2025年8月26日火曜日

西欧文明はペテン師?

 原理講論の総序には、共産主義はキリスト教から生まれたと書かれていますが、改めてここに抜き出してみますと・・・・
「ローマ帝国のあの残虐無道の迫害の中にあっても、むしろますます力強く命の光を燃え立たせ、ローマ人たちをして、十字架につけられたイエスの死の前にひざまずかせた、あのキリストの精神は、その後どうなったのであろうか。
悲しいかな、中世封建社会は、キリスト教を生きながらにして埋葬してしまったのである。
この墓場の中から、新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめたのであったが、しかし、その光も激動する暗黒の波を支えきることはできなかった。
初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である。
神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻 す者たちが現れたとしても無理からぬことである。
このようにして現れたのが唯物思想であった。
かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである。」

このキリスト教の没落について、歴史家のトインビーさんが「相次ぐ衝撃によって崩壊した」として、分かりやすく7つの出来事を挙げています。(一歴史家の宗教観p256)

1.13世紀に起こった教皇庁と皇帝フレデリック二世(1194 - 1250)とのあいだの確執
2.14世紀に起こったアヴィニョンにおける「バビロン幽囚」(1309 - 1377)
3.教会大分裂(大シスマ 1378 - 1417)
4.14世紀における教皇と「宗教会議運動」との争い
5.宗教改革
6.宗教戦争
7.ヘレニズムの復活
・・・・あってはならないことが並んでいます。

ちなみにローマ教皇の全盛期は、教皇イノケンティウス三世の時と言われ、在位1198~1216年。

トインビーさんは、これを「勝利の陶酔の破滅的結果の最も顕著な実例」として挙げていますので、このブログでもその成長・没落・影響について抜粋しながらこちら(ローマ教皇制の発展と没落)に書いています。
まさに大失敗の展開ですが、この破滅が始まる直前の到達点については高く評価しています。
「中世の西欧キリスト教の生活様式は人類のなしとげた稀有の業績の一つであり、その時代精神は権威と自由とのあいだの危なげではあるがしかし創造的な均衡の上に立っているもののように見えるのである。・・・・この柔軟性に富んだ体制は、『中世西欧キリスト教連邦』に多様性を含みながらそれが統一された一つの社会を与えたのである」(同p255)

登りつめたその頂点は、人類が最も神の国に近づいた地点だったのかもしれません。
現代の感覚から言えば地球規模とは言えませんが、当時の住人にとっては、全世界のようなものでした。
上記「中世西欧キリスト教連邦」は、国家を超えるところまで行きました。これに相当するものを探してみるなら、国連がそうかもしれませんが、今の国連にはアメリカやロシアを破門・・・・(この場合、破門と言うのはおかしいので、何らかの効き目のある懲らしめ)・・・・するほどの権力は無いでしょう。

上記イノケンティウス三世をネット検索してみますと(「世界史の窓」より抜粋)
「ローマ=カトリック教会の全盛期のローマ教皇。在位1198~1216年。ドイツ国王の選出に干渉し、ローマ教皇による採決権を主張、意のままにならないドイツ王(神聖ローマ皇帝オットー4世)を破門にしてしまった。また、王妃離婚問題からフランスのフィリップ2世を、さらにカンタベリー大司教叙任問題でイギリス王ジョンをそれぞれ破門し、屈服させた。ローマ教皇のもとで、英独仏の君主が破門されたり、意のままに操られる事態となり、教皇権は最高潮に達したと言える。このような事態を示す言葉が、『教皇は太陽、皇帝は月』という彼自身の言葉である。」
・・・・ドイツ、フランス、イギリスなど、大国の国王を破門しています。やりたい放題! そのほか十字軍などでもいろいろやってます。

その後、このおごりが没落に繋がるわけですが、上記7つはどれもこれも分裂です。
「奈落の底へ真っ逆さま」と言ってもいいくらいどんどん悪化!・・・・「V字回復」というのがありますが、その正反対なので、「A字没落」といったところでしょうか。

例えば、宗教改革ではルターの起こした行動は立派なことでしょうし、「新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめた」という原理講論の通りかもしれませんが、出来事としてはキリスト教の分裂となりました。
キリスト教が分裂したら、ローマ教皇の権威は・・・・?

その次の宗教戦争は?・・・・「宗教戦争」という言葉が生まれたこと自体がおもしろい(と言ったら失礼でしょうか)
ユグノー戦争とか三十年戦争とか八十年戦争とか・・・・ここにはいろいろな都合で、多くの国、国王が介入してきました・・・・宗教の上に国王が立つ!、宗教は国王の戦争道具・奴隷になり下がった!

・・・・というわけで、西欧世界はローマ帝国滅亡後の動乱時代(というのは極端かもしれませんが、国家単位の時代)に戻ってしまいました。
原理用語で言えば、摂理が逆行したことになります。今でも世界の状態は国家を超えられずにいます。
参照:「国家主義と世界主義」 

さらに7番目のヘレニズムの復活・・・・いわゆる「ルネサンス」ですが、「美術的、文学的な面では、文芸復興は一時の心酔にすぎぬもの」((一歴史家の宗教観p320)でしたが、
「政治の世界においては、文学や視覚芸術におけるよりも、ヘレニズムの復興がいっそう永続的」で、「今日もなおこの亡霊が我々を悩ましている。そして二回に及ぶ世界大戦ですら、血に飢えたこの、つねに還り来るもの(幽鬼)の渇を癒すに足りたか否かは、いまだに明らかではないのである。」(同p259付近)

あまりにひどい失態続きで、みんなで(?)愛想をつかしたのですが、トインビーさんによれば、西欧人はキリスト教を捨てて、別のものを選択しました。

科学技術について以下のような文章・・・・
「近代西欧文明の地球の全表面におよぶ拡大は、過去四、五百年間の人類の歴史のもっとも顕著な他に比類のない特色をなしてきた。(近代西欧文明の優勢)」(同p223)
「しかしながら、西欧の大洋支配が確立され、その結果として西欧がすでに世界の可能的支配者となった西暦紀元17世紀において、1956年までのその歴史に起こったいかなる革命もはるかに及ばない最大の革命を西欧はなしとげたのであった。
すなわちこの世紀に、西欧文明はその伝統的な西欧キリスト教の「さなぎ」の状態を脱して、キリスト教から自らの新しい世俗的な一改訂版を抽出したのであるが、この新版によって、西欧人の最高の関心と追求の対象は、宗教から科学技術におきかえられたのである。」(同p226)

「17世紀の初頭は、西欧キリスト教世界の宗教戦争がたけなわであった時代であり、西欧のキリスト教的狂信はいまだにその頂点にあった。この世紀が終わるまでに、西欧社会の精神的主導者たちの関心と探求の対象は、宗教から実験科学の発見を応用する科学技術に移された。
世紀が終った頃には、この西欧人の態度と精神的気風の革命的変化が、いまだ少数の人々のあいだに限られていたことは確かであるが、しかしたとえ少数といえども、これほどの短期間に、これほどの大転換にふみきった者があるということは驚くべきことである。・・・・(中略)・・・・18世紀のはじめから1956年に至る250年間に、世俗化の気運と科学技術への興味とは、西欧社会の一つの層から他の層へとひろがり、ついにはその社会の全体に達した。」(同p280)

西欧文明は1500年くらいにアメリカ大陸発見、世界一周など大航海時代を迎え、世界中にキリスト教を広めようとしましたが、なんとその後200年くらいで本家の西欧が急速に方向転換!

「人類の大多数をしめる非西欧人は、父祖伝来の文明から世俗的西欧文明に改宗するという一つの精神革命の洗礼を受けたとたんに、思いもかけなかった第二の精神革命の渦中に投げ込まれていることに気づいた。
彼らが世俗的西欧文明を採用したちょうどそのとたんに、全く思いもかけなかった西欧の二十世紀の精神的危機が起こって、気がついてみたらその渦中に巻き込まれていたというわけである。
このようにして西欧は、みじんのわる気もなしに、無意識のうちに世界をペテンにかけたこととなった。
つまり西欧は一つの文明を世界に売りつけたのであるが、はからずもそれが売買成立の当座に売り手も買い手も共に信じていたようなしろ物ではなかったということがわかったのである。」(同p231)

因みに、ここに使用したトインビーさんの文章は1960年くらいのもの。
確かに私もずっとその後まで、西欧にはキリスト教の伝統があるし、生きていると思っていました。
しかし・・・・時がどんどん経過して、今の実態世界はどんな?・・・・最近は生成AIが神様?
様々な発明が出てくるたびに思うのは、残念ながらそれをコントロールできる世界になっていないということ!

宗教から科学技術へ転換というのは、あまりにも方向が違い過ぎて奇妙にも感じられますが、このようなことも書かれています・・・・
「科学技術の神格化は、西欧のキリスト教的遺産に対する不信から生ずる不可避的な一つの結果であったわけではない。キリスト教に対する幻滅感が、なんらかの新しい理想または観念で満たされねばならない知的、道徳的な一大真空地帯をもたらしたことは、避くべくもなかったが、西欧人の頭脳と心情において、キリスト教にとって代わるものが、実験的な科学研究法を実用的目的に適用して、非人間的自然に対する人間の技術的支配力を増大しようという理想でなければならないという理由はなにもなかったのである。」(一歴史家の宗教観p280)
実際に、中国では大乗仏教の歴史に似たようなことが起こっていて、大乗仏教の権威に対する反抗を指導したのは、仏教以前の孔子の哲学と生活様式だったとのこと。

また、当時の西欧人はこんなことも思った・・・・
「十七世紀末葉の西欧的人間の眼には、神の王国を地上にもたらそうとするよりは、地上の楽園を創造しようと努める方が現実的な目安であるように見えた。(同p285)
「宗教戦争の直後には、技術者と実験家とは、神学者に比べて人柄が友好的であるのみならず、たとえ悪事をはたらきたいと思っても大した害をなす能力がないもののように見えた。」(同p287)
・・・・これは今となっては昔の見かたですね。