次の方に焦点をしぼります・・・・

「いま一つの誤りは、人間の力・・・・それが集団的、物質的なものであれ、個人的、精神的なものであれ・・・・を崇拝することなのであるが、これが誤りであるわけは、人間の力を崇拝するものは、これによって、苦悩に対する正しい態度を見出すことができなくなるからなのである。」(一歴史家の宗教観p120)

「人間崇拝は、苦悩が生の真髄をなすというあの真理を認めようとせず、またこれに基づいて行為することを拒否するものである」(同p166)

(iyo )「苦悩に対する正しい態度」とはどんな?・・・・新約聖書が何を教えているかについて。

「新しい福音は、絶対的実在が人間でも自然でもなく、これら両者をともに超越したものだという一つの信念のうえに築かれている。
それは苦悩が生の真髄を成すという真理を認め、苦悩を除こうとすることなく、かえってこれを利用して、人間のものであるとともに神のものと信ずるところの憐みと愛の感情にもとづいて行為するための一つの機縁としようとするものである。」(同p166)

(iyo )要するに、苦悩とお友達になりましょうということでしょうか。
続けて、
「それはまた、このような行為の道が、生の本質と目的とを、自己主張以上に真実に、したがってまたより創造的に、表現するものだということを信じている。
愛の導きに従えば、人間は苦悩に身をさらすことになるであろう。なぜならそれは、自己中心の流れに逆らって泳ぐことになるからである。

しかしこの新しい福音が人間に教えていることは、人間が愛のために苦悩に身をさらしても、それは宇宙の主流に逆らっているのではなく、これとともに泳いでいることになるということであるが、それはあの真なる神をその一面としてもつ一つの絶対的実在が、宇宙を創造し維持している一つの力であるばかりでなく、自己犠牲によってみずからを表現する一つの愛でもあるからである。

神は宇宙の中心なのであるが、それは他を撃退するゆえにこそみずからも挫折することになるような一種の自己中心的な自己主張をしているためでなく、それに応答する愛と自己犠牲とを神の被造物のなかに喚起するような一種の自己犠牲によってそうなのである。」 (同p166)

「人間がこのように回心すれば、元来回心前の人間が、なんらかの力を・・・・集団的、物質的な力にせよ、個人的、精神的な力にせよ・・・・獲得し行使することによって、みずから苦悩を回避せんとする努力を払うものであるのに対し、このような努力を放棄するばかりか、かえってこれと反対に、すすんでわが身に苦悩をうけ、おなじ衆生に対する愛と憐みの情にもとづく行動をじぶんの苦悩とかけがえにおこなうことによりこれを積極的に生かしてゆく道を採択するようになるのである。
人間は、この心情の変化によって、神の新しい姿に対し眼がひらかれることになる。人間はこれにより、ちからであるとともに、愛である神の姿をかいま見ることができるのであるが、・・・・」(同p121)

(iyo )
苦悩に対する正しい態度 ←→ 堕落人間には難しいのですが、本然の人間は上手に付き合って行ける(?)
これによって神様を見ることができる?・・・・神様って、やっぱりこころの奥で見るものなんですね。
これが、トインビーさん流の回心のメカニズムとも言える内容になるのでしょうか!

(iyo )
いかに「苦悩」とお友達になってうまく、仲よく付き合ってゆくか。・・・・これが上手にできるのが本然の人間かも!
堕落人間と本然の人間の血統の違いは、こういうところに現れてくるのでしょうか。

先生の講和にも、こんな示唆的な言葉があります・・・・
「サタンは傲慢なので、困難な所を嫌います」(真の父母経827ページ)
 ここで言っているサタンとは堕落人間全てと受け取ることもできます。

そこいらのオッサンでもこんなことばを頻繁に発します。
「苦労しろ!」、「若いときの苦労は買ってでもしろ」、「おめえは苦労が足りねえよ!」

「苦労」と「苦悩」は違いますし、苦しさから見て、苦悩は苦労の何倍も上で次元が違うとも言えますが、堕落人間がオススメできる限度は「苦労」まで?

「愛には犠牲が伴なっている」(先生の講和より・・・・出所不明。いたるところにあり)

(iyo )
他の場所では「回心の奇跡」とも言っています。「奇跡」というからには、堕落世界ではめったに起こらないような稀な出来事ということでしょう。
これは・・・・もちろんとことん追い詰められたような状態においてのことでしょうが・・・・必ず起きると言えるでしょうか。こんなふうに公式化できるものでしょうか?

そういえば、原理によればイエス様は別に特別な方ではなく、本来あるべき普通の人間となっていましたし、だれでもその素質は持っている(?)
本然の世界においては誰でも日常茶飯事のこととして経験するとか!・・・・100年足らずの間に、神様の指示されたとおり地上生活の目的を達成するのは忙しいでしょうから。

(iyo )ここでいう「苦悩」という言葉は、かなり広い意味で受け止めておく必要があるかもしれませんね。

「人間生活においては、苦悩は力の対照をなすものであり、しかもそれは力以上に特徴的な、また根元的な生の要素でもあるのである。
われわれがすでに見てきたように、苦悩は生の本質をなすものなのであるが、それはこの苦悩が、生あるものにそなわったみずからの宇宙の中心たらんとする衝動と、それが本来他の万物に依存するのみならず、すべてが『そのうちに生き、動き、またある』ところの絶対的実在にも依存しているという事実とのあいだに存在する一つの解きがたい緊張から必然的に生み出されてくるものだからである。」
(一歴史家の宗教観p120)

以上、トインビーさん流の解釈に、私の独断と偏見を追加してみました。

「歴史の研究」の大きなテーマは、著者本人も言われていますが、「挑戦と応戦」です。

苦悩がおいしいケーキとかビフテキに思えるようになれば一人前とか!




2025年8月26日火曜日

西欧文明はペテン師?

 原理講論の総序には、共産主義はキリスト教から生まれたと書かれていますが、改めてここに抜き出してみますと・・・・
「ローマ帝国のあの残虐無道の迫害の中にあっても、むしろますます力強く命の光を燃え立たせ、ローマ人たちをして、十字架につけられたイエスの死の前にひざまずかせた、あのキリストの精神は、その後どうなったのであろうか。
悲しいかな、中世封建社会は、キリスト教を生きながらにして埋葬してしまったのである。
この墓場の中から、新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめたのであったが、しかし、その光も激動する暗黒の波を支えきることはできなかった。
初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である。
神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻 す者たちが現れたとしても無理からぬことである。
このようにして現れたのが唯物思想であった。
かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである。」

このキリスト教の没落について、歴史家のトインビーさんが「相次ぐ衝撃によって崩壊した」として、分かりやすく7つの出来事を挙げています。(一歴史家の宗教観p256)

1.13世紀に起こった教皇庁と皇帝フレデリック二世(1194 - 1250)とのあいだの確執
2.14世紀に起こったアヴィニョンにおける「バビロン幽囚」(1309 - 1377)
3.教会大分裂(大シスマ 1378 - 1417)
4.14世紀における教皇と「宗教会議運動」との争い
5.宗教改革
6.宗教戦争
7.ヘレニズムの復活
・・・・あってはならないことが並んでいます。

ちなみにローマ教皇の全盛期は、教皇イノケンティウス三世の時と言われ、在位1198~1216年。

トインビーさんは、これを「勝利の陶酔の破滅的結果の最も顕著な実例」として挙げていますので、このブログでもその成長・没落・影響について抜粋しながらこちら(ローマ教皇制の発展と没落)に書いています。
まさに大失敗の展開ですが、この破滅が始まる直前の到達点については高く評価しています。
「中世の西欧キリスト教の生活様式は人類のなしとげた稀有の業績の一つであり、その時代精神は権威と自由とのあいだの危なげではあるがしかし創造的な均衡の上に立っているもののように見えるのである。・・・・この柔軟性に富んだ体制は、『中世西欧キリスト教連邦』に多様性を含みながらそれが統一された一つの社会を与えたのである」(同p255)

登りつめたその頂点は、人類が最も神の国に近づいた地点だったのかもしれません。
現代の感覚から言えば地球規模とは言えませんが、当時の住人にとっては、全世界のようなものでした。
上記「中世西欧キリスト教連邦」は、国家を超えるところまで行きました。これに相当するものを探してみるなら、国連がそうかもしれませんが、今の国連にはアメリカやロシアを破門・・・・(この場合、破門と言うのはおかしいので、何らかの効き目のある懲らしめ)・・・・するほどの権力は無いでしょう。

上記イノケンティウス三世をネット検索してみますと(「世界史の窓」より抜粋)
「ローマ=カトリック教会の全盛期のローマ教皇。在位1198~1216年。ドイツ国王の選出に干渉し、ローマ教皇による採決権を主張、意のままにならないドイツ王(神聖ローマ皇帝オットー4世)を破門にしてしまった。また、王妃離婚問題からフランスのフィリップ2世を、さらにカンタベリー大司教叙任問題でイギリス王ジョンをそれぞれ破門し、屈服させた。ローマ教皇のもとで、英独仏の君主が破門されたり、意のままに操られる事態となり、教皇権は最高潮に達したと言える。このような事態を示す言葉が、『教皇は太陽、皇帝は月』という彼自身の言葉である。」
・・・・ドイツ、フランス、イギリスなど、大国の国王を破門しています。やりたい放題! そのほか十字軍などでもいろいろやってます。

その後、このおごりが没落に繋がるわけですが、上記7つはどれもこれも分裂です。
「奈落の底へ真っ逆さま」と言ってもいいくらいどんどん悪化!・・・・「V字回復」というのがありますが、その正反対なので、「A字没落」といったところでしょうか。

例えば、宗教改革ではルターの起こした行動は立派なことでしょうし、「新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめた」という原理講論の通りかもしれませんが、出来事としてはキリスト教の分裂となりました。
キリスト教が分裂したら、ローマ教皇の権威は・・・・?

その次の宗教戦争は?・・・・「宗教戦争」という言葉が生まれたこと自体がおもしろい(と言ったら失礼でしょうか)
ユグノー戦争とか三十年戦争とか八十年戦争とか・・・・ここにはいろいろな都合で、多くの国、国王が介入してきました・・・・宗教の上に国王が立つ!、宗教は国王の戦争道具・奴隷になり下がった!

「たしかに教会を更新し、それを神聖なものにしようという努力は、政治に対して巨大で直接的な衝撃を与えた。聖書の教えにしたがって人間生活を神の意志に同化させようとする長い真剣な努力は、人間の精神を変え、その行動を変革した。教義上の意見の相違に支えられた全面的な暴力が、急激に火を吹き、一世紀以上もの間、ヨーロッパはキリスト教の真理の名において戦われた戦争のため、動乱に巻きこまれたのであった・・・・ただしそれはキリストの真理の教えるところとは、ほとんど一致しない激しい戦いであった。こうした暴力や流血の最中にあって、世俗的な戦士たちは、絶え間なくその権力を伸ばしつづけた。プロテスタントになった主要な国々においては、政府はかつて教会人によって所有された財産の大部分を手に入れた。そして主な教会人を任命するか、少なくとも任命を認める権利を手に入れた。ほとんど同じような運命が、教皇への忠誠を守り続けた国においても教会を襲った。例えば、スペイン、フランス、オーストリアのようなカトリック君主たちも、教会の土地その他の財産をあからさまには没収しはしなかったけれども、領域内の高位の聖職者の任命や、教会の土地への課税を平気で行ったのである。」(マクニール 世界史(下) ヨーロッパの自己変革p55)

・・・・というわけで、西欧世界はローマ帝国滅亡後の動乱時代(というのは極端かもしれませんが、国家単位の時代)に戻ってしまいました。
原理用語で言えば、摂理が逆行したことになります。今でも世界の状態は国家を超えられずにいます。
参照:「国家主義と世界主義」 

さらに7番目のヘレニズムの復活・・・・いわゆる「ルネサンス」ですが、「美術的、文学的な面では、文芸復興は一時の心酔にすぎぬもの」((一歴史家の宗教観p320)でしたが、
「政治の世界においては、文学や視覚芸術におけるよりも、ヘレニズムの復興がいっそう永続的」で、「今日もなおこの亡霊が我々を悩ましている。そして二回に及ぶ世界大戦ですら、血に飢えたこの、つねに還り来るもの(幽鬼)の渇を癒すに足りたか否かは、いまだに明らかではないのである。」(一歴史家の宗教観p259付近)

あまりにひどい失態続きで、みんなで(?)愛想をつかしたのですが、トインビーさんによれば、西欧人はキリスト教を捨てて、別のものを選択しました。

科学技術について以下のような文章・・・・
「近代西欧文明の地球の全表面におよぶ拡大は、過去四、五百年間の人類の歴史のもっとも顕著な他に比類のない特色をなしてきた。(近代西欧文明の優勢)」(同p223)
「しかしながら、西欧の大洋支配が確立され、その結果として西欧がすでに世界の可能的支配者となった西暦紀元17世紀において、1956年までのその歴史に起こったいかなる革命もはるかに及ばない最大の革命を西欧はなしとげたのであった。
すなわちこの世紀に、西欧文明はその伝統的な西欧キリスト教の「さなぎ」の状態を脱して、キリスト教から自らの新しい世俗的な一改訂版を抽出したのであるが、この新版によって、西欧人の最高の関心と追求の対象は、宗教から科学技術におきかえられたのである。」(同p226)

「17世紀の初頭は、西欧キリスト教世界の宗教戦争がたけなわであった時代であり、西欧のキリスト教的狂信はいまだにその頂点にあった。この世紀が終わるまでに、西欧社会の精神的主導者たちの関心と探求の対象は、宗教から実験科学の発見を応用する科学技術に移された。
世紀が終った頃には、この西欧人の態度と精神的気風の革命的変化が、いまだ少数の人々のあいだに限られていたことは確かであるが、しかしたとえ少数といえども、これほどの短期間に、これほどの大転換にふみきった者があるということは驚くべきことである。・・・・(中略)・・・・18世紀のはじめから1956年に至る250年間に、世俗化の気運と科学技術への興味とは、西欧社会の一つの層から他の層へとひろがり、ついにはその社会の全体に達した。」(同p280)

西欧文明は1500年くらいにアメリカ大陸発見、世界一周など大航海時代を迎え、世界中にキリスト教を広めようとしましたが、なんとその後200年くらいで本家の西欧が急速に方向転換!

「人類の大多数をしめる非西欧人は、父祖伝来の文明から世俗的西欧文明に改宗するという一つの精神革命の洗礼を受けたとたんに、思いもかけなかった第二の精神革命の渦中に投げ込まれていることに気づいた。
彼らが世俗的西欧文明を採用したちょうどそのとたんに、全く思いもかけなかった西欧の二十世紀の精神的危機が起こって、気がついてみたらその渦中に巻き込まれていたというわけである。
このようにして西欧は、みじんのわる気もなしに、無意識のうちに世界をペテンにかけたこととなった。
つまり西欧は一つの文明を世界に売りつけたのであるが、はからずもそれが売買成立の当座に売り手も買い手も共に信じていたようなしろ物ではなかったということがわかったのである。」(同p231)

因みに、ここに使用したトインビーさんの文章は1960年くらいのもの。
確かに私もずっとその後まで、西欧にはキリスト教の伝統があるし、生きていると思っていました。
しかし・・・・時がどんどん経過して、今の実態世界はどんな?・・・・最近は生成AIが神様?
様々な発明が出てくるたびに思うのは、残念ながらそれをコントロールできる世界になっていないということ!

宗教から科学技術へ転換というのは、あまりにも方向が違い過ぎて奇妙にも感じられますが、このようなことも書かれています・・・・
「科学技術の神格化は、西欧のキリスト教的遺産に対する不信から生ずる不可避的な一つの結果であったわけではない。キリスト教に対する幻滅感が、なんらかの新しい理想または観念で満たされねばならない知的、道徳的な一大真空地帯をもたらしたことは、避くべくもなかったが、西欧人の頭脳と心情において、キリスト教にとって代わるものが、実験的な科学研究法を実用的目的に適用して、非人間的自然に対する人間の技術的支配力を増大しようという理想でなければならないという理由はなにもなかったのである。」(一歴史家の宗教観p280)
実際に、中国では大乗仏教の歴史に似たようなことが起こっていて、大乗仏教の権威に対する反抗を指導したのは、仏教以前の孔子の哲学と生活様式だったとのこと。

また、当時の西欧人はこんなことも思った・・・・
「十七世紀末葉の西欧的人間の眼には、神の王国を地上にもたらそうとするよりは、地上の楽園を創造しようと努める方が現実的な目安であるように見えた。(同p285)
「宗教戦争の直後には、技術者と実験家とは、神学者に比べて人柄が友好的であるのみならず、たとえ悪事をはたらきたいと思っても大した害をなす能力がないもののように見えた。」(同p287)
・・・・これは今となっては昔の見かたですね。




2025年6月19日木曜日

四大文明・・・・どれが早い?

 世界史の勉強で「四大文明の発生」はとても重要なものと思い続けていましたが、最近はそうではないらしく、ネット検索してみると、「世界四大文明は、歴史観・文明観の一つ。20世紀以降の日本や中国でのみ用いられる言葉・表現」とあります。(Wikipedia)

さらに続けて「国際的に通用しない言葉であるだけでなく、学術上の提唱者すら不明であり、通俗的、慣習的に長年使用されている用語である。日本や中国では、紀元前3000年から紀元前2000年にかけて生まれたメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明の4つの文明を世界四大文明としている。」とのこと。

私もその古い人間で「通俗的、慣習的に長年使用」してきたひとりだったわけですが、今回韓民族のルーツに関心をもったのをきっかけに、少し新しい知識を収集してみました。
とりわけ、立場上宗教の教えをある程度信じているものとして、聖書の創世記などに書かれた人類始祖からの様々な出来事との関連にも興味のあるところです。

「文明」という言葉も定義がはっきりしないようですが、長年の認識として、エジプト文明が最古と思い込んできましたし、教科書などでもそのように教えてきたと思います。
聖書・・・・特に創世記・・・・を重視するものとして、エジプトが先というのは奥歯にものが挟まったような状態で、願望も含めてイマイチ納得が行きませんでした・・・・この点はシュメール(メソポタミア)であってほしいのです。
ところが今では最古の文明をネットで調べてみると、意外に答えはシュメールと表示されるほうが多いようです・・・・国家が作られたのはエジプトが先だったかもしれませんが。

トインビーの「歴史の研究」にもこれに触れた部分がありました。この書自体が既に古く、1934年から発行され、30年もかけて書かれていて、その間ですら新事実が発見されるので、最後の方(22巻)には「再考察」という部分もありました。再考察の発行は1961年。
エジプトについての記述を引用しますと、
「エジプト文明の様式は・・・・(中略)・・・・シュメルの異質の様式からの刺激のもとで突然形を成したことを示す十分な証拠がある。シュメルの様式も同様に特異であるが、これは突然形成されたのではなくて、一連の段階を経て徐々に形成されたのであった。そしてその一連の段階の記録は、イラクに於ける考古学的発見の進歩によって、今や復元されているのである。」/22-p642

例えば、表記法について例を挙げると、エジプトで現れた表記法は原始的なものではなく、はじめから複雑な構造を持っていたのに対して、シュメールにはもっと原始的な段階があったとのこと・・・・エジプトではシュメールの影響を受けて突然発達し、シュメールでは原始的な段階から独自の発展が記録されているようです。
この時期のエジプトは非常に進歩が著しく、もとは他文明からの刺激だったとしても、メソポタミアの表記法を奴隷的に模倣したのではなく、独自の文字を発達させたとのこと。

インダス文明についても同様とのことが・・・・
「エジプト文明と同じくこの文明も、河川の流域を郷土として突然出現したという印象を与える。それは隣接する東イランの高地の新石器文化および金石併用文化から発達したようには思われない。この文化はその文字と進んだ煉瓦建築技術を出来合いの形でもった、他の場所からインダス河流域へ入ってきたように思われるのである。・・・・(中略)・・・・この文化もまた、シュメル文化の到達範囲内におり、・・・・(中略)・・・・しかし、インダス文化の場合には、われわれはエジプトの場合に於ける同様な仮説を裏付ける考古学的な証拠を持っていない。・・・・(中略)・・・・紀元前二千年代の中頃にインダス文化が確立されて後、それとシュメル世界の間に商業上の接触があったことをわれわれは知っている。インダス文字を刻んだ印章がイラクのシュメルの遺跡で発見されている。・・・・」 /22-p648

「われわれはシュメル人がペルシア湾を縦横に航行した航海民族であることを知っているが、その彼らがペルシア湾から進出してインド洋を探検し、そしてインダス河のデルタ地帯を発見したということは十分に考えられる。そして彼らがそこを発見したとすれば、チグリス、エウフラテス両河と似ているインダス河をさかのぼり、そして彼らの故郷と多くの類似点を持つ地域に植民し、海外におけるシュメル人の新しい国を創建したということも、大いにありうることである。インダス流域における最近の考古学的調査によって、この推測を支持する若干の証拠が実際に発見された。」/1-p166

では中国は?・・・・これはトインビーさんの時点では不明なことが多いようです。
その時点では最古の国は「商」で、「夏」の存在は確認できていなかったとのことですが、現在は夏王朝の実在が確認されています。
ただし、ここでも上記と同じことが言えるようです。
「商の文字と商の青銅鋳造技術に於て、われわれはエジプト文明とインダス文化の発生に於けると同じ謎に直面する。こういった業績が完全に発達した形で突然われわれの前に現れるのである。・・・・(中略)・・・・商文化はより古い或る文化の刺戟によって生まれたのではないだろうかと推測されるのである。われわれがその古い文化の影響を探知することができないのは、それが商文化の建設者たちにそれを模倣するのではなく、彼ら自身の独創的なものを作るように刺戟したからである。・・・・(中略)・・・・商の青銅が含有する錫は17パーセントに達する。文字は未熟でもなければ原始的でもない。中国の原始的な表記法の痕跡は、今日まで発見されていないのである。近代の中国文字の構成の主要な原理は、すべてすでに使用されていた」/22-p656

どこかから影響を受けたのは確かですが、どこからか、どのルートを通ってかが分かりません。

ネット検索してみると、以下の記述がありました。
「中国における文明の形成は、従来は黄河流域に始まるとされ、その黄河中流域に興った農耕文明を「黄河文明」と言っていた。しかし最近の発掘の成果では、黄河流域だけではなく、長江流域のも古い農耕文明の存在が明らかになっており、特に稲作農耕は長江下流域で始まったものとされるようになった。」
「世界史の窓」の「中国文明」より

これらの発展は、メソポタミアやエジプト(アフラシアステップ)とは別に発達したのではないかとの考えもあるようです。
「中国南部と東南アジアに於ける農業の発明はアフラシアに於ける発明とは無関係に行われたのではなかったか」/22-p658
「中国北部の文化のこの南方の源泉は、われわれの現在の知識では謎である」/22-p659
アフラシアステップの乾燥化が文明発生の一因とすれば、確かに中国という位置は少しずれたところですから、この地域独自というのもありかもしれません。

・・・・そういうわけで、中国の解明がイマイチな状態ですが、シュメール文明はエジプトやインダス(インド)よりも古いと言えそうです。この点では、私のえこひいきがちな気持ちも納得・・・・!

ところで、創世記によればアブラハムの故郷はカルデアのウルで、シュメール・アッカド帝国の住人でした(ウル第三王朝)。
この帝国は、シュメール人が建国したものをアッカド人が征服し、さらにシュメール人が取り戻しました。
このシュメール人というのも、どこへ消え去ったか分からない人たちのようで、しかも航海が得意だったというのですから、解明する側の判断を大いに惑わす人たちです。

創世記12章でアブラハムは神様から啓示を受け、国を出て親族に別れ、示すところに行くようにと支持されていますが、この時期は帝国が滅び始めていた時だったようです。
トインビーさんはこのことを、「(アブラハムは)最後の運命が迫っていた帝都ウルから脱出」 (/15-p77)という表現もしています。
*一部はこちらも参照:「文明と宗教・・・本命はどっち?

アブラハムは啓示に従って西に向かい、一旦カナンの地に来ましたが、ききんがあってさらにエジプトまで行き、またカナンに戻っています。
この滅びの時期には、西に向かったアブラハムのような人だけでなく、「東へ東へ」向かった人たちもいました。
・・・・それが東夷民族だとも言われています。

ひょっとしたら、アブラハムと知り合いだったかも・・・・!?
「やあアブちゃん、君は向こうへ行くのかね、うちらはこっちへ・・・・じゃあね!」という会話があったかどうか?

以下、この頃のアブちゃんのことを先生の講和より引用します。

「アブラハムは、偶像商の息子です。豊かな生活をしているアブラハムに神様は、「おい、アブラハム、お前の家から出てこい」と命令されました。するとアブラハムは文句を言うこともなく、どこに行けば豊かに暮らせるという保証も受けずに、自分が住んでいるカルデアのウルを、すべて捨てて去ったのです。それで、どうなったのかといえば、国境を越えるジプシーとなったのです。
・・・・(中略)・・・・
アブラハムは、神様がどんなに引っ張り回しても、恨むことなく感謝する心をもっていったので、神様も彼を愛され、彼に、「お前の子孫は、天の星のように、地の砂つぶのように繁栄するであろう」と、祝福して下さったのです。
・・・・(中略)・・・・
神様は偶像商である彼の父親から、彼を分立させました。彼は、家族、祖国、物質的な富、そして、すべてのものを捨てなくてはなりませんでした。そのように、サタン世界から彼を断絶させることにより、彼は、カナンに入っていくようになったのです。
・・・・(中略)・・・・
聖書を見ると、私たちは、神様がアブラハムを祝福され、彼を無条件に愛されたような印象を受けます。しかし、そうではありません。アブラハムは、愛する家族、祖国、物質的な富、そしてその他のすべてのものをあとに残して、神様が選ばれた未知の地に行き、いつも神様と人々のために涙を流すことにより、サタンから自分を分立しなければなりませんでした。彼は民族のために多くの祈祷をし、国のために多くの苦痛を受けたのです。
・・・・(中略)・・・・
偶像商の息子アブラハムは、サタンが一番愛する人でした。しかし、神様は賢く愛らしいこの息子を奪ってきたのです。アブラハムが願ってきた世界は、彼の父親の思いとは違いました。怨讐の息子ではあったけれども、考えることがその父とは違っていたのです。アブラハムは、自分の家族のためだけでなく、未来のイスラエルをも心配する心をもっていたのです。
・・・・(中略)・・・・
嘆かわしい悲惨な歴史を収拾するために、神様はアブラハムを選ばれ、流浪の生活をさせたのです。そのようにしてアブラハムは、情の染み込んだ地、故郷をあとにして、旅人の路程を歩まなければならない悲惨な運命の道を選ばざるを得なかったのです。
ですから、アブラハムの行く道は、悲惨な道でした。国境を行ったり来たりしなければなりませんでした。ジプシーの隊列に入らなければなりませんでした。異邦の地で、よそ者の身を免れることができませんでした。それだけでなく、パロの悪賢い計略によって、自分の妻を奪われ、自分の一族が孤立する状態にまで追い込まれました。
・・・・(中略)・・・・
彼の前に近づくつらい苦痛と困難な環境は、他の人であれば、自分を呼び出した神様を背信し、自分の立場を嘆くようなものでしたが、アブラハムはそのような立場でも、神様とさらに深い因縁を結びうる心情で侍っていったので、彼の前には幸福の門が開くようになったのです。」
(牧会者の道p45-p48)

2025年5月5日月曜日

真の父母

 統一原理に初めて触れたころ、人間には2種類あると理解しました。
考えてみれば、聖書の創世記を見ても分かることですが、創世記では寓話として読んでしまうことが多く、あまり踏み込んで考えることもありません。
男性と女性の2種類ということではなく、1つは神様が直接作った(創造した)人間、もう1つは人間から生まれてきた人間です。前者はアダムとエバの二人、後者はその他大勢の人間です。
神様が直接つくった人間も、人間から生まれた人間も同じ血統を継ぐものとして扱われることに不思議な気もしました。
その他大勢のほうは、そこらじゅうにあふれているので、あまり興味ありませんが、このアダムとエバという二人はどんな・・・・?

二人は神様の直系の子女ということができるのでしょうか?
神様がエバをつくった時には、「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉・・・・」と言いました。
さらにその後は、「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」という流れで、その後は、ひとがひとを繁殖するようになります。
とすれば、やはりアダムとエバは神様の直系の子女と言えるでしょう。

ただし、その後に堕落が起こっていますし、エデンの園を追い出されました。
「おめえらなんかもうおれの子供じゃねえー!、とっとと出て行きやがれ!」と神様が言われたかどうか?・・・・堕落という出来事は、血統をも分断する恐ろしい出来事で、そんな中途半端な悲しみかたではすまなかったと思います。こんなことを言うだけの余裕もなかったでしょう。
ということは、アダムとエバでさえ直系の子女でいられた期間は長くはありません・・・追い出されてから子を生んでいます。

では、イエス様は?・・・・
「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」ヨハネ10/38
「わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。」ヨハネ14/11
イエス様は神様を父としています(聖書を見るとほかにも沢山!)
新約聖書を見ても、神様がイエス様をつくった記述はありませんが、イエス様はうそはつかないでしょう。

同じ直系の子だとすると、イエス様と堕落前のアダムとの関係・相違はどのようなものでしょうか?

イエス様の出生については、またいろいろあって書ききれません(ここでは省略)が、このかたはいったい何しにきたんでしょうか?、神様は何のためにこのかたを送り込んだのでしょうか?

「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう(創世記2章)」と言って、神様はエバをつくられました。
では、イエス様には助け手はいないのでしょうか?・・・・ひとりでいるのは良くないなら、神様も最初の時と同じように全力を尽くして準備したでしょうから、どこかにいるのでは?
・・・・なのですが、イエス様が十字架で死んじゃったので、このような女性がいたとしても、すっぽかされてしまったことになります。

それで残念ながら、この時も神様の願いは成就できませんでした。
イエス様も「また来る」と言い残して、再臨ということになります。
(・・・・イエス様がこられたことによる恩恵が無いのではありませんが、本来はまだ先があったのでは!)

「また来る」といっても、今日、明日ではなく、その期間は神様の尺度(?)によるでしょう。
創世記の時も、神様はきちんとエデンの園という環境を準備してから、アダムとエバを創造しています・・・・動物や植物もつくり、最後にアダムをつくってから、それらに名前を付けさせました。
天地創造という環境づくりは全てアダムとエバのためとも言えますから、そのために何十億年を費やしています。
神様も最後の喜びの絶頂を目指して全力投入したと思います。

初めからリセットして天地創造からの必要はないでしょうが、イエス様の時も、何らかの環境整備をしていたはずです。
聖書の時間で考えても、アダムとエバが堕落してからイエス様がやってくるまで4000年かかっています。
この4000年には、ノアがでて洪水審判が起きたり、アブラハム・イサク・ヤコブが出て勝利者の称号を受け、民族を形成してモーセを中心にエジプトから脱出したり、サムエルやサウル・ダビデ・ソロモン、その後はバビロン捕囚・・・・・と、沢山のことが書かれています。
この流れの頂点に立つのがイエス様でしょう。
しかし、イエス様は十字架でなくなりました。このイエス様の十字架は本来の目的だったのでしょうか・・・・その後のユダヤ民族の歴史を見ると、ローマ帝国に亡ぼされて世界中に散り散りバラバラになってしまい、その後もあちこちで迫害を受けますし、ナチスドイツによる大量虐殺もありました。・・・・この結果を見れば答えは明らかです。
もし、本当にイエス様が十字架につくために来たのであれば、ユダヤ民族の歴史は称賛されるべきです。
神様の事情はよくわかりませんが、結果的には、イエス様誕生のために4000年を費やしました。

今度はどんな準備が必要でしょう?
今度来られるイエス様(再臨主)は、前回降臨時の達成地点を越えて完成を目指すことでしょう。
前回はヨメサンをもらうことができませんでしたが、今回は子羊の婚宴もおこなって、ずっと先まで・・・・神様の直系として、神様の伝統を子々孫々まで残さなければならないかも。
(子羊の婚宴についてはこちら

原理には「真の父母」という言葉があります。
キリスト教の歴史には無いことばですが、実は天地創造以前から神様の計画の中にあって、人類始祖アダムとエバがその立場に立つべきでした。

独り息子だけでなく、独り娘もいなければならないというのです。
アダムとエバはエデンの園を追い出されてから子女を生みましたが、本来はエデンの園の中で、神様も同参して子羊の婚宴をしなければなりません。やがて神様にも孫ができるでしょう・・・・それもひとりやふたりではなく。
・・・・なので、この「真の父母」という言葉は画期的な言葉です。

実際にこのことが起こっていれば、新しい歴史が始まります・・・・旧約時代とか新約時代と肩を並べる・・・・いや、それ以上の時代です。

以下、先生の講和より・・・・

「真の父母」という言葉をはっきりと知ることによって、何が分かるのでしょうか。
人類始祖の堕落が不倫の関係によってなされ、神様と関係のない、創造理想を立てようとした真の父母とも関係のない血統的因縁を残しました。誤った血統を受け継ぐようになったのです。ですから、「真の父母」という言葉は、人類始祖から歴史上のすべての人間が、誤った血統の中で生きたことを清算し、神様を中心として新しい本然の根を中心とする愛と生命と血統がつながるという意味で語る言葉です。
真の父母を中心とするところから、理想的な歴史が出発し、新しい文化が出発し、新しい愛が出発し、新しい人生が出発し、新しい家庭が出発し、新しい国家が出発し、新しい世界が出発し、天国と神様の愛が出発するのです。(天聖経144ページ)

神様の願いや人類の願い、すべての万物の願いとは、真の父母がこの地に現れて、神様の真の愛が出発することです。それが創造の始まりであり、創造の過程であり、創造の目的と結果でした。人間が堕落しなかったならば、真の父母がこの地上に現れ、真の愛を中心として家庭を築いていたでしょう。それが神様の願いであり、神様が人間を創造した理想でした。
堕落していないアダムとエバが、この地の真の父母になったならば、神様の真の愛を中心として、鉱物世界、植物世界、動物世界、被造世界の全体が一つになっていたでしょう。それにより、真の父母を中心として、すべての被造物が神様の愛の懐に抱かれていたでしょう。ですから、神様は、この地のアダム家庭を中心として、アダムとエバと共に一つになり、このすべての万物を主管しながら、愛の中で暮らさなければならなかったというのです。それが神様の願いでした。(真の父母経554ページ)

天国は、真の父母から始まるようになっているのであって、今までの堕落した子孫から始まるようになってはいません。(天聖経799ページ)

真の父母として来るためには、どのようにして来なければならないのでしょうか。まず真の父に代わり得る、一人の男性が現れなければなりません。それで、神様のみ前に「私はひとり子だ」とイエス様が言われたのです。
ひとり子が現れたのですが、ひとり子だけではいけません。ひとり娘がいなければなりません。ひとり娘を探して、神様を中心として、たがいに喜ぶ位置で結婚しなければなりません。結婚して、神様が縦的な父母として喜び、横的な父母として喜ぶことができる新郎新婦となって、地上で息子、娘をうまなければなりません。(天聖経149ページ)

アダムとエバが堕落する以前、神様の願いとはなんだったのでしょうか。アダムとエバが、本然の真の父母を中心とする真の血族として、氏族、民族、国家、世界を形成することでした。そして、天国世界を成し遂げることが、本来神様の創造理想でしたが、人間が堕落することによって、父母が壊れていき、子女が壊れていき、結局、今日のような世界になってしまったのです。
この地球上で暮らしている人類が、一様に、真の父母の血統的関係を経ることができていない現世のこのような状態では、神様と関係を結ぶことができません。したがって、真の父母として来られる方が再臨主です。六千年歴史は、失ってしまった真の父母、すなわちアダムとエバの完成基準を復帰する歴史だったのです。(天聖経151ページ)

2024年12月29日日曜日

文明の成長の基準(最適な挑戦と応戦)

 中学校の頃だったか、ローマ帝国の最大領土は、ハドリアヌス帝(五賢帝の一人、在位117~138年)の頃と教わり、その時期が帝国の最盛期と思い込んでいました・・・・当時としては、なるほどと納得してもしかたないかも。

歴史の研究の第三部に「文明の成長」というのがあります。
そのなかで、「地理的拡大」や「技術の向上による自然環境征服の増大」が文明成長の指針となるかについて、いくつもの例を挙げながら検討します。
もしそのような尺度で成長や衰退が判断できれば、簡単でわかりやすく、とても便利です。
ところが、その結論は、

(A)地理的拡大
「衰退に付随して起る現象であり、ともに衰退と解体の段階に相当する動乱時代、もしくは世界国家と時期が一致する。」 1-p322
「・・・・ほとんどすべての文明の歴史が、質の低下と時間的に一致することを示す実例を提供する。」1-P325
「地理的拡大は社会的成長とは相関関係がなく、反対に社会的解体と相関関係がある」 /5-p207
「われわれは地理的拡大を社会的病弊と見做してさしつかえなさそうである。」/5-p225

(B)技術の向上による自然的環境征服の増大
「技術の進歩と文明の進歩との間に相関関係がないということは、文明が停滞の状態にあり、もしくは退歩した時期に技術の進歩した、以上すべての事例において明らかに看守される。」 1-p332 
「技術の発達の歴史は、地理的拡大の歴史と同様、文明の成長を測る基準を提供することができない」 1-335
「軍事技術の進歩は必ずとは言えないまでも、概して文明衰退の兆候であると結論して差支えないであろう。」/5-p245

結果はどちらも否定的なもの・・・・というより、寧ろその反対でした。

トインビーさんは「挑戦と応戦」という考え方で、文明の成長を説明していますが、どのような挑戦と応戦が文明を成長させるのか?・・・・文明の発生・成長にとって最適な挑戦とはどのようなものかを検討し、以下のような結論を下しています。

「最も大きな刺激を与える挑戦は、きびしさの過剰ときびしさの不足との中間の度合いの挑戦であることを発見した。不十分な挑戦は挑戦された人間を全然刺激しないだろうし、反対に過度の挑戦はすっかり士気を挫いてしまうおそれがあるからである。」1-p318
・・・・この表現だけでは、あまりにも曖昧で当たり前・・・・「そりゃあそうだわ!」で終わってしまいます。「歴史の研究」を出版し始めた当時は、文明が発生・成長した地域とそうでなかった地域の違いについて、今から考えると「あほらしー!」と思えるような説もあったようで、「広頭種族」とか「長頭種族」などという言葉も登場します。

これらを論破しながら、それぞれの文明を細かく分析しながらの結論が上記のものです。
「逆境の効能」、「困難な地域の刺激」、「新しい土地の刺激」、「打撃の刺激」、「圧力の刺激」、「迫害の刺激」というような見出しもあって、それぞれ丁寧に例を出しながら検証を進めます。
では、「被挑戦者がかろうじて対抗しうる程度の挑戦はどうか?」1-p318・・・・離れわざを呼び起こす傾向があるが、発育停止をもたらすことにもなる・・・・例えば、エスキモーとか古代ギリシアのスパルタ、オットマン帝国の軍隊(イェニチェリ)など。応戦はしたのですがそのまま固まってしまい、「発育停止文明」と言われます。・・・・時々、人間の中にも見かけるような!

その結果、見つけ出した最適の挑戦・・・・
「真の最適の挑戦とは、被挑戦者を、ただ一度の応戦に成功するだけでなく、さらに一歩前進するはずみがつくように刺激する挑戦、一つの事業の完成からまた新たな努力へ、一つの問題の解決から他の問題の提起へ、陰からふたたび陽へと前進するように刺激する挑戦である。」1-p319,/5-p179

その例も幾つか挙げられていますが、ここでは2つだけ・・・・
1.封建制度の例
「西欧人の祖先がスカンジナビア人の襲撃を撃退することに成功したさい、かれらがこの人間的環境に対する勝利をかち得た手段の一つは、封建制度という強力な軍事的・社会的道具を作り上げることによってであった。ところが、西欧社会の歴史の次の段階では、封建制度の結果生じた階級間の社会的・経済的・政治的分化がさまざまな軋轢をひき起こし、今度はこの軋轢が成長期の西欧社会の当面した次の挑戦を生み出した。西欧キリスト教世界はヴァイキング撃退のための努力からほとんど休みひまなく、次の、階級間の諸関係から成る封建制度の代わりに、主権国家とその個々の市民との間の諸関係から成る新しい制度を確立するという問題の解決に当たらねばならなかった。この、あいついで起こった二つの挑戦の例において、外的領域から内的領域への行動範囲の移動が明らかに看守される。/5-p284

2.ヘレニック文明の成長・挫折の例・・・・古代ギリシア成長のための三度の試練(挑戦)

さらに、成長についての以下のような結論
「われわれは、相次いで現れる挑戦に対する一連の応戦が成功をおさめる場合、挑戦-応戦の連続が進行するに連れて、行動の領域が、自然的環境と人間的環境の別を問わず、しだいに外的環境から、成長しつつある個人もしくは文明の内面に移行して行けば、それを成長の表れと解してよい、と結論する。
個人もしくは文明が成長し、かつ成長し続ける限り、外的な勢力によって与えられ、外的な領域における応戦を要求する挑戦を考慮におく必要はしだいに減少してゆき、内的領域において、みずからがみずからに対して加える挑戦を考慮におく必要がますます増大してゆく。
成長とは成長する個人もしくは文明が、しだいにみずからの環境、みずからの挑戦者、みずからの行動領域になってなってゆくことを意味する。
言いかえれば、成長の基準は自己決定の方向への進歩である。そして、自己決定の方向への進歩とは、生命が生命の王国にいたる奇跡を言い表す、散文的な表現である。」 1-p350

ついでに完訳版の該当箇所も挙げますと・・・・
「われわれは、挑戦と応戦が進行するにつれて、活動が外的環境・・・・自然的、人間的のいずれであるかを問わない・・・・から成長する人格或いは成長する文明の内部に転移するならば、連続する挑戦に対する一連の成功した応戦は、成長の現れであると解釈する見解を支持することができるであろう。これが成長し、成長し続ける限り、それは外部の敵によって与えられ、外部の戦場に於て応戦を要求する挑戦をますます考慮に入れることが少なくなり、それ自身によってその内部に提出される挑戦をますます重く見るようになる。言い換えれば、成長の基準は自己決定への前進である。そして自己決定への前進とは、それによって生命がその王国に入る奇蹟を説明する散文的な図式である。」/5-p311

「活動分野の転移」という部分では、以下の説明も。 /5-p278
「挑戦は外部から入ってくるのではなくて、内部から発生するのであり、そして挑戦に対する応戦の勝利は外部的障害の克服、或いは外部的な敵に対する征服という形をとらないで、内面的自己表現もしくは自己決定のうちに現れるのである。われわれが継起する挑戦に対して個人または社会が次々に応戦するのを観察して、挑戦に対する特定の一連の応戦を成長の現れとして解釈すべきであるかどうかを考察する時、この一連の挑戦と応戦を通じて、活動が前述の二つの分野の第一のものから第二のものに転移する傾向があるかどうかを観察することによって、われわれの疑問に対する解答に到達するであろう。この傾向があるかないかが、成長があるかないかの基準になるのである。そして、問題になるものは常に傾向であるということを付言しておく必要があろう。何故ならば、われわれが厳密に検討する時、これらの二つの分野の一つに於てのみ挑戦と応戦がおこなわれる実例を上げることは不可能であることが判るからである。一見したところ、外的環境の征服であるとしか思われないような応戦に於てさえ、内面的自己決定の要素が常に看守されるのである。また反対に活動の舞台の内面的分野への転移が極度に進んだ時でさえ、外面的分野に必ず何らかの活動の残滓があるのである。/5-p279

なるほど、成長についてはわかりましたが、素朴な疑問が残ります。
それで・・・・挑戦と応戦はいつまでやればいいんでしょう?

以下は「神の国をつくる」にも載せた文章ですが、
「人間は神と交わっていない時には、その本来の社会性と衝突する不和に陥るだけではない。
人間はまた社会的被造物であることに内在する悲劇的な難題によってさいなまれる。
そしてそれ故その難題は、人間が唯一の真の神が構成員として加わっていない社会で自分の役割を演じようとする限り、人間の社会性の道義的要請に近づくことに成功すればするほど、より尖鋭な形で現れる。
この難題とは、人間が自分自身を完成する社会的行動は、地上における個人の生活の限界を、時間的にも空間的にも、はるかに越えるということである。」/15-p229

早い話、「神様ぬきでは無理だよ」と言っています。確かに上記例2つを見るだけでも、より尖鋭な形で現れてくるようです。

トインビーさんは、「神様と仲よくすればできるよ!」と言っているようです・・・・神様ってどれぐらいすごいんでしょう(!)

「意志の調和があり得る唯一つの社会は、二人もしくは三人---もしくは二十億人、三十億人---が神の名に於いて神を中心に集まっている社会である。
神が造った人間ならびに唯一の真の神を包含する社会に於いて、神は無類の役割を演じる。
神は各人間構成員と神自身との関係の一方の当事者である。
しかし、このために神はまた各人間構成員と他のすべての人間構成員との関係の当事者でもある。
そして人間の魂に神自身の聖なる愛を吹き込むこの神の参加を通して、人間の意志は和解することができるのである」/15-p226

「唯一の道徳的に耐えることのできる行動領域は『神の国』である。
そして、地上に於けるこの『神の国』の市民となる機会が、高等宗教によって人間の魂に提供されている」2-p494




2024年12月17日火曜日

「絶対服従」という言葉

 うちの教会の言葉を部分的に切り取って、一般に流通している意味として理解されると困る言葉があります。

私にとってその筆頭が「絶対服従」・・・・もし自分が教会に通うようになった初期の時点で、この言葉を聞かされたら、つまずいて通うのをやめたかも知れません・・・・人によっては非常に大きなつまづきの石になりそうです。

「自己否定」という言葉なら以前からありますが、これは自分の悪い所を正すというような意味で、宗教でなくても一般に使用される言葉です。

財産を捨てて出家する場合などにも、過去の自分を清算するというような意味で使われたり・・・・。

「絶対服従」という言葉が出てきたのは、私が教会通いを始めたよりもかなり後のことで、個人的には非常に驚かされました。
ただ、その時点では信徒になってある程度の年月が経っていたので、それほど悪い受け止めはしませんでした。
「この言葉は、普通の日本人が認識しているような意味で使っているのかな?」と思いましたが、どうやらそうでは無さそうです。

先生の講話では以下のようにあります。(天聖経1356~7ページ付近)
「服従には自己意識がありません」
「自らの意識観念がなかったということです。完全にゼロ、完全に無」 
「神様御自身が、絶対信仰をもって愛の相対を造りました。『わたしがこのようにすればこうなる』と考えたあとに造ったのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、自分自身を完全に投入したのです。」

普通、日本で服従と言えば、心では逆らいながらも強制的にに従わされるという意味あいが強いので、それとは違った状態ですね。
こういうのは別の言葉に訳するのが良かったのではないかと思いますが、うまい言葉が見当たらないかも・・・・!

今では、「相手のことを大切に思い、我を忘れてつくす」と解しています。
例えば、親が幼い自分の子に対する場合のような状態です。

「ウラミ」という言葉なども誤解されがちかも・・・・「怨」と「恨」

2024年8月3日土曜日

霊的な感動と音楽

 「はじめに」にも少し書きましたが、クラシック音楽とのお付き合いはかなり長く続いています(聴くだけです!)
聴いていて「霊感とはこんなに気持ちのいいものか!」と最初に感じたのは、ベートーベンの後期弦楽四重奏曲でした。
学生時代にクラシック音楽を聴き始めたのですが、おカネがなかったので、初めは図書館から借りて来たLPレコードを繰り返し聴きました。
それ以降しばらくの間は、クラシック音楽の最高峰は、この一連の弦楽四重奏であると信じて疑いませんでした。
考えてみると、聴かずぎらいでオペラなどには殆ど耳を貸さず、ワーグナーなんて親の仇みたいに思っていたような!・・・・聴いた曲も多くは無いし、そんなこと言えるはずもないのですが・・・・。
*後期弦楽四重奏というと、番号で言えば12番以降です(番号のついているのは16まで)

一般にも、「ベートーベンの最高の作品はなに?」と尋ねられて、「後期の弦楽四重奏群」と答える人は案外多いようです。たしか、高校時代の音楽の先生もそんなことを言われていました。
さらに、演奏形態別にベートーベンの主要な3つの柱は、交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲である点も、異論はないでしょう。
その3つの柱別の最高峰は言えば・・・・ここは個人的な意見で好みにもよるでしょうが・・・・すべて終りのほうに集中していると思います。ベートーベンほど、年齢と共に成長し続けた作曲家も珍しいでしょう。
見方によってピアノソナタは「熱情」や「ワルトシュタイン」、交響曲なら「英雄」や「運命」など中期の作品を重視する方もおられると思います。そういう私も、「一番良く聴いたピアノソナタは?」と訊ねられたら、ワルトシュタインになると思います。

ところで、曲は立派でも演奏が下手では話になりません。有名な曲になると、殆ど同じ楽譜を用いた演奏でも星の数ほど出ていますし、同じ演奏家でも思い入れのある曲になると、何度も録音し直したりします。他の分野でもあることですが、クラシック音楽の場合は際立った特徴と言えるでしょう。

ある指揮者・・・・アメリカ人で最初の大指揮者と言われました・・・・それだけで「ああ彼のことだな」と分かってしまう方もおられると思います・・・・ミュージカル「ウェストサイドストーリー」の音楽も作曲しています。
・・・・そのアメリカ気質のせいか、クラシック音楽とは必ずしも相性のいいところばかりではなく、率直な性格が仇となって表現の深みにイマイチの感があり、一時はスランプに陥っているようにも見受けられました。
その後しばらく時を経て、ユニークにも彼が演奏する後期弦楽四重奏のオーケストラ版LPレコードを店頭で見かけました。後期弦楽四重奏曲をオーケストラで演奏するというのはあまり聞いたことありませんし、この人の以前の演奏スタイルからは似合わない曲目です。その演奏を聴かずとも、「おー、この人変わったんだな!」と思いました。

中でもベートーベンの曲は精神面で闘いのある曲が多いですね。例えばモーツァルトなどは、楽しい悲しいで音楽が展開するのに対して、ベートーベンは嬉しい苦しいで展開することが多いようです。
人間の努力を強調しているようにも聞こえてきます。(・・・・この点は、うちの教会と通じるところがあるような!)
ベートーベンはキリスト教?・・・・「そうです」とは答えられますが、特に宗教色が強いわけでもなく、作曲した宗教音楽も多くは無いので、敢えて言えば「ベートーベン教」というのが適切かもしれません。
芸術ですから美を追求するのは大前提として全ての作曲家に共通するでしょうが、その中でベートーベンは善を追求する傾向が強いかたです・・・・そのせいか、特に若者には良い影響を与えてきたと思います。

実は私もモーツァルトのほうを良く聴いた時期もありましたが、学生時代ののんきな時はモーツァルト、会社へ就職していろいろとたたかいの多くなったときはベートーベンでした。
モーツァルトを聴いて泣くというのはあまりありませんが、ベートーベンにはよく泣かされることがありました。
先生の言葉の中にも「天国は地獄を通過していく道」という恐ろしげな言葉がありますが、交響曲の第五や第九も闘ってやがて勝利するストーリーです。
・・・・もっともショスタコーヴィッチの第五(革命)もそうでした!・・・・当時、ソ連共産党が絶賛したとか。
ベートーベンの場合、ツンボになった作曲家ですから、自分自身も闘って克服する道を歩んでいます。

しかし、後期弦楽四重奏の場合は、それをさらに通り越したような面も見られます。
喜怒哀楽というような、言ってみれば「肉的な感動」というよりも「霊的な感動」・・・・厳然とした(?)・・・・なんと言いますか・・・・「感動しない感動」というか、勝手に感動のほうからやってきます。

この時、さらに不思議な体験をすることがよくあります・・・・感謝して聴くとさらに感動の度合いが増してくるのです。
当初、その現象が何故起こるのかよく分かりませんした。
では近ごろは?・・・・今もやっぱりわかりませんが、それでも以下のような先生の講話の断片を思い浮かべることが多くなっています。
「中心が人間ではなく神であるゆえに、人間を中心とした理想世界は成就されない。」
聴きながら、「この曲素晴らしいですね!」と、こころで話しかけるように聴いたりするのです。
作曲したのはベートーベンですが、被造世界の主催者はやはり神様であることを改めて感じるわけです。

教会ではルーシェル、ミカエル、ガブリエルが三天使長と言われます(ルーシェルは堕落してサタンとなっています)
この順番で知・情・意をつかさどっているとか。
ところで、クラシック界の最も良く聴いたビッグ3を挙げると・・・・私にとっては、バッハ、モーツァルト、ベートーベンです。
この順番で年齢順に並んでいますが、後ろのお二人は生きて出会っています。
また、性格的に見るとやはりこの順番に知・情・意で並んでいます・・・・まさに三天使長のようです。
作品の特徴も一言で言えば、どこかの本(?)にもありましたが、この順に真・美・善を代表するような音楽になっています。
教会の修練会などに参加し、阿呆鈍感状態(詳細はこちら)が一時的に緩和されるせいか、帰宅して音楽を聴いてみると、自分でも驚くほど感動したりするのですが、中でも一番感動するのはバッハ、次がベートーベン、その次にモーツァルト・・・・霊的感動の度合いという観点から見ると、ほかにもいるのですが、3人中ではこの順番(・・・・この順に優れているという意味ではありません)

バッハという作曲家は、私としてはこの三人の中では寧ろ馴染みにくいというか、相性がイマイチなのか、はじめのうちは聴くことも少なかったほうですが、こういう時はまるで原理そのものが動き回っているように聞こえてきます。
若き日のベートーベンも、バッハの「平均律」をよく練習したそうですが、私もよく聴くようになりました(・・・・聴くだけです)
知的な作曲家というなら、ドビュッシーも!・・・・という方もおられるかもしれませんが、バッハとドビュッシーでは、しょせん「たま」が違います。上記の三人は私にとっては神の領域ですが、ほかの方々は人間です。

以前、バッハ作曲の無伴奏チェロ曲を朝の起床の音楽に選んだことがあったのですが、それがもとでうちのカミサンから怒られました。
「どうしてこんなギーコギーコをかけるのよ!」と・・・・1930年代くらいにモノラル録音された演奏でした。
この曲はチェロを演奏する人から見れば、聖典(名曲中の名曲)のようなもので、録音も沢山出ています。一方、この演奏はその中でもかなり古いもので、最も「ギーコギーコ」の程度が高いかも知れません。
この「ギーコギーコ」演奏のヌシは、パブロ・カザルスと言って、チェロ奏者として当時は神様扱いされた方でした。
風貌は頑固じいさんそのもの!・・・・その演奏は・・・・それがそのまま音楽化したような!・・・・だけではなくて、この方を論ずるときには、よく倫理的な生き方についても触れられます。第二次大戦でのナチスドイツに対する対応や、自国スペインのフランコ政権に対する対応などにも、よく語られるエピソードがあります。

善・悪という観点から音楽を見る人は少なめでしょう。
美という観点が優先されがちな分野ですが、現世は手放しで浸れる時代にはなっていないように思います。このことは、カザルスさんが教えてくれたような・・・・。
因みに、国連で平和のためのコンサートを行ったり、ホワイトハウスに主賓として招かれて演奏したこともあります。

最近は聴く機会も少なくなって、まともな再生装置も持ってませんが、音楽にはとてもお世話になったと感じています。






2024年7月4日木曜日

民主主義の落とし穴

 「偶像崇拝」と「民主主義」については他の場所にも書いていますが、ここでもそれらをふまえて率直に(!)書いてみることにしました。(他の部分で引用した文も重複しています)

まず偶像崇拝についての定義・・・・トインビーさんによれば、
「全体ではなく部分、創造主ではなく被造物、永遠ではなくて時間に対する、知的ならびに道徳的に半ば盲目的な崇拝であると定義することができよう。」/8-p31

「偶像崇拝」をネット検索してみると、非常に分かりやすい説明となっています。要するに偶像の崇拝です・・・・!
それに対し、上記トインビーさんの定義は、かなり広義に捉えていて分かりにくいですね。
この定義だと、神様の存在を認めていない人は偶像崇拝に陥りやすいとも言えそうです。
さらに神様を認めているとしても、旧約聖書に出てくるような「バアルの神」「アシラの神」のような崇拝は文句なしの偶像崇拝ですし、以下にも書いていますが、共産主義やファシズムのようなものも偶像崇拝と言えそうです。
どれほど多くの人間が偶像崇拝していることか!

キリスト教的に見れば、旧約聖書の創世記で神様と人間は(実際に言葉での会話かどうかはわかりませんが)、堕落前のエデンの園で一問一答できたとあります・・・・神様を信じるとか信じないというような話は不要でした。
神様が分らなくなったので、もっと分かりやすい代替物を持ってきたと考えると、偶像崇拝も人間堕落の結果と似たものと言えるかもません。

イエス様もマタイによる福音書22章37節で、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言われ、「これがいちばん大切な、第一のいましめ」としています。
「そうでないとみんな偶像崇拝に陥るよ!」と続けて言われそうです。

神様自身も、自分のことを「ねたむ神」と言っています。(出エジプト記 第20章)
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」
・・・・これは偶像崇拝を警戒してのこととも解釈できます。

「人間が集団的自己を崇拝することは偶像崇拝である」/15-p93 
この発言はファシズムやナチスドイツを連想させるかも知れませんが、それだけでは済みません。

日本やアメリカなど普通の国もまた偶像崇拝していることを指摘し、その方が悪質だと・・・・
「高等宗教が世界に対するその支配力を失いつつあった世界に於いて、1952年には『イデオロギー』のなかに失われた高等宗教の身代わりを見出していた多くの人びとがいた。
そして幾つかの国では、この新しい世俗的信仰への改宗者が非常に勢力を得て政府の支配権を奪取し、国家の全権力を使って自分たちの教義と慣行を同胞に強制した。
こうした方法によって共産主義はロシアに、ファシズムはイタリアに、国家社会主義はドイツに打ち建てられた。
しかし、集団の力という甲冑を着けた自己に対する人間の昔からの崇拝の復活のこの甚だしい実例は、この精神的病幣の実際の普及の程度を示すものではなかった。
その最も重大な徴候は、その市民が自分たちは他の人々、もしくはこのファシストや共産主義者とさえ違っていると言って自ら悦に入っている、民主的であり、キリスト教的であると公言している国々において、人口の六分の五の宗教の五分の四は、蜂による蜂の巣の、そして蟻による蟻塚の崇拝という原始的異教信仰であったことである。
この復活した偶像崇拝は愛国心という美名のもとに隠されることによって救われなかった。
そして実にこの一般に知られていない偶像崇拝の影響力は、・・・・(中略)・・・・率直な形の偶像崇拝よりも悪質であった。
この集団的自己崇拝は立ちのいた高等宗教に取って代わろうとして押し寄せていたすべての下等宗教のうちの最も邪悪なものであった。」/15-p169

「汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。 そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。マタイ12/43

高等宗教というまともなもの(!)を追い出しましたが、いつまでも掃除された部屋をそのまま維持することは難しい・・・・この聖句は、人間は何らかの宗教なしには生きられないということかも知れません。

「西洋人の魂はいつまで宗教なしに生きてゆくことに堪えられるか。」3-p319

西欧人がキリスト教を捨て始めたのは・・・・
「17世紀の最後の20~30年は西欧でキリスト教の後退が始まった時期だった。この退潮は私たちの時代になってからも続き、それが食い止められる兆しが見えてきたのは、第二次世界大戦が終わってからのことである。
しかしこのようにヨーロッパ人の心に対するキリスト教の勢力が弱まったことは、必然的にその心を非キリスト教的な信仰の対象に向けることになった。これは・・・・当然起こるべきことであった。・・・・したがってこの三世紀の間にしだいにキリスト教から離れていった人々の心は、キリスト教の代わりを見つけてその方に向かわなければならなかった。
その結果見つけられたのがキリスト教以後の各種の思想だった。それらの中の三つの主要なものは国家主義、個人主義、および共産主義で、そしてこれらの三つの中では国家主義が最も強力に西欧人の心に結びついた。いずれにせよ国家主義は、他の思想がこれと対立する時には常にそれらに勝つ。」(現代が受けている挑戦p181)

非常に簡単に考えれば、国家主義は何よりも強いので、世界は国単位に分かれているということになるでしょうか。
「個人主義の国」とか「共産主義の国」という国家はありますが、それ以上の単位は無さそうです。
共産主義も、世界共産主義は破れて、スターリンの国家的な共産主義が残ったのは良く知られた話です。
世襲制の共産主義とかもどこかにあったような!・・・・ありなんでしょうか?

われわれ宗教を肯定する立場から見ると、広い意味では、共産主義も立派な宗教に見えます・・・・
「共産主義者は、共産主義が宗教であることを否認している。
かれらは、自分たちがいかなる種類の宗教もいっさい追放してしまったと主張し、共産主義が宗教に基礎をおくものでなくて科学に基礎をおくものであると主張し、そしてこのことから、その他の諸点と同様に、共産主義が、人間の歴史における新しい出発なのだと主張している。
しかし、本当は、共産主義は、たしかに宗教であり、正真正銘の宗教であり、しかも新しく見えるイデオロギー的よそおいにもかかわらず、むかしながらの宗教である。
共産主義は、ナショナリズムと同様に、集団的な人間の権力を崇拝する一つの現象である。」歴史の教訓P185

では民主主義は?・・・・上記の定義から判断すれば、「民主」・・・・人間が主人ですから似たようなものかも。
戦争の激化についても国家レベルの民主主義は悪い方にひと役かっています。・・・・民主主義が戦争という制度と奴隷制度にどう影響したかについてはこちらを参照

「歴史の研究」の縮刷版のほうが、より「率直」な表現で書かれています。
「奴隷制度と同じように、明白な害悪である戦争に対しては、なぜそれを一層悪化させるような影響を及ぼしたのであろうか。その答えは、民主主義が、戦争という制度にぶつかる前に、地方的主権という制度にぶつかった事実のうちに見いだされる。民主主義と産業主義という新しい推進力が、地方国家という古い機械の中に導入されたために、政治的ナショナリズムと経済的ナショナリズムという、ふたごの奇形児が生まれた。民主主義の高邁な精神が異質的な媒体を通過して、このように低俗的な形に変えられてしまったために、民主主義は戦争を阻止するはたらきをする代りに、かえって勢いをつけることになったのである。」1-p471

現存する民主主義はすべて腐敗した民主主義ということになるでしょうか?・・・・国家を超えられていませんから!
民主主義というのはウソで実体はナショナリズムと言った方が近い?

トインビーさんは民主主義を肯定するような文章も書かれていますが、本音は明らかに神様主義です。
・・・・と言っても、うちの先生の推奨する神主義とは別ですが。

こんな皮肉な感じの文章も・・・・
「現今では、民主主義といういう用語は、科学という用語と同様に、霊験あらたかな(カリスマチック)、または秘跡的な(サクラメンタル)用語であり、ともかくもお呪い的な用語である。
西洋化しつつある現代の我々の世界では、「デモクラシー」と「科学」とを信ぜず、したがってそれを実行しないといいきれるだけの自身のある社会はない。つまり、「非民主的」とか「非科学的」とか、あるいはもっと極端ないい方をすれば、「反民主的」とか「反科学的」だったと自認することは、文明というものの圏外にあったことを自認することになる。
デモクラシーと科学とに対する口先だけの忠誠を誓う共通的な傾向は、特筆にあたいする。」(歴史の教訓p132)
・・・・この傾向そのものが一種の偶像崇拝?

以下の文章は、これだけでは文脈が分かりにくいところもありますが、トインビーさんは「人間だけではダメ」と断定しています。
「プルタルコスはアレクサンドロスの言として、次のことばを伝えている・・・・『神はすべての人間の共通の父であるが、もっとも優れた人間に、特にわが子として目をかける。』
もしこの「ロギオン」(偉人の言ったと伝えられる言葉)が信頼すべきものであるとすれば、アレクサンドロスは、人間が兄弟であるためには、まず神が父であることが必須条件である、という真理を悟っていたことになる。
この真理は、人類家族の父としての神を度外視し、その代わりに、それだけで人類を統一する力をそなえた、全く人間的なきずなを作ろうとしても、それは到底不可能なことであるという逆の命題を含んでいる。
人類全体を抱擁することのできる唯一の社会は超人間的な『神の国』であって、人類を、しかも人類だけを抱擁する社会などというものは、全く実現性のない妄想である。」/11-p228
・・・・ずいぶんきっぱりと言っておられる・・・・やっぱり神様抜きは無理!

「民主主義は地方的ではなく普遍的であり、戦闘的ではなく人道的である。その本質は、生命それ自体の境界以外の境界を知らない友愛の精神である。
民主主義のための自然な行動の場は、全人類を包含する場である。そしてその精神力が恩恵的であるのは、この範囲に於いてなのである。しかしこの強力な精神的推力が地方国家という機構のなかへそらされるとき、それは恩恵的であることをやめるだけでなく、有害な破壊力になる。『最良なるものの腐敗は最悪である。』地方国家のなかに閉じ込められた民主主義は、ナショナリズムに堕するのである。」/7-p254
*ここでいう地方国家というのは、イギリスとかアメリカなど、普通の国家です。歴史を文明単位であつかう文明史観からみれば地方国家扱いになります。

以下、先生の講話より・・・・
人類の真の平和は、右翼でも実現できず、左翼でも実現できません。
その根本の理由は、右翼も左翼も、利己主義を解脱できないからです。
自分を中心とし、自国の利益を中心として進むときには、永遠になくなることのない利害の衝突ばかりが存在するのであって、統一もなく、平和もありません。
したがって、利己主義を打破する新しい世界主義が現れなければなりません。
自分より他のために生きる利他主義は、ただ神様の理想からのみ出てくることができます。
それは、神様が愛の本体であられ、愛の本質が自分を犠牲にして他を生かす利他主義だからです。
したがって、「神主義」の本質は愛であり、この思想は、人間の四肢五体を動かす頭のような中心思想です。
ですから、「頭翼思想」です。右腕も左腕も、実際、一つの体にぶら下がっています。
頭が無ければ、右腕と左腕は互いに赤の他人となって争いますが、頭が中心に定着していれば、右腕も左腕もすべて、頭の命令に従って、体全体のために働く、一つの共同体になるのです。
・・・・(中略)・・・・
二本の手があってこそ完全です。
一方の手だけではいけません。
目も二つ、腕も日本、脚も日本ですべてペアです。
道を歩くのを見れば、腕や脚が互いに反対に動きますが、それが正しいのです。
互いに反対ですが、それが正しいというのです。
ところが、何かをつかむときは、一緒に動きます。
反対になるのも良く、一つになるのも良いのです。
反対だからといって、すべて悪いのではありません。
両方とも良いのです。
(真の父母経ページ990)

私は、一生を通して共産主義と闘ってきた人です。
私は、共産主義者たちから何度も命を脅かされ、一触即発の危機から命を守ってきました。
しかし、私は、ある特定の共産主義指導者に反対したのでもなく、また社会主義に対して反対したのでもありませんでした。
私は、創造主であられる神様を否定する唯物論に立脚した共産主義哲学が、真理でないことを知った人です。
私は、神様の実存に対する徹底した体験と所信をもった者として、私たちの世界と人類が神様を求め、神様のみ前に帰らなければ、究極的に、人類は滅亡せざるを得ないと固く信じた人なのです。
そのような意味で、今日の自由主義世界、または資本主義世界が正しく進んでいるとは絶対に考えていません。
かえって物質万能の資本主義世界の中に、唯物論と無神論の澎湃が、過去の共産主義に劣らず、世界と人類の将来を脅かしていると考えています。
もし、宇宙の根本であられる神様がいらっしゃらないとすれば、この世の中に絶対価値の基準はあり得ません。
そうなれば、人間の道徳と倫理の基準が成立せず、その社会は、人間が万物の霊長となり得る何の哲学的根拠も持ちえないのです。(真の父母経854ページ)


2024年4月29日月曜日

アレクサンドロスの東征と大航海時代

 このブログにペロポネソス戦争について簡単に書きましたが、ついでに終わりの方でアレキサンダー大王の東征についてもふれました。

ここでは「アレクサンドロス」と呼ぶことにしたいと思います。
「大王」というと、閻魔大王のような怖くて威厳のある人物を連想してしまうのですが、アレクサンドロスの肖像画はそれに全然似つかわしくなく、とても若々しくて目がパッチリと大きく、アニメの主人公みたいで、あまりにもイメージが合わないので・・・・実際、32歳で亡くなっていますし!

このかたは正確には「アレクサンドロス三世」でマケドニアの王、若い頃は哲学者のアリストテレスに教育を受けています。
ところでこのアレクサンドロスが東征を開始したのは、紀元前三世紀です。ペルシャ帝国を亡ぼし、インドまで行きました。まさに世界が拡張されたような出来事です。
この当時としては前代未聞の出来事で、原理でいう「メシア降臨準備時代」に起きています。

その後の歴史でこれに匹敵する事件を探してみると、大航海時代がそれにあたるようです。
以下のような出来事と、それに続く西欧の地球全体への進出です。
1492 コロンブスがアメリカ大陸発見
1498 ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路発見
1522 マゼランが世界一周(マゼラン当人は途中で死亡)

歴史家のアーノルド・トインビー氏の言によれば、
「アレクサンダー大王の時代に陸伝いに行われたギリシャの世界の拡張は、われわれが十五世紀の末に劇的な早さで海を征服したことから始まる西欧の発展に匹敵するものである。アレクサンダーがダーダネルス海峡からアジア大陸を横断してパンジャブ地方まで進軍したことは、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスの航海に劣らない大きな変化を世界の勢力の均衡に与えた。」 現代論集p70 

トインビーさんに限らず、一般的な世界史の解釈でも1500年は特別な年のようです。
以下は、歴史家マクニール氏の著書「世界史(下)」p35 より、
「近代とそれ以前を分けるには、大概の歴史的指標よりは1500年という年が便利である。これはヨーロッパ史について言える。つまり地理上の大発見と、その後に速やかに続いて起こった宗教改革は、中世ヨーロッパにとどめを刺し、とにもかくにも安定した新しいパターンの思想と行動を手に入れるための、一世紀半にわたる必至の努力が開始されたからである。・・・・1500年という年は、世界史においてもまた、重要な転回点となっている。」

この頃、ルターの宗教改革がほぼ同時期に起こっています・・・・1517年。

原理ではどうしても商売がら(!)大航海時代よりも宗教改革のほうが注目されがちで、この宗教改革からの400年を「メシア再降臨準備時代」と呼んでいます・・・・ということは、どちらの時代も「準備」として起こった・・・・まさに歴史が繰り返されていて、その名称がストレートに意味を表わしています。

それにしても、アレクサンドロスの帝国はあっという間に分解してしまい、後継者争いが始まりました・・・・ではなんのためにあんなことしたのか?・・・・一般の人から見れば大きな線香花火みたいなもの(!)で、その意味も分かりにくいでしょう。

・・・・これに意味を持たせているのがトインビーさんです。
ちなみにトインビーさんの地上における生存年は、1889年~1975年です。

「紀元二世紀の中ごろのギリシャ・ローマ的な世界がどんなになっているか見ることにしよう。そしてこれを(現代から見て)200年前の同じ世界と比較すれば、この間にいい方に一つの変化が起こったことに誰でも直ぐに気が付くはずであって、こういう変化は、わが西欧の歴史には不幸にして、今までのところまで起こっていない。
紀元前の一世紀に、ギリシャ・ローマ的な世界は革命や戦争の連続で、その混乱と悲惨は今日の西欧の世界によく似ている。しかし紀元二世紀の半ばになると、ガンジス河から英国のタイン河までの世界が太平を謳歌している、ギリシャ・ローマ的な文明が武力によって広められた、このインドから英国に至る広大な地域は、このときわずか三か国に分割されて、その三国はほとんど摩擦などすることなしに共存している。」現代論集p73

この三か国とはローマ、パルチア、クシャンの各帝国とのことで、これら帝国を建設・支配したものはギリシャ人ではないが、「ギリシャ愛好者」であることを誇りにしていたとのこと。

この現代論集に載った、「世界とギリシャ人およびローマ人」という文章から言葉を拾ってみると、
その生活は、「理想からは遥かに遠いが」、「それまでの乱暴極まる無政府状態よりも、明らかにずっと望まし」く、「前の時代よりも安全で、そして退屈であることを免れない。」
・・・・しかし、そのせいで寧ろ「人間の心に精神的な空白を生じさせ」、「この空白をどうすればうめることができる」のかが、この世界にとって最大の課題になったことのと。

(iyo )これはどういう意味なのか、引用させてもらっている本人としても、十分に理解できているか怪しいところですが、要するに制度的な外的なことは充分に満たされたが、人間の内的・精神的な面に問題があったということでしょうか・・・・それで、時間をかけた緩やかな「反攻」が始まるのですが・・・・
この反攻は・・・・
「ギリシャ人やローマ人の手から指導権を取り上げ、・・・・それがあまりにそっとだったので、当のギリシャ人やローマ人はその固い手に何も感じなかったから、気づきもしなかった」
「今までとは別な分野で行われたために、それが紛れもない一つの反攻であることにすぐには解らなかった。ギリシャ人やローマ人の攻勢は軍事的な、また政治的な、そして経済的な性質のもので、今度の反攻は宗教的なものなのである。そしてこの新しい宗教的な運動は将来、非常な成果を収めることになるのであるが、・・・・」

・・・・それで、要するにどうなったかというと(説明が難しいので省略・・・・あしからず!)、
「そして、スキタイ人もユダヤ人も、ギリシャ人も、また奴隷も、自由人も、男も、女もなくて、誰もがイエス・キリスト・・・・あるいはミスラス、あるいはクベレ、イシス、または誰か菩薩の一人、阿弥陀如来か観音とともに一体をなす、新しい社会が現れる機会が生じたのである。」

歴史の研究に少しわかりやすい説明が・・・・
「アレクサンドロス時代以後のヘラス人が活気に満ちた非ヘレニック社会の宗教に接触するとともに、この経験がヘラス人の心の中に呼び起こした感情のうちには、聖職者の欺瞞にひっかかる愚かな人間を軽蔑するよりはむしろ、そのような高価な真珠をもっている恵まれた人びとをうらやむ気持ちの方が多く含まれていた。ヘレニック文明世界は宗教的空虚の中にいるという事実に気づき、不安になった。」3-p139

もともとヘレニック文明というのは、「知性が心の役目を引き受けて、宗教の代わりに哲学を編み出すという、全く人間的な性質のもの」現代論集p78 ・・・・でした。
「全く人間的な性質のもの」とは神様不在ということでしょう・・・・ゼウスとかポセイドンだとか、八百万の神は沢山いますが。
西欧文明がキリスト教から離れ始めたのが17世紀、その傾向は第二次世界大戦後まで続いたとのことなので、状況は似てきているのかも(?)

そう言えば、今になって思い出すと、西暦20世紀から21世紀の変わり目で「ミレニアム2000」とか世間でさかんに騒がれたとき、21世紀は心を大切にする時代とか平和な時代になるとか言われてましたが、これからそのような方向へ向かうのでしょうか?
トインビーさんによれば、「それは解らない。われわれにはただ、世界の歴史で一度起こったことは、少なくともこれからまた起こる可能性があるということしかいえないのである。」現代論集p79

「ヘレニック文明が世界の他の地方と出会った劇の筋を、一文で要約してみよう。ヘレニズムは、軍事的政治的知的芸術的な面での攻勢において、世界に対して一時的な勝利を獲得した。世界は宗教的な面で反撃に出て、逆に勝利を収めた。しかも今度はこの勝利の影響は一層永続的なものであった。」現代論集p109


2023年12月28日木曜日

ペテロの成長と変貌

 トインビーさんの著書「歴史の研究」に、イエス様の弟子として歩んだペテロ(シモン・バル・ヨナス)についての記述がありました。どこかの○○派とか言った教えではなく、敢えて言えば「トインビー派の解釈」です。
ペテロは熱心党という当時の政治的宗教集団に所属していました(またはゼロト党とかゼロテ党)マタイ10/4
ローマ帝国の支配に反対する急進派です。

初めに身を捧げようとしていたユートピアを追求している間は、どこか精神的に盲目なところがあって、それが彼のエネルギーを誤った方向に向けさせ、偉大さを覆い隠していた。
・・・長い間迷い、途方に暮れていた魂が、新しい生活態度に転向することによって、ついに自己の最高の可能性を悟ることができるようになった。/10-p189

かれはイエスをメシアと呼んだ最初の弟子であったが、同時に、その後、師と仰ぐイエスから、かれのメシア王国は決してキュロスのイラン世界帝国をユダヤ風に改めたようなものでないことを明らかにされた時に、まっさきに抗議した人間であった。
その直情的な信仰の褒美に特別の祝福を受けた直後に、師の王国のビジョンが弟子の固定観念に合致しなければならないと、頑迷に、食ってかかるようにして言い張ったために、完膚なきまで叱責された。/10-p191

ペテロ:「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません。」マタイ16/22
イエス:「サタンよ引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。」
(ここでの「サタンよ」とはペテロに向かっての言葉)

師の恐ろしい譴責(ケンセキ)によって自分の誤りを目の前に突きつけられた後でさえ、訓戒は大したききめがなく、次の試みに於いて彼はまたもや失敗した。/10-p192
キリストの変貌の三人の目撃者の一人に選ばれたおりに、彼は師のかたわらにモーセとエリアが立つのを見て、ただちにそれを「解放戦争」開始の合図と思い込み、その場に、チウダやガリラヤのユダの徒が、ローマの当局者が彼らの蠢動を知って、彼らを追い散らすために遊撃隊を派遣するまでの短い猶予期間に、よく荒野のなかに設けたような、陣屋の中心を建てることを提案して、幻の意味を散文的に取り違えたことを暴露した。
この耳障りな雑音が入った瞬間に、メシアの道についてのメシア自身の啓示を受け入れよ、という戒めの声を後に残して幻は消えた。

主が預言されたすべてのことが明らかに本当になった主の地上に於ける生涯の頂点に於いてさえ、この徹底した未来主義者はゲッセマネの園で戦うために剣を抜いた。/10-p192
そして彼の主が、彼が再び本能的に暴力に頼ったことを決然として抑えたので、彼は狼狽して絶望的な気持ちから卑劣な裏切りに走った。/10-p192

(iyo )その少し前には、ペテロだけでなく、弟子たち皆が「あなたを知らないなどとは決して申しません」と言っていたのに・・・・マタイ26/35。
「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」マタイ26/56
「『そんな人は知らない』と誓って言った」
「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく鳴いた。マタイ26/72

この彼の生涯における無上の経験をした後、キリストの十字架の死と復活と昇天によって、やっとキリストの王国がこの世のものでないことを悟った時でさえ、依然としてペテロは、この変貌した王国に於いてすら、その国の市民となる権利はユダヤ人だけに限らねばならないと信じたがった。/10-p192
・・・・(中略)・・・・
使徒行伝のなかでペテロが登場する最後の数場面のうちの一つにおいて、彼はいかにも彼らしく、天から降ろされた大きな布の幻とともに聞こえてきた明瞭な命令に意義を申し立てている。

ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。使徒10/14

しかし、ペテロが物語の主役の地位をパウロに譲るのは、パリサイ人だったパウロがただ一回の強烈な精神的経験によって瞬時に感得した真理を、ペテロがやっと最後に悟った話が記されてから後のことである。

ペテロの長い悟りの過程は、屋上の幻の後でコルネリオの使者が門口に到着した時に完了した。
そして、カイサレアのコルネリオの家での信仰告白に於いても、またエルサレムに帰った後、ユダヤ人キリスト教徒の前で行なった、コルネリオの家における彼の行動の釈明においても、ペテロはもはやキリストのとがめを受けるおそれのないことばで神の国を説いた。
/10-p193

2023年9月22日金曜日

歴史から宗教へ(トインビーさんの変遷)

 トインビーさんはとても著作の多い方で、日本でも人気があったようですが、殆どの本は既に廃版のようです。
古本屋などを検索して読みかじっているうちに、その考え・・・・というか価値観の変化が気になりました。

同じ歴史家のマクニール氏が、「歴史の研究」批評の中で、トインビーさんの変化について書いています。
社会思想社 トインビー著作集8 S43年3月5日初版 より 「歴史の研究の基本的想定」

「1930年代の後半、世界の動きが第二次世界大戦の長い影を舞台の上におとしはじめたとき、そして個人的問題が彼の心を暗鬱にしていたとき、かれのギリシア熱はようやくさめはじめた。
ギリシア讃美者トインビーは、漸次宗教者トインビーへと移行していった。
もっとも宗教者といっても、彼を純粋のクリスチャンとするのは当たらないであろう。教団としてのキリスト教の教条と形式主義は、彼の心を反発させた。
・・・・(中略)・・・・
第二次世界大戦の前夜に刊行された部分に、この変貌の始まりが認められる。そして1954年に刊行された最後の部分にいたって、この転換は完成し、その全貌をあらわにしている。
徐々に行われたこのトインビーの回心は、世の悲惨と個人的な悲しみという挑戦にたいする彼自身としての応答であった。」

実際、1954年刊行の部分には、こちらに書いた文章(「神の国」をつくる)が殆ど含まれています(歴史の研究完訳版第15巻)

また、同時に刊行された「歴史家の霊感」という第20巻には以下の文章があります。

「人びとは何故歴史を研究するのか。・・・・(中略)・・・・本「研究」の筆者個人の答えは、歴史家は、幸いに人生に一つの目標をもち得た他の人間と同じく『神を追い求め、神を見出すように』という神の呼びかけのうちに自己の使命を見出したのである、というのであった。」/20-3

「やはり個人的経験から自分一個の意見を述べるに過ぎないが、筆者は、歴史とは、誠実に神を追い求める魂の活動に於て自己を顕示する神の姿・・・・それはおぼろげで、部分的なものであるが、その限りに於いて紛れもなく真実の神の姿・・・・を見ることであると答えたい」/20-4

(iyo )さらに、「歴史の研究」出版以後も変化は進み、その後の著作を見ると、まるで歴史家という看板を捨て、宗教の伝道者として活動を始めたかのようです。
上記マクニールさんが書いているように、もともとトインビーさんは、キリスト教の特定の宗派に属する立場ではなかったのですが、その後はキリスト教にこだわらない方向にまで進んだようです。

「歴史の研究」では、まだはっきりと「神」という言葉を使っています(・・・・と言っても、原語で使用されている単語は未確認です)が、さらにその後は以下のようなことも書かれています。(未来を生きるP313付近)
*「未来を生きる」は81歳時のインタビューをまとめたもの。

「ここで、私の現在の信条について話しましょう。私は、人間が宇宙で精神的に最高の存在ではない、と信じています。宇宙とその背後に、もっと高い存在があると信じているのです。私は、「より高い存在」という回りくどくみえるいい方で話しています。わたしは「神」とは言いません。
・・・・(中略)・・・・
ユダヤ教-キリスト教-回教の見解だけでなく、東アジアやインドの見解をも含めるために、こうした中立的な言葉を使おうと思います。
私は、この存在と交流し、それと調和して生活し、行動したいと欲しています。・・・・(中略)・・・・神人同型同性的形態ではとらえていません。」
・・・・(中略)・・・・
「私は、どんな人格神の存在も信じません。私たち人間が、直接の経験で知っている神の精神は、愛だけであるというのが私の考えです。
・・・・(中略)・・・・
自分が愛によって動かされているとわかった時、私は、自分が正しい精神的針路をたどっていると確信します。
・・・・(中略)・・・・
生きている人であろうと、死んだ人であろうと、他人に対して敵意を感じていると気が付いた時には、・・・・(中略)・・・・自ら恥じ入り、悔い改め、他のことを考えたり、行動したり、感じたりするよりさきに、まず、この悪しき感情を直ちにはらい清めようと努力します。」

また、「平和の条件」というところには(P277)
宇宙の背後にある精神的存在と交わり、私たちの意志をそれと調和させることによって、自己中心性を克服することです。これが平和へのカギです。
私は、これが唯一のカギだと思います。
(iyo )おそらくこれは何らかの実体験から来る確信でしょう。

ちなみに、同書のなかで「モットーは何ですか?」と訊かれ、以下のように答えています。
「私のモットーは『愛に従え、たとえ愛が自己犠牲に導こうとも』でしょう。」

トインビーさんの方向転換は、まさにこれを実践した結果のように見えますし、(詳しいことは知りませんが)この方向転換が進むにつれて、歴史家としての評価は徐々に下がっていったのでは?・・・・と思ったりします。


2023年5月7日日曜日

天国?

 当たり前ですが、天国ってどんなところですか?・・・・と聞かれて、一言で答えるのは難しいでしょう。
これは宗教上の難問題かもしれません。

うちの教会は、どういう点が一致して、みんなが集まってくるのでしょうか?・・・・よくよく考えてみると、寧ろ集まってくる方がおかしいのかも!
曖昧な理解にもかかわらず、その曖昧な天国に行きたがっている。
Aさんの天国とBさんの天国は違う・・・・ひとの数だけ天国がある!

・・・・これだけ書いて感じたことは・・・・話が大きすぎて手に負えない!・・・・ということでした。たぶん、こういう平面的・常識的な勝手な(!)観点から見たのでは、はっきりしたものは出てこないでしょう。

・・・・そういう訳で、あまり難しく考えずに進めましょう。

一言で答えなさいと言われれば、やはり「天国は家庭生活の拡大である」という先生の言葉になるでしょう。
あれこれあれこれあれこれあれこれ・・・・(以下、しばらく繰返し)・・・・と説明するより、分かりやすい気がします。

また、「天国は心情の世界である」とも語られています・・・・こちらは「家庭」という具体例が出ていないだけ分かりにくいかも。

・・・・では、「心情」って?

難しい説明は抜きにして、心に響いてきそうな言葉を拾ってみると、

「心情の世界には、発展がない。しかし何度反復しても嫌気のしない世界である。」
「善なる人は、自然を見ても、どこへ行っても、いつでも心情でもって包むことのできるものである。」
「心情の境地においては立派でない人がなく愚かな人がない。」
「心情の基盤が無ければ不幸な者である。」
「心情的な世界は平等である。天国は家庭の拡大であり兄弟愛の世界である。」
「終わりの日には宗教は心情宗教、哲学は心情哲学、主義は心情主義、思想は心情思想で各々解明されるようにならねばならない。」

一方、天国については、

「人を一番愛し、高め、大切にできるところが天国である」
「一つになろう。世の中にいるすべての父母、兄弟、子女を自分の真の父母、兄弟、子女として思えるならば彼は天国の門の鍵をもった者である」
「理想世界は『ために生きる』世界である。」
「中心が人間ではなく神であるゆえに、人間を中心とした理想世界は成就されない。」

(以上は、すべて 光言社発行 み旨の道 1997年12月10日 第32刷発行より)

人間の本郷は、人類が願い、神様が願う所であり、天地が和合して万宇宙の存在が「幸せでうれしい」と言い得るところ、神様が踊りを踊ると同時に、万宇宙が神様を中心として踊れる所です。そのようにできる日を迎える本郷が現れていたならば、今日、この世界は、不幸な世界にはならなかったでしょう。
神様の愛を中心とした息子、娘、すなわち、ひとり子とひとり娘が、神様の愛を中心として完全に一つとなって家庭を築いたならば、その血統を受けて生まれた息子、娘たちは、心と体が一つになっているのです。(真の父母経34ページ)


2023年3月28日火曜日

聖書の歴史展開

 キリスト教の十字架、救い、再臨など、ネットで検索してみても多くの解釈があり、納得できないものも沢山溢れていますが、私が教わった内容は非常にシンプルです。
1.神様はエデンの園で最初の人間を創造したが、その後の成長過程で失敗(堕落)があった。
2.その失敗を取戻すためにイエス様が来られたが、(十字架上で亡くなられたので)完全には取戻せなかった。
3.完全に取戻すために再臨がある。

上記1では、神様が失敗したというよりは、アダムとエバが失敗しました。
2では、イエス様が失敗したというよりは、周辺のユダヤ人達などが失敗しました。
3でもう一度トライするわけですが、一方で堕落世界はどんどん拡大してきました。そのため、本来の世界を取り戻すにも、その規模を凌駕する必要があり、困難さは当初の段階よりもはるかに大きくなりました。

「失敗」などという文字を書き込むと、一般のキリスト教徒からは、「神を冒瀆している」と非難されそうですが、いくら指導者が優秀でも、それだけで全てが完成するわけには行かないようです。
例えば、神様の事情については こちら に少し書いています。

イエス様の言行に対しては、当時のユダヤ人達が自分たちの都合で判断した面もあるようですが、乱暴者とか法を破るものと見える点があったのも事実です。
例えば、マタイ21/12付近では、
イエス様が宮に入られ、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をひっくり返したことが書かれています。 
そして言われました・・・・「わたしの家は祈りの家なのに、あなたがたは強盗の巣にしている」と。

話が横道にそれてしまいました。元に戻して・・・・

旧約聖書には堕落以後、イエス様が誕生される約500年前までの記録があります。
・・・・ということは、聖書の年数カウントによれば約3500年間の記録です(実年数かどうかは???)
人類始祖から始まって、民族を形成し、国が創られ、神殿も出来ましたが、その後もいろいろひどい目に出会って、殆ど滅亡状態になりました。
バビロンで捕虜になっていたところを、ペルシャのクロス大王に救われ、故郷に戻って神殿を建て直しました。
どうしてこんなもんが世界中で読まれているのでしょうか?・・・・考えてみれば不思議ですが、これは堕落による失敗を元に戻そうとする記録で、具体的にはイエス様を誕生させようとする記録です。
誕生まで4000年もかかりました。

人間の時間感覚からすると、神様はかなり気長な方にも思われますが、私が教わったのはそういうことではありませんでした。
実は神様は、堕落後すぐに元に戻そうとする(つまり堕落前の状態に戻そうとする)努力を始めました。

ところで、堕落事件の次に出てくるのが、息子たちの物語です。
アダム家庭には、カイン(兄)とアベル(弟)が生まれましたが、カインがアベルを殺害するという、とんでもない事件が発生しました。
実はこれも元に戻そうとする試みだったのですが、さらに失敗を積み重ねる結果となってしまったのです。

人類の始まりで起こったこれらの事件は神様にとっても想定外だったかも!
「これこれこういうわけで・・・・」と書いてあればいいのですが、聖書は淡々と書かれているので、どこが重要ポイントなのか分かりにくい。

神様はアベルの供え物は受け取られたのに、カインの供え物は受け取られなかったとのこと。
まるで神様がエコヒイキしたのが原因で、カインが腹を立てて殺人を犯したようにも捉えられます。

ところで、兄弟の争いについては、その後にも聖書に書かれています。
この争いを成功裏にまとめ、失敗を取り戻したのがヤコブ(アブラハムの孫)です。
双子のエソウ(兄)とヤコブ(弟)にも同じような状況が生まれてしまい、やはりエソウはヤコブを殺そうとします。
しかし、この二人の場合は仲直りをして、ヤコブはイスラエル(勝利者)という名前をもらいました。

仲直りするまでに、21年もかかっています。
その後、家庭的な段階は終了し、ヤコブの子孫はイスラエルの12部族となり民族を形成するようになります。

これが聖書の1つの公式でしょうか?
「神様は、兄弟どうしを喧嘩させて、仲なおりしたら勝利者として認定する!」・・・・奇妙な公式ですね!

しかし・・・・さらにその後にも、ペレヅとゼラという双子の兄弟も出てきます。
この時は、既に胎中から争っていました。
あっさりした書き方の聖書に、兄弟の争いが3度も出てくるのは何か訳ありでしょうか?
歴史は兄弟関係によって発展するとか?
どこかで言われているような労働者と資本家の争いではないのでしょうか?

これらの兄弟間の事件で、共通して言えることは、いつも弟が兄を出し抜いていることです。
カインとアベルでは供え物の件でアベルが優遇されました。
エソウとヤコブの場合も既に胎内で争っていて、出産時には、先に出てきたエソウのかかとをつかんで弟ヤコブが出てきましたし、その後ヤコブは兄を出し抜いて祝福を受けています。
ゼラとペレヅの場合も、先に兄として手を出したゼラが一旦引き戻されて、弟のペレヅが先に胎を出ます。

神様は弟を愛し、兄を憎まれる!・・・・これが神様の好み?
ここで原理講論から該当箇所を抜き出しますと、
「カインとアベルを、各々異なる二つの表示的立場に立てるよりほかに摂理のしようがなかった」とのこと。
・・・・神様もどうしたらよいか必至に考えた結果のようです。

「二つの表示的立場」というのは、神(善)とサタン(悪)のこと。
本当は堕落直後のアダムに対して、なんらかの処方箋を準備したかったのですが、アダムは堕落の結果、サタンも「これはおれの息子だ!」と言える立場に立っていたため、神様はアダムのことは置いといて、カインとアベルの代から具体的に対処し始めました。
(なぜいつも弟が兄を出し抜く立場にいるか・・・・ここでは省略!)

要するに、アベルを神側の立場、カインをサタン側の立場に立てるのです・・・・かと言って、アベルは善人でカインは悪人というのではなく、あくまでもそのように見立てるということのようです。

ここまでのことは、おもに家庭レベルのスケールですが、拡大してもこのパターンで歴史が動いて行くというのです。
北イスラエルと南ユダとか、民主と共産とか・・・・こういうのは、一人の人間の心の中にもあって、長く人間をやっていると、その影響が出てきます。

ちなみに、神様がアブラハムに供え物(牛、山羊、羊、鳩)をするよう命じられたとき、全て二つに裂かなければならなかったのに、鳩だけは裂かなかったと、わざわざ書かれています。
牛や羊を裂くのは大変だったでしょう。動かすだけでもひと苦労です。
「鳩ぐらい許してくださいよ神様!」と私ならお願いしたいところです・・・・アブラハムも詰めが甘かったんですかね。
これが失敗となって、再度・・・・今度は自分の息子を捧げよ、との大変な命令を受けてしまいました。
(創世記15章、22章付近)

先生の講和より・・・・
兄弟が一つになったあとに、父母が現れるのです。国家的基準においてユダヤ教とイスラエル民族が一つになり、ユダヤ教と祭司長がカイン復帰を通して一つになることによって、その国家的基盤の上にメシヤが顕現できるというのです。その方がイエス様でした。(真の父母経51ページ)